第69話 エピローグ ―数年後―
王都中央広場。初夏の風が通り抜けていく。広場には市が立ち、人々の声が賑やかに響いていた。
果物、布地、鉄器。商人たちが声を上げ、買い手がそれに応じる。値札は書き換えられていない。日によって値が動かないというだけのことが、この広場ではひどく新しい。王都は活気に満ちていた。
「最近は穀物も安定してるな」
「協議院が価格調整してるらしい」
「国境も静かだ」
人々の会話は穏やかだった。昔の王都を知る者なら、この空気がどれほど珍しいものか分かるだろう。数年前、この国は崩壊の寸前にいた。銀行危機、国境衝突、市場暴落。
だが、今は違う。何かが劇的に良くなったわけではない。ただ、悪くなったときに誰かが数えて、誰かが直す仕組みができただけだ。
白曜宮、協議院議場。中央官僚、地方代表、軍部。円卓の議席は、すでに日常の風景になっていた。議論は多く、衝突もある。それでも国家は動く。個人の命令ではなく、制度の決定によって。
輸出枠の調整、地方税の再配分、軍需契約の見直し。議事録が淡々と積み上がっていく。どの頁にも英雄は出てこない。日付と、議題と、賛否の数だけが並んでいる。国家は、静かに運営されていた。
白曜宮の回廊で、レオポルドは窓から王都を見ていた。
「平和だな」
隣に立つガイウスが言う。
「危機の時ほど、静かなものです」
レオポルドは少し笑った。
「確かに」
沈黙のあと、彼は聞いた。
「彼女は?」
「クラウゼン領です。今年は農業改革だとか」
レオポルドは窓の外を見た。
「相変わらず忙しい」
「設計者ですから」
ガイウスも少し笑った。
遠くの地方、クラウゼン領。丘の上の屋敷で、私は書類を閉じた。窓の外には麦畑が広がっている。風が渡るたびに、穂が波のように揺れた。
「お嬢様」
執事が言う。窓辺の机には、朝から片づけていない領内の帳簿が三冊積まれたままだ。
「王都から書簡です」
私は封を開いた。協議院の議事録と、新しい制度案。条文の三つ目に、早くも読み替えのできる余地が残っている。目を通しながら、私は小さく笑った。
「まだ、修正が必要ですね」
「国家は大変ですね」
執事が言う。
私は窓の外を見た。麦の海が広がり、その向こうに王都がある。
「国家は完成しません」
私は言った。
「だから、面白いのです」
遠くで子供たちの声が聞こえる。平和な声だった。この子たちは、塩が消えた冬も、鉄が止まった夏も知らない。知らないままでいられるように作ったのだから、それでいい。
危機は去った。それでも、国家はこれからも動き続ける。
そして王都の酒場では、こんな噂が語られていた。
「昔、悪役令嬢って呼ばれた女がいたらしい」
「王太子と戦ったとか」
「いや、国家を作り直したんだ」
「本当か?」
誰も確かなことは知らない。だが、一つだけ言えることがある。国家は変わった。
そして歴史は時々、こう記す。王が国を治めることは多い。英雄が国を救うこともある。だが、ごく稀に。
国の設計図を描く者が現れる。それは王でも英雄でもない。
ただ一人の、設計者だった。
本作は「悪役令嬢」というジャンルから始まりながら、途中からかなり変わった方向へ進んだ物語でした。
恋愛や断罪から始まりながら、最終的には
「国家はどうすれば壊れにくくなるのか」
というテーマを描く物語になりました。
この物語で一番書きたかったのは、英雄の物語ではありません。
多くの物語では、強い王や英雄が現れて国を救います。
けれど現実の国家は、一人の英雄だけで長く続くものではありません。
制度。
構造。
均衡。
そういった目立たない仕組みが、実は国家を支えている。
本作の主人公エリスは、戦う英雄でも、王でもありません。
彼女はただ「設計図」を描いた人物でした。
中央と地方。
軍と市場。
それぞれの力がぶつかりながらも均衡する国家。
もしこの物語を読み終えた後に、
「この国はこの先どうなるんだろう」
と少しでも想像していただけたなら、作者としてとても嬉しく思います。
――最後にエリスが受け取った書簡には、まだ返事が書かれていません。




