第33話 悪役令嬢の言葉
翌朝、広場には人が集まっていた。
噂は早い。連合代表を辞すという話は、すでに街の隅々まで広がっている。ざわめきと、不安と、疑念。そのどれもが、こちらを向いていた。
私は壇上に立った。マリアが少し離れた場所で見守っている。ヴィクトールは腕を組んだまま、視線を逸らしていた。用意した紙は持ってこなかった。数字を読み上げる場ではないと、昨夜のうちに分かっていたからだ。
深く、息を吸う。
「……昨日、私は連合代表を辞すると言いました」
ざわめきが広がった。
「それは、合理的だと思ったからです。王都が問題にしているのは、私個人です。ならば、私が退けば連合は守れる」
誰も拍手をしない。当然だった。理屈が正しいことと、人がそれを受け入れることは別だ。
「ですが」
そこで、言葉が一度止まる。それでも、迷わずに続けた。
「それは、逃げでした」
ざわめきが止まった。ヴィクトールがゆっくりと顔を上げる。
「私は、合理的であろうとしました。冷静であろうとしました。感情に流されれば、判断を誤るからです」
声は震えていない。だが、胸の奥は熱かった。
「ですが」
私は広場を見渡した。工房主がいる。商人がいる。農夫がいる。塩の値が上がった日に列に並んでいた人たちが、今日は列ではなくこちらを向いて立っている。リリアもいた。
「私は、皆さんを守りたいと思っています。それは、合理ではありません」
空気が変わった。
「私が断罪された日、私は誰にも守られませんでした」
ざわめきが走る。
「事実ではなく、“物語”で裁かれました。だから私は、数字を選んだのです。数字は、嘘をつかないから」
一度、息を吸う。
「ですが、人は数字だけでは動かない」
ヴィクトールの目が揺れた。
「私は、冷たいと言われます」
小さな笑いが起こった。否定の笑いではなかった。
「それは、否定しません。ですが」
声を強める。
「私は、この領地を好きになりました」
広場が静まり返った。
「黒字だからではありません。連合だからでもありません。ここで生きる人たちが、必死だからです」
胸が熱い。こんな話し方は、王都では一度もしたことがなかった。あちらでは、感情を見せた瞬間に議論が終わる。ここでは、感情から始めなければ何も始まらない。
「悪役令嬢と呼ばれても構いません」
静かに、しかしはっきりと言った。
「ですが、私は逃げません。連合代表を辞しません」
ざわめきが再び広がる。
「王都が私を問題視するなら、正面から受けます。ですが、皆さんを盾にはしません。決断は、皆さんに委ねます」
声を落とした。
「それでも共に歩むなら、私は最後まで責任を取ります」
長い沈黙があった。風が広場を渡り、天幕の布がゆっくりと鳴った。
やがてヴィクトールが、ゆっくりと拍手した。一度、二度。その音が広場に広がっていく。リリアが泣きながら手を叩いている。次に工房主が、農夫が、商人が続いた。
拍手が、大きくなった。マリアが涙を拭っている。
南方領主が、静かに言った。
「……冷たいな」
私は小さく笑った。
「ええ」
「だが」彼は続けた。「本音を言うなら、最初からそう言え」
笑いが広がる。強張っていた顔が、ひとつずつほどけていく。
「連合は続ける」
その一言で、空気が変わった。私は深く息を吐いた。
合理ではない。感情だ。私がずっと信用してこなかったものが、今日はいちばん強く効いている。
悪役令嬢。その名は、消えないだろう。だが今日。
その名の中身が、少しだけ書き換えられた。
書き換えた先を、王都はどう読むだろう。
書き換えられた物語は、王都の議場にも届きます。
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