第7話 救われる側の現実
領都から少し離れた場所に、小さな集落がある。
石と木で作られた家々は古く、壁にはひびが入り、屋根の一部は補修された跡がそのまま残っていた。畑はある。だが耕されていない区画が目立ち、境の杭だけが律儀に立っている。誰かの土地であることは分かるのに、誰も耕していない。
「……人手不足、ですね」
私がそう言うと、隣を歩くハインツが小さく頷いた。
「若者は、ほとんど出て行きました」
「残っているのは、老人と子供、それに……行き場のない者だけです」
視線の先。畑の端で、鍬を握る少女がいた。年の頃は、十五、六といったところだろう。細い体で、慣れない手つきのまま、必死に土を掘り返している。
「……あの子は?」
「リリアです」
「去年、父親を亡くしました」
「母親も、病で……」
それ以上、言葉はいらなかった。
私は、ゆっくりと彼女に近づいた。足音に気づき、少女が顔を上げる。
「あ……」
一瞬、警戒。次に、困惑。そして、気づいたように慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! お仕事の邪魔を――」
「いいえ」
私は、静かに首を振った。
「少し、話を聞かせてください」
少女は戸惑いながらも、頷いた。
「……収穫は、どうですか?」
「……あまり、良くないです」
「去年より、ずっと」
「理由は?」
「水が……」
「上の畑の方で、流れが止まっていて」
私は、内心で溜息をついた。資料どおりだ。
「それでも、耕しているのですね」
「やらないと、食べられないので」
当たり前の答えだった。だがその当たり前が、あまりに重い。働けば食べられるのではなく、働かなければ食べられない場所に、この子は立っている。
「税は?」
少女の肩が、びくりと揺れた。
「……取られます」
「今年も、同じだけ」
「収穫が減っても?」
「……はい」
声が、小さくなる。
私は、そこで初めて、彼女の手を見た。豆だらけで、ところどころに傷。治療された形跡はない。
「……ありがとう」
私は、そう言って立ち上がった。
集落を回り、同じ話を何度も聞いた。水が来ない、人が足りない、それでも税だけは去年と同じ額で来る。誰一人として制度の名前を出さなかった。悪いのは自分たちだと思っている人の話し方だった。
誰も、怠けていない。ただ、どうにもならない状況に追い込まれているだけだ。
「……これは、数字以上に酷い」
領主館へ戻る道すがら、マリアが小さく呟いた。
「ええ」
私は頷いた。
「でも、だからこそ、変えられる」
その夜。執務室に、農政関係者を集めた。
「結論から言います」
私は、迷いなく告げる。
「今年の農業税を、一部凍結します」
ざわめき。
「正確には、収穫量に応じた再計算です」
「取れないものからは、取りません」
「ですが、それでは――」
「短期的には、歳入は減ります」
私は、はっきり言った。
「ですが、来年は増えます」
反論しようとした者たちが、言葉を失う。
「水路の修繕」
「輪作の導入」
「農具の共有」
私は、順に指示を出した。
「ハインツ、現地調査を」
「マリア、予算の再配分を」
二人は、即座に頷いた。会合が終わり、私は一人、書類をまとめていた。そこへ、ノックの音。
「……失礼します」
扉の向こうに立っていたのは、昼間の少女――リリアだった。
「どうしましたか?」
「……これ」
差し出されたのは、小さな籠。中には、形の不揃いな野菜が入っている。
「お礼です」
「今日、話を聞いてくれたから……」
私は一瞬、言葉を失った。この子の家に、余っている野菜などあるはずがない。それでも受け取らないという選択肢は、ここにはなかった。私は籠を受け取る。
「ありがとう」
「大切に、いただきます」
少女は、ほっとしたように笑った。その笑顔を見て、私は確信した。
――これだ。
数字は、手段だ。目的は、こういう笑顔を増やすこと。
「リリア」
「は、はい?」
「これから、忙しくなります」
「でも、必ず良くなります」
少女は、力強く頷いた。
「……はい!」
扉が閉まり、執務室に静けさが戻る。籠の野菜は、どれも不揃いだった。
王都では、数字は誰かを黙らせるための道具だった。何のための数字かと尋ねると、決まって場の空気が悪くなった。私につけられた「冷酷」という評価は、その質問の代金だったのだろう。
私は、机の上の再建計画に、新しい一文を書き加えた。
――民の生活を、最優先とする。
改革は、もう止まらない。
約束した三日目の朝が、もう明日です。
――税を取られる側の景色が刺さった方は、ブックマークをお願いします。




