第59話 氷の王女
王都南門。ノルディア王国の使節団の馬車列が、ゆっくりと入城した。銀狼の旗が風に揺れる。兵の規律は整い、無駄な動きが一つもない。
王都の人々は、道の脇からそれを見ていた。
「ノルディアの王女らしい」
「戦争になるのか?」
「王太子が退位すれば終わると聞いたが」
不安と好奇の混ざった声だった。
馬車の中央で、エリナ王女は静かに窓の外を見ていた。金色に近い銀髪と、氷のように透き通った瞳。
「思ったより静かな街ね」
「暴動が起きていると思いました」
侍女が言う。
「国家が崩れる時は、もっと騒がしいわ」
エリナは微笑んだ。
「ここはまだ、均衡が残っている」
白曜宮、暫定協議院の会議室。外交使節団との公式会談に、中央、地方、軍の全員が揃った。
エリナ王女が席に着く。
「ノルディア王国第一王女、エリナ」
静かな声だった。
「今回の交渉を担当します」
「王国の訪問を歓迎する」
ガイウスが応じた。
儀礼は短く、すぐに本題へ入った。
「国境の衝突は遺憾です。我が国は、安定を望みます」
レイスが低く言う。
「侵入がなければ、衝突もない」
エリナは気にした様子もなかった。視線がゆっくりと動き、私のところで止まる。
「あなたがエリス・フォン・クラウゼン?」
「はい」
沈黙。彼女は少しだけ笑った。
「噂通りね」
「どの噂でしょう」
「国家を再設計する女」
会議室が静かになった。エリナは続ける。
「我が国の提案は単純です。貿易再開、国境安定化、市場信用の回復」
誰も反対しない。だが、条件がある。
「王太子レオポルドの、正式退位」
空気が凍った。
「内政干渉だ」
ガイウスが言う。
「安定の条件です」
エリナの声は冷たかった。
私は静かに口を開いた。
「別の条件を提示します」
視線が集まる。
「暫定協議院による共同監査。王都銀行と市場構造の透明化。そこに、ノルディアも参加していただきます」
沈黙。エリナの眉が、わずかに動いた。
「市場を開くと?」
「はい。不正も、利益構造も」
会議室は静まり返った。エリナはゆっくりと言った。
「大胆ね」
「ですが」
私は続けた。
「国家の信用は、隠して守るものではありません。公開して守るものです」
沈黙。エリナは少し考えていた。
「面白い」
小さく笑う。
「王太子を差し出すより、市場を差し出す。そういう発想」
彼女の目が細くなった。
「あなたは、市場を理解している」
「理解しているつもりです」
エリナは席に深く座り直した。
「いいでしょう」
ざわめきが広がる。
「条件の変更を検討します」
レイスが目を見開いた。ガイウスも驚いている。
だが、エリナは続けた。
「ただし」
沈黙。
「黒曜会の構造。それを明らかにするのなら」
会議室の空気が一変した。
「ノルディアは、中立を保ちます」
つまり、外交圧力は止まる。
私は理解した。エリナは戦争を望んでいない。彼女が見ているのは、市場だ。
「交渉成立ですね」
私が言うと、エリナは小さく笑った。
「まだよ」
彼女はゆっくりと言った。
「黒曜会は、簡単には捕まらない。そして」
視線が鋭くなる。
「あなたも、まだ均衡の外にいる」
沈黙が落ちた。それでも、一つだけ確かなことがある。外交戦は終わっていない。だが、戦争の可能性は、わずかに遠のいた。
王都の夜、カルドは報告を聞いていた。
「王女が条件を変えた?」
部下が頷く。カルドは少し考えた。
「面白い」
小さく呟く。
「国家、地方、外交。三つの均衡」
彼は窓の外を見た。
「だが、市場はまだ我々の中にある」
静かな声だった。
「最終局面は、これからだ」
最終局面。
それが誰にとっての最終なのかを、まだ誰も口にしていない。
どちらにも付かずにいた人が、そろそろ決めます。
――氷の王女が気に入った方、評価をひとつ。




