第25話 鉄が止まる日
塩の価格が落ち着いてから、四日。市場に、別の沈黙が広がった。
「……鍛冶工房が、止まりました」
マリアの報告は短かった。
「理由は?」
「鉄材不足です。王都経由の入荷が、全面停止しています」
私はゆっくりと立ち上がった。
「在庫は?」
「大工房が三日分。小規模なところは、今日で尽きます」
三日。塩とは違う。鉄は、代わりがきかない。
午後、工房街を視察した。炉はまだ赤い。だが、火力が明らかに弱い。燃やすものがないのではなく、打つものがないのだ。
「領主様」
老鍛冶が低く頭を下げた。
「鉄がなければ、刃も農具も作れん。修理も止まる」
「価格は?」
「王都鉄は三割上がった。しかも、入らん」
三割の値上げと、供給ゼロ。市場の揺らぎとは質が違う。これは生産そのものの停止だ。
執務室に戻ると、ヴィクトールが重い声で言った。
「本命だな」
「ええ」
私は帳簿を開いた。鉄関連の産業は領内収入の二割を占めている。ここが止まれば、黒字は即座に崩れる。
「王都鉄業組合から通知は?」
マリアが書簡を差し出す。安全基準再検査のため出荷停止、辺境向けは優先順位を下げる。合法で、丁寧で、明確な締め上げだった。
「……塩の報復だ。独占に穴を開けたからな」
私は否定しなかった。
「想定内です」
「対策はあるのか?」
「あります」
私は地図を広げ、北の山地に指を置いた。
「北方の鉱山です。小規模ですが、鉄鉱石は出ます」
「精錬設備がない」ヴィクトールが眉をひそめる。
「だから、作ります」
沈黙が落ちた。
「今からか?」
「三か月以内に」
「無理だ」
「無理では、ありません」
私は資料を差し出した。簡易炉の設計、必要資材の一覧、人員の配置まで書き込んである。
マリアが目を見開いた。
「……いつの間に」
「依存率を見た時点で、準備していました」
鉄が八割依存。あの数字を見て放置する気は、最初からなかった。
ヴィクトールは私を見つめた。
「精錬は、時間も金もかかる。王都が止めにくるのは、完成前だぞ」
「ですから、完成前に噂を流します。クラウゼンは自前で鉄を作る、と」
「ブラフか」
「半分は本気です」
その夜、王都鉄価格がさらに上がった。市場がざわつき始める。
「買い占めが始まっています」
「止めません」私は首を振った。「価格が上がれば、王都も苦しくなります」
「どういうことですか?」
「鉄業組合も、売らなければ利益にならない。価格を上げすぎれば、他の領地まで代替を探し始めます。独占は、そこから揺らぐ」
「賭けだな」
ヴィクトールが低く言った。
「ええ」
私は窓の外を見た。炉の煙が、細くなっている。
「三日以内に、王都は判断します。価格を戻すか、本格封鎖に踏み切るか」
翌朝、王都鉄業組合から新たな通達が届いた。限定数量に限り出荷再開、価格据え置き。
マリアが息を吐く。
「……完全停止は、しませんでした」
「できないのです。彼らにも、利益が要りますから」
炉の火は、完全には消えなかった。鉄の依存率は八割から七割弱へ。数字の上ではわずかな動きでしかない。
「削られているが、崩れてはいない」
ヴィクトールが低く言った。
「ええ。王都は、長期戦を覚悟しています」
「こちらもな」
彼の目に、決意の色が差した。
鉄は守った。だが、信用はまだ揺れている。数字が戻っても、人の判断は戻らない。
そして机の上に、新たな報告書が置かれた。大口商会、一社撤退検討。
私は静かに息を吐いた。
撤退を検討しているのがどこの商会なのか、報告書はそこだけを書いていなかった。
一社が抜けたあとに、抜けた穴の大きさが見えてきます。




