第68話 王太子と設計者
白曜宮・西塔の回廊。夜の王都は静かだった。議場の灯りは消え、城の廊下には足音だけが響いている。
私は窓辺に立っていた。王都の灯りが広がっている。市場、港、街路。そのすべてが、今は静かに動いていた。灯りの一つ一つが、誰かの明日の商いだ。二年前の私には、それが数字にしか見えていなかった。
背後から声がした。
「終わったな」
レオポルドだった。私は振り向く。
「いいえ」
小さく笑った。
「国家に、終わりはありません」
彼も笑った。
「確かに」
回廊の窓から風が入ってくる。遠くで鐘が鳴った。
「協議院は機能している」
彼が言う。手すりに置いた手は、議場にいるときよりずいぶん力が抜けていた。
「中央も地方も軍も、思ったより早く慣れた」
「危機を経験しましたから」
私は答えた。危機は国家を変える。それを、私たちは身をもって知っている。ただし変わるのは、危機の前に設計図を持っていた場合だけだ。
レオポルドは窓の外を見た。
「昔は」
彼は静かに言った。
「王がすべてを決めていた。それが強い国家だと思っていた」
私は何も言わなかった。王がすべてを決める国で、私は一度、何も言えないまま裁かれている。
「だが、違った」
彼は続けた。
「強い国家とは、壊れにくい国家だ」
私は頷いた。
「だから、制度を作ったのですね」
沈黙のあと、彼がふと聞いた。
「君はどうして、そこまで国家を考える」
私は少し考えた。
「辺境だからです。中央が揺れると、地方が先に壊れます。だから」
私は窓の外を見た。
「壊れにくい国が、必要でした」
彼は小さく笑った。
「なるほど。辺境の設計者だ」
私は肩をすくめた。
「悪役令嬢とも呼ばれています」
レオポルドは笑った。
「その呼び名は、もう消える」
私は首を振った。
「消えません。人は物語を好みます。悪役令嬢の方が、覚えやすい」
それでいい、と今は思う。名前が残るより、七つの席が残る方が長く効く。
夜風が回廊を通り抜けていく。
「歴史は、どう書くだろうな」
レオポルドが言う。
「王太子が国家を改革した。そう書かれます」
彼は首を振った。
「違う」
静かな声だった。
「国家はすでに変わろうとしていた。ただ」
彼は私を見た。
「設計図が必要だった」
私は少しだけ笑った。
「設計図は、誰でも描けます。難しいのは、描いた本人がいなくなっても動く形にすることです」
「いいや」
レオポルドは言った。
「描けない。人は普通、今日の勝利だけを考える。だが君は、十年後を考える。国家百年の構造を考える」
彼は小さく息を吐いた。
「だから君は、政治家ではない。設計者だ」
夜の王都に、灯りが静かに広がっている。国家は今日も動いている。危機は去った。だが、未来は続く。
私は窓の外を見た。市場の灯りが、少しずつ落ちていく。明日も同じ時刻に、同じ数の灯りがつく。それを当たり前にするまでに、ずいぶん長くかかった。
「国家は、完成しません」
「だから、続く」
レオポルドが言った。
遠くで鐘が鳴る。王国は静かに夜を迎えていた。そして、その夜の中で。
一つの設計図が、確かに残った。
残った設計図が、数年後の広場からどう見えるか。




