第44話 通告
王都議場に、異国の紋章が掲げられた。銀狼の旗――隣国ノルディアの外交使節団。
使節長エーヴァルトは、無駄のない礼を取った。所作の一つ一つが、こちらの格式に合わせて正確に調整されている。礼を欠いていないという事実だけを、後で記録に残すための礼だった。
「ノルディア王国は、王都銀行の外債比率の増大を懸念している」
静かな声だった。
「よって、関税優遇措置の再検討を行う」
ざわめきが広がる。実質的な圧力だ。貿易が縮めば資金が流れ出し、さらなる信用不安を呼ぶ。しかも、こちらから止める手段がない。相手の国内事情という顔をしているからだ。
レオポルドは微動だにしなかった。
「我が国は、支払い能力を維持している」
「現時点では」
エーヴァルトは淡々と返した。冷たい外交だった。これは交渉ではなく、牽制だ。
議場の空気が重くなる。
その夜、緊急の財政会議が開かれた。ガイウスが数字を示す。
「貿易縮小が現実化すれば、中央税収はさらに三%減。合計で八%です」
軍費が削られる規模だった。国境が緊張しているときに、その国境を守る金が減る。順番として、いちばん悪い。
アルベルトが口を開く。
「この状況で制度の改変は危険です」
視線が私に向く。
「地方協議院の設置は、中央の求心力をさらに削ぎます」
「逆です」
私は言った。
「地方と中央が連携すれば、資金の流動は安定します」
「理想論だ」
アルベルトの声は冷たい。
「市場は、理想では動かぬ」
レオポルドが静かに問うた。
「地方は、どこまで支えられる」
「短期的には三割の補填が可能です」
私は即答した。
「ですが長期には、制度が必要です」
沈黙。ガイウスが低く言う。
「殿下、まずは安定化が優先かと」
「協議院案は、一時凍結を」
アルベルトが続けた。
重い空気だった。レオポルドは目を閉じる。数秒。やがて口を開いた。
「……制度審議を、一時停止する」
胸が静かに沈んだ。ここまで積み上げた数字が、一枚の新聞と一つの通告に負けた。
「国家の安定が最優先だ」
正しい。あまりにも正しい判断だった。今この場で協議院を通しても、市場は落ち着かず、軍は割れる。私は反論しなかった。政治は、理屈だけでは進まない。
会議が終わり、廊下でアルベルトが近づいてきた。
「理想は美しい」
低い声だった。
「だが国家は、理想では守れない」
私はまっすぐ返した。
「恐怖で守る国家も、長くは続きません」
彼の目が、わずかに揺れた。この人は、私の言葉に反論しなかった。反論できなかったのか、しなかったのかは分からない。
「お前は危険だ」
「光栄です」
すれ違う。その背に、冷たい気配が残った。
夜、客間で一人考えた。否決。敗北。協議院は棚上げ。地方の資金は動いているのに、それを支える制度だけがない。制度のない支援は、次の政変で全部なかったことにできる。
私は、初めて迷った。速度が速すぎたのか。それとも、信頼が足りなかったのか。
窓の外、王都の灯りが揺れている。信用はまだ不安定だ。そして私は、まだ国家の中にいる。終わってはいない。
だが、痛みは確かにあった。
外からの通告が届いたその日、内側でも一つ、数字が動いていました。




