第6話 歓迎されない領主
バルツの職務停止が公表されてから、領主館の空気は明らかに変わった。
静かだ。だが、それは秩序の静けさではない。嵐の前の、息を潜めた沈黙だ。
廊下ですれ違う役人たちは、深く頭を下げる。礼儀は完璧だ。だが視線は一瞬で逸らされ、そのまま足早に去っていく。頭の下げ方が丁寧になるほど、距離は開いていった。
――反発している。
それも、かなり露骨に。
「書類の提出が、遅れていますね」
執務室でそう告げると、担当役人は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……想定より量が多く」
「昨日も、同じ理由を聞きました」
淡々と指摘すると、男はわずかに唇を噛んだ。
「正直に申し上げます」
意を決したように、彼は顔を上げた。
「これまでのやり方を、急に変えられても……」
「現場は混乱しています」
私は、机の上の書類から目を離さずに答えた。
「それは、混乱ではありません」
「負荷が、表に出ただけです」
男は、何も言い返せなかった。
昼前。別の部署から、抗議文が届いた。形式は丁寧だが、要旨は一つ。
――やり方が強引すぎる。
私は文面を最後まで読み、静かに紙を折った。
「マリア」
「はい」
「この抗議文を書いた部署、去年の業務実績を出してください」
「……分かりました」
数刻後。戻ってきたマリアは、苦い顔をしていた。
「……成果、ほとんどありません」
「でしょうね」
改革に反発する部署ほど、何もしていない。これは、どこでも同じだった。守るものがある人間は、こういう文書を書く時間を惜しむ。
午後。兵士の詰所から、報告が上がった。
「一部の役人が、酒場で不満を漏らしています」
「“若い女に何が分かる”と」
私は、少しだけ考えた。
「止めなくていいです」
「よろしいのですか?」
「ええ」
私は顔を上げる。
「不満は、表に出た方がいい」
「水面下で腐るより、ずっと健全です」
それに、言葉だけの反発には実害がない。酒場で言われている限り、こちらの帳簿は一枚も動かない。
――今は、まだ。
夕方。執務室に、一人の老人が訪ねてきた。
「……失礼します」
背は低いが、姿勢は正しい。服は質素だが、清潔感がある。
「どなたですか?」
「農政担当補佐、ハインツと申します」
名前を聞いて、私は内心で頷いた。資料にあった。数少ない“現場を知っている”人物だ。
「話がある、と?」
「はい」
彼は、一瞬だけ躊躇してから言った。
「この改革……長くは持たないでしょう」
直球だ。
「理由を聞いても?」
「反発が大きすぎます」
「人は、急な変化を嫌います」
私は、彼をじっと見た。
「では、どうすればいいと?」
「……時間をかけるべきです」
私は、ゆっくりと首を横に振った。
「時間がありません」
「ですが――」
「この領地は、もう余裕がない」
「今、変えなければ、数年後には何も残らない」
ハインツは、黙り込んだ。
「あなたは、現場を知っている」
「だから、分かっているはずです」
私は続ける。
「変化を嫌う人より、変われない状況の方が、ずっと怖い」
老人は、長く息を吐いた。
「……覚悟は、おありなのですね」
「ええ」
即答した。
「嫌われる覚悟も」
「失敗の責任を負う覚悟も」
ハインツは、深く頭を下げた。
「……ならば、私も協力しましょう」
「助かります」
私は、初めて彼に微笑んだ。
夜。領主館の灯りが、ひとつ、またひとつと消えていく。
私は執務室に残り、窓の外を眺めていた。街は静かだ。だがその静けさの裏で、不満と不安が渦巻いている。今日一日で私に頭を下げた人数と、私の側に立った人数は、まるで釣り合っていない。
「歓迎されなくて、当然ね」
独り言のように呟く。
改革者は、最初から歓迎されない。それを分かった上で、私はここに立っている。
机の上には、新しい書類が置かれていた。農政に関する、ハインツの提案書だ。
――少しずつ、味方が増えている。
それだけで、十分だ。私はペンを取り、次の指示を書き始めた。
この領地を、本当に変えるために。
改革の数字が、いちばん最後に届く場所があります。




