第43話 信用の裂け目
王都銀行本店は、異様な静けさに包まれていた。取り付け騒ぎは抑え込まれている。それでも、この沈黙の方が重い。
「帳簿を出せ」
ガイウスの低い声が、役員室に響いた。支店長が震える手で書類を差し出す。
私はレオポルドの後ろに立っていた。正式な立場ではない。それでも、同席だけは許されている。
数字が並ぶ。融資比率、担保評価、外債比率。
ガイウスの眉が、わずかに動いた。
「……外債が多い」
支店長が答える。
「隣国ノルディアとの交易拡大に伴い、短期の借入を――」
「担保は?」
「将来税収予測です」
空気が凍った。
「誰の試算だ」レオポルドの声は低い。
沈黙のあと、支店長が答えた。
「……王都財務院の、旧モデルです」
ガイウスがゆっくりと息を吐いた。
「楽観的すぎる」
私は理解した。中央は、地方が停滞し続けることを前提にした安定モデルを使っていた。だが実際には、地方はもう動いている。前提が崩れれば、その上に積まれた信用も崩れる。
「隣国が引き揚げたのは?」
「外債比率の急上昇を、察知したためかと」
つまり王都銀行は、中央の楽観試算そのものに寄りかかっていた。信用の裂け目は、外からではなく内側から入っていたのだ。
その時、扉が開いた。アルベルトが入室する。
「殿下」
視線が交差する。
「状況は」
「制御下だ」
レオポルドは短く答えた。アルベルトは書類に目を落とす。一瞬だけだった。だが、理解は速い。
「地方強化の影響もあるでしょう」
静かな声だった。
「税収予測が変動し、中央の担保モデルが揺らいだ」
空気が張り詰める。私は口を開いた。
「地方の成長は問題ではありません。問題は、中央が試算の更新を怠ったことです」
アルベルトの目が冷えた。
「地方の急進的な改革が、市場を不安にさせた」
「違います」
即答した。
「透明化すれば、不安は抑えられます」
「理想論だ」
「実証できます」
沈黙が落ちる。レオポルドが静かに言った。
「今は責任追及の時ではない。信用を守る」
アルベルトはわずかに頭を下げた。
「承知しております」
だがその目は、明らかに別の計算をしていた。
その夜、王都議会で緊急会議が開かれた。アルベルトが発言する。
「王都銀行の信用が揺らいだ背景には、急進的な地方政策の影響も否定できません」
ざわめきが広がる。
「国家は安定を最優先すべきです。今は、新制度の審議を凍結すべきではないでしょうか」
狙いは明白だった。地方協議院案の棚上げ。
私は傍聴席からそれを見ていた。怒りはない。冷たい理解だけがある。危機が起きたとき、いちばん早く動けるのは、危機を待っていた人間だ。だから彼の原稿は、今夜の議題より先に書き上がっていた。
危機は、利用される。
レオポルドが静かに立ち上がった。
「制度審議は継続する」
議場が静まり返る。
「危機だからこそ、構造を見直す」
「殿下は、地方案を支持なさるのですか」
アルベルトが問う。
一瞬の沈黙があった。
「支持はしない」
ざわめき。
「だが、検討は止めぬ」
絶妙な距離だった。私は息を吐く。王太子は守っていない。だが、切り捨ててもいない。
政治だ。
会議のあと、廊下でレオポルドが私を呼び止めた。
「分かっているな」
「はい」
「これは偶然ではない可能性もある」
背筋が冷えた。銀行の帳簿にあった外債の膨らみ方は、放っておいて自然にああなる形ではなかった。誰かが、崩れやすい場所に重りを足している。
「意図的に、信用を揺らした者がいるかもしれぬ」
アルベルトか。それとも銀行の内部か。
「証拠はない。だが疑念はある」
彼の目は冷静だった。
「国家を守るためなら、私は冷酷になる。お前も覚悟しておけ」
私はまっすぐ見返した。
「既にしております」
王都の夜は深い。信用は、国家の血流だ。その血流に、裂け目が走った。
これは危機か。それとも、再設計の入口か。
まだ、誰にも分からない。
裂け目に気づいたのは、この国だけではありません。
――列に並ぶ人たちの不安が伝わった方、評価で教えてください。




