第58話 市場の支配者
王都・西区。表通りから一本外れた場所に、石造りの館が建っている。豪奢ではない。だが、古い。長い時間そこにあり続けたことだけが、外から見て分かる建物だった。
書斎では、カルド・ヴァレンシュタインが静かに書類を眺めていた。
「暫定協議院、第一決議」
彼は報告書を閉じた。
「思ったより早いな」
対面の男が答える。
「地方資金が市場を支えています。軍も、協議院側に付きました」
カルドは頷いた。
「国家が自力で立ち直る兆しだ」
沈黙。だが、その表情は少しも変わらない。負けを認めるでも、慌てるでもない。予定の一つが外れた、という顔だった。
「だが、問題ない」
部下が眉をひそめた。
「問題ない、ですか」
カルドは机の上の別の資料を開いた。王都銀行の外債一覧。戦時債権、国債、軍需貸付。
「国家は巨大だ」
彼は言った。
「巨大なものは、必ず資金を必要とする」
静かな声だった。
「危機がなくても、国家は借りる。危機があれば、もっと借りる」
沈黙。
「そして」
カルドは窓の外を見た。王都の灯りが広がっている。
「恐怖があれば、市場は我々に資金を預ける」
「暫定協議院は、恐怖を減らしています」
「一時的にな」
カルドは笑った。
「構造は変わっていない」
彼は紙を一枚差し出した。そこには数字が並んでいる。地方補給網、軍需支出増、市場安定化基金。
部下は理解した。
「国家の借入が、増える」
「そうだ」
カルドは頷いた。
「彼女は国家を救おうとしている。だが同時に、国家の資金需要を増やしている」
沈黙のあと、部下が言った。
「つまり、我々の市場も大きくなる」
カルドは静かに微笑んだ。
「だから私は、戦争を望まない。だが、不安定は歓迎する」
同じ頃、白曜宮。私は市場報告を読んでいた。鉄価格は安定し、外債も落ち着き始めている。
だが。
「違和感があります」
ガイウスが顔を上げた。
「何だ」
「黒曜会の資金が、引いていません」
沈黙。
「むしろ、市場の別の部門へ移動しています」
私は数字を示した。
「国債市場です」
ガイウスの目が細くなる。
「国家債権に流れているのか」
つまり、国家が動くほど、黒曜会は利益を得る。
私は静かに言った。
「カルドは、市場を敵にしていません。国家を、市場に組み込んでいるのです」
沈黙。ガイウスが低く言う。
「危険な構造だ。国家が市場の人質になる」
私は窓の外を見た。王都の灯り。私はずっと、相手を国家の敵だと考えていた。違う。彼らは国家が続くことを望んでいる。ただし、常に金を借り続ける国家として。
カルドは国家を壊そうとしていない。支配しようとしている。
「金融の支配」
それが、黒曜会の本体だった。
その時、書記官が入ってきた。
「外交報告です。ノルディア王国、王女エリナが使節団を率いて王都へ向かっています」
沈黙が落ちた。
「本気の交渉だ」ガイウスが言う。「王族を出してくるということは、条件を下ろす気がないという意味でもある」
私は理解した。黒曜会、暫定協議院、ノルディア。三つの力が交差しようとしている。国家の均衡は、まだ決まっていない。
そして、王都へ向かう馬車の中で、エリナ王女は静かに王都の地図を見ていた。
「面白い国ね」
小さく呟く。
「王太子は失脚。地方の女が国家を動かす」
「介入なさるのですか」
侍女が問う。
王女は微笑んだ。
「いいえ。観察するの」
窓の外に、王都の城壁が見えてきた。
「均衡が変わる瞬間は」
彼女は言った。
「いつも美しいもの」
その瞬間を誰の手で来させるのかは、王女の胸の中にだけあった。
その瞬間に立ち会うために、隣国から人が来ます。




