第51話 可決前夜
白曜宮・円卓会議室。協議院設置法案の最終修正案が、机の上に置かれていた。
地方代表七名、中央官僚七名。公開監査の常設化。危機時の共同流動基金。
ここまで来た。
ガイウスが静かに言う。
「賛成多数の見込みだ」
空気がわずかに緩む。私は紙面に目を落としたまま答えた。
「反対派は」
「減った。だが、消えてはいない」
当然だった。制度は必ず、誰かの利益を削る。削られる側は、可決の日まで反対をやめない。
扉が開き、レオポルドが入室した。表情はいつも通り静かだが、今日はわずかに柔らかい。
「南方は?」
「維持されました。内部監査の強化で合意しています」
彼は小さく頷いた。
「地方が揺らがなければ、中央も持つ」
沈黙。円卓には、署名欄の並んだ紙が置かれている。あと一歩だ。
「明日、採決だ」ガイウスが言う。「殿下、最後に一言を」
レオポルドは少し考え、それから私を見た。
「お前は何を言う」
不意の問いだった。私は少しだけ考えた。
「国家は、対立で保たれるのではない」
静かに言う。
「役割で保たれる」
沈黙のあと、レオポルドはわずかに口元を上げた。
「では私は」
彼は続けた。
「国家は信用で保たれる、と言おう」
目が合う。短い共鳴だった。国家をどう支えるかについて、この人と私は違う言葉を使い、同じ形を描いている。政治という言葉は、この一致を説明しない。
夜、白曜宮の回廊で、私は一人窓辺に立っていた。王都の灯りが広がっている。断罪の日も、同じ景色だった。あのときは孤立していた。今は違う。
背後に足音がした。振り向かなくても分かる。
「勝ったと思うな」
アルベルトだった。
「思っていません」
「黒曜会は沈黙している」
「嵐の前の静けさですね」
彼は窓の外を見た。
「協議院が通れば、王都の力学は変わる」
「ええ」
「均衡が崩れる」
彼の声は低かった。
「お前は、その重さを理解しているか」
私はゆっくりと答えた。
「国家を再設計するということは、敵を作るということです」
沈黙。
「危険な女だ」
「光栄です」
彼は去っていった。一人になると、胸の奥にわずかな違和感が残る。うまく行きすぎている。成功は、常に反動を生む。
その時、急ぎの伝令が駆け込んできた。
「殿下に緊急報告!」
会議室に戻ると、空気が張り詰めていた。レオポルドの前に封書が置かれている。王都新聞の特別号だった。
見出しが、赤く躍っている。王太子、銀行危機を利用か。副頭取失踪に王命関与疑惑。
誰も言葉を発しなかった。レオポルドは静かに記事を読んでいる。表情は変わらない。
「出所は」
ガイウスが問う。
「匿名文書です。内部告発と称しています」
「証拠は」アルベルトの目が鋭くなる。
「副頭取の証言書とされるものが添えられています」
偽造だ。だが、精巧だった。二年前、私を裁いた罪状もこの程度には整っていた。整っている書類ほど、確かめられずに通る。
私は紙面を握りしめた。
「採決の前夜に」
狙いは明白だった。協議院を止めるためではない。王太子を止めるためだ。
レオポルドがゆっくりと顔を上げた。
「予定通り採決する」
ガイウスが息を呑む。
「殿下、世論が」
「国家は新聞では動かぬ」
静かな声だった。だが、その目の奥にわずかな影がある。
嵐が、来る。
可決前夜。希望と疑惑が、同時に王都を覆った。
採決の朝、新聞は法案の話をしていません。




