第3話 私は悪役令嬢で結構です
辺境領クラウゼンの領都は、想像以上に静かだった。
人がいないわけではない。だが、活気がない。通りを歩く人々の表情は硬く、足取りは重い。店先に並ぶ品も少なく、値札だけがやけに目立っている。
――数字どおりね。
王都で読んだ報告書には、税収の落ち込みと人口の減少しか書かれていなかった。だが数字が痩せている土地は、必ず人の歩き方に出る。次に買うものを決めていない足取りだ。
私は馬車を降り、周囲を一瞥した。迎えに来ていたのは、最低限の人数だった。形式的な礼をする役人が三人。そして、視線を合わせようとしない兵士が数名。
「ようこそ、クラウゼン領へ。領主代行、バルツでございます」
前に出てきたのは、初老の男だった。腹は出ていて、姿勢が悪い。服は高価だが、手入れが行き届いていない。袖口の刺繍は流行が二つ前のもので、それを買った頃には金があったことだけが分かる。
……帳簿を見なくても分かる。この男は、現場を知らない。
「エリス・フォン・クラウゼンです。今日から、この領地の責任者になります」
私がそう告げると、バルツは一瞬だけ表情を強張らせた。すぐに、作り笑いを貼り付ける。
「お若い領主様ですな。どうぞ、ご無理なさらず」
その言葉に、含みがあることくらい、誰にでも分かる。
――どうせ何もできないだろう、と。
「ええ。無理はしません」
私は頷いた。
「その代わり、必要なことは全てやります」
空気が、わずかに張り詰めた。
案内されて入った領主館は、外観に比べて中がひどかった。装飾は豪華だが、実用性がない。廊下は無駄に長く、執務室は書類で溢れている。
整理されていない。管理されていない。そして――責任の所在が曖昧。書類が積まれているのに、どれを誰がいつ止めたのかが一枚も分からない。ここでは、止めた人間が誰にも見えないようになっている。
「これが、現在の執務室です」
バルツが胸を張る。
私は答えず、机の上に積まれた書類を一枚手に取った。日付は、三年前。しかも、内容はすでに期限切れの案件だった。
「……これが、最新ですか?」
「は、はい。特に問題は――」
「あります」
私は即答した。
「この書類、処理済みのはずですよね。なぜ、ここに?」
バルツは言葉に詰まった。後ろにいた役人たちが、視線を逸らす。
なるほど。“誰も責任を取らない”構造だ。
「本日から、この執務室の運用を変えます」
私は淡々と告げた。
「未処理案件と、処理済み案件を分けてください。日付順で」
「あと、担当者名を必ず明記するように」
「……前例が」
「不要です」
私は視線を上げ、役人たちを見渡した。
「前例が、この状況を作ったのですから」
誰も口を開かなかった。その場にいた全員が、私を値踏みするように見ている。この新しい領主が、どこまで本気なのか。半年でいなくなる人間の言うことなら、聞く必要はない。彼らはそう計算している。
私は、そこで一つだけ、はっきりと言葉を置いた。
「勘違いしないでください」
「私は、皆さんに好かれに来たわけではありません」
ざわり、と空気が揺れた。
「この領地を立て直すために来ました」
「邪魔をするなら、排除します」
「協力するなら、身分に関係なく評価します」
淡々と、事実だけを並べる。脅しではない。方針説明だ。
「……悪役令嬢、と呼ばれているそうですね」
誰かが、小さく呟いた。おそらく、悪意を込めたつもりだったのだろう。
私は、少しだけ口元を緩めた。
「ええ。そうです」
そして、はっきりと言った。
「悪役で結構です」
誰かを救う改革は、必ず誰かに嫌われる。それを恐れていては、何も変えられない。
「では、最初の仕事です」
私は机を指で叩いた。
「この領地の帳簿、全て提出してください」
「期限は、明日の朝まで」
一斉に、ざわめきが起きた。
「そ、それは……量が多すぎます」
「古いものも含めると――」
「全てです」
私は言い切った。
「隠すものがないなら、問題ないでしょう?」
誰も、答えられなかった。
役人たちが退出していく中、バルツだけが残った。額に、うっすらと汗をかいている。
「……強引すぎでは?」
「必要なだけです」
私は視線を外し、窓の外を見た。荒れた街並みが、夕暮れに沈んでいく。屋根の直っていない家が三軒に一軒はあり、直せる金がないのか、直す気がないのかは、ここからでは分からない。
「この領地は、もう余裕がありません」
「優しさだけで守れる段階は、過ぎています」
バルツは、何も言えなかった。
その夜。私は一人、執務室に残り、白紙の紙を一枚、机に置いた。
上に、こう書く。
――クラウゼン領 再建計画(草案)
誰に理解されなくてもいい。嫌われてもいい。
結果だけが、全てだ。
「……まずは、三日」
私はペンを置き、静かに呟いた。
三日あれば、この領地の無駄は、洗い出せる。
翌朝、執務室の前に積み上がるのは、三年ぶんの言い訳です。




