第4話 数字は嘘をつかない
翌朝、執務室の前には、予想以上の量の書類が積み上げられていた。
帳簿、報告書、申請書。中には紙が黄ばんで文字がかすれているものもある。倉庫の奥から出てきたのだろう、埃の匂いが廊下まで届いていた。一晩でこれだけ運んだということは、隠す時間がなかったということでもある。
「……全部、ですか?」
控えめに声をかけてきたのは、若い女性だった。昨日の役人たちとは違い、姿勢がよく、目に緊張が宿っている。
「はい。言われた通り、倉庫にあった分も含めて」
「名前は?」
「マリア・レインフォードと申します。書記官です」
私は一瞬だけ彼女を見た。逃げない目。誤魔化さない声。
「助かります、マリア。これから忙しくなりますよ」
そう告げると、彼女は一瞬驚いた顔をしてから、深く頭を下げた。
「はい。ご命令でしたら」
……いい反応だ。
私は早速、書類の山に手を伸ばした。まずやるべきことは一つ。感覚を捨てる。
「年度別に分けてください。あと、支出項目ごとに」
「承知しました」
マリアは即座に動いた。指示の意図を理解している。これは貴重だ。
午前中は、ひたすら数字と向き合った。紙の上に書かれた数字は、雄弁だ。人は嘘をつくが、数字は積み上げれば必ず歪みを見せる。一枚では分からないものが、五年ぶんを横に並べた瞬間に形になる。
「……やっぱり」
私は、ある支出項目で手を止めた。道路整備費。毎年、一定額が計上されている。だが、現地の道路状況を考えれば、不自然だ。
「マリア、この年度と、この年度を比べてください」
「……ほぼ同額ですね」
「ええ。でも、工事内容が違う」
私は紙を並べる。
「本来なら、初年度は高く、次年度以降は下がるはず」
「それが、ずっと横ばい。つまり――」
「実際には、工事していない……?」
「もしくは、必要以上に水増ししている」
マリアは、息を呑んだ。
昼過ぎ。他の役人たちが、様子をうかがうように執務室を覗いていた。誰も、積極的に関わろうとしない。
私は構わず、次の項目に移る。倉庫管理費。備品購入費。警備費。
どれも、少しずつおかしい。大きな不正ではない。だが、“少しずつ”が積み重なっている。
「……巧妙ね」
これを設計した人間は、頭が切れる。一目で分かる不正は、すぐに叩かれる。だから、誰も驚かない額を選び、長い時間をかけて吸い上げる。抜いた額より、抜き方の方がよほど手が込んでいた。
「これ、誰の管轄ですか?」
マリアが書類を確認する。
「……バルツ様、ですね」
なるほど。昨日の領主代行。
私は、内心で小さく頷いた。
夕方。紙の山は、かなり低くなっていた。代わりに、私の手元には、整理された表がある。
「これが、現状です」
私は紙に視線を落としながら、独り言のように言った。
「歳入は、確かに少ない」
「でも、それ以上に――無駄が多すぎる」
本来、維持できるはずの規模を、自分たちで削っている。理由は簡単だ。誰も、全体を見ていない。
「エリス様……」
マリアが、少し迷うように声をかけてきた。
「この内容、公開されるのですか?」
「ええ」
即答した。
「隠す理由がありません」
「反発が……」
「あるでしょうね」
私は顔を上げる。
「でも、必要です」
「数字を共有しない改革は、独裁と同じです」
マリアは、しばらく考え込んでから、静かに頷いた。
「……分かりました。お手伝いします」
その言葉に、私は初めて、はっきりと微笑んだ。
夜。執務室に、バルツが訪ねてきた。
「ずいぶんと、熱心ですな」
探るような口調だった。だが視線は、机の上の紙に釘付けになっている。どの束をこちらが開いたのかを、目だけで数えている。
「当然です」
私は答える。
「この領地の赤字、想像以上でした」
「……細かい数字に拘っても、意味はありませんぞ」
「現場は、もっと――」
「現場を壊しているのが、その“細かい数字”です」
私は、表を一枚、彼の前に差し出した。
「道路整備費。倉庫管理費。警備費」
「説明していただけますか?」
バルツの表情が、一瞬で硬直した。
「……記録の不備でしょう」
「三年連続で、ですか?」
沈黙。私は、穏やかに告げた。
「明日、役人全員を集めます」
「この数字を、皆で確認しましょう」
「それは……!」
「公開の場で行います」
バルツは、何か言いかけて、口を閉じた。拒否権がないことを、理解したのだろう。
彼が去った後、マリアが小さく息を吐いた。
「……怖くありませんか?」
「怖いですよ」
私は正直に答えた。
「でも、怖がって止まるなら、最初から来ていません」
机の上には、赤字の原因が、はっきりと並んでいる。
――明日。
この領地で、最初に椅子を失う人間が決まる。
そう確信しながら、私はペンを置いた。
彼女はその帳簿を、金庫ではなく大広間へ出します。
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