第18話 合理主義者同士
レオンハルト・ヴェルナーは、その夜も領主館に残っていた。
監査官としての業務は、すでに形式上は終わっている。書類も封をした。それでも彼は帰らなかった。
「……まだ、何か?」
執務室を訪ねてきた彼に、私はそう問いかけた。
「少し、話を」
「公式ではない形で」
マリアは一瞬こちらを見たが、私が頷くと静かに席を外した。
部屋に残ったのは、私と彼だけだった。窓の外では、修繕された水路の水音が微かに聞こえている。半年前まで、この時刻のこの窓の外は無音だった。
「率直に聞きます」
レオンハルトは、前置きなく言った。
「なぜ、そこまでして改革を?」
「合理的だからです」
即答だった。この問いに時間をかければ、答えを作っていると思われる。
「この領地は、改革しなければ滅びる」
「それだけの話です」
「感情は?」
「判断材料にはなりません」
彼は、少しだけ口元を歪めた。
「……王都でその答えを言えば」
「あなたは、即座に排除されます」
「知っています」
私は、書類から目を離さずに答えた。
「だから、ここにいます」
彼は、しばらく黙っていた。
「あなたの改革は、正しい」
レオンハルトは、静かに続けた。
「ですが、王都は“正しさ”で動いていません」
「均衡で動いている」
私は、ようやく彼を見る。
「均衡、ですか」
「はい」
「多少の腐敗は、安定のために許容される」
「それが、王都の論理です。腐っている部分を切れば、そこを支えにしていた別の部分が倒れる。だから誰も切らない」
「……効率が悪い」
私がそう言うと、彼は小さく笑った。
「でしょうね」
「だから、あなたは危険だ」
「改革者は、いつもそう言われます」
私は、淡々と返す。
「結果を出すと、秩序を壊す」
「秩序を守る側から見れば、脅威です」
レオンハルトは、黙って頷いた。
「では、聞きます」
彼が、視線を鋭くする。
「もし、王都から“改革の停止”を命じられたら」
「あなたは、従いますか?」
一瞬も、迷わなかった。
「いいえ」
即答だった。
「従いません」
「やり方を変えるだけです」
「反逆と、どう違う?」
「結果です」
私は、静かに言った。
「この領地が、王都にとって“利益”である限り」
「反逆にはなりません」
彼は、深く息を吐いた。
「……実に、現実的だ」
「現実しか、相手にしていませんから」
再び、沈黙。やがて、彼は椅子から立ち上がった。
「あなたは」
「王都を変えるつもりは?」
「ありません」
私は、きっぱり答えた。
「私は、ここを変えるだけです」
「それが波及するなら……それは、王都の問題です」
「……逃げ道を、作っている」
「生き残るために、です」
彼は、しばらく私を見つめていた。そして、ふっと笑った。
「やはり、嫌いじゃない」
その言葉に、私は少しだけ眉を上げる。
「それは、どうも」
扉の前で、彼は足を止めた。
「忠告を一つ」
振り返らずに言う。
「次に来る圧は」
「数字ではなく、“物語”です」
「物語?」
「あなたを、“危険な悪役令嬢”として語る」
「改革の中身ではなく、人物像を攻撃する」
扉が開く。
「その時、あなたは」
「数字だけでは、守れません」
彼は、それだけ言って去った。静けさが戻る。私は、机の上の帳簿と報告書を見下ろした。この半年で積み上げたものは、全部この紙の上にある。紙の上にしかない、とも言える。
「……物語、ですか」
数字は、嘘をつかない。だが、人は数字よりも物語を信じる。私を裁いたのも数字ではなかった。あの日、謁見の間には一枚も帳簿が出てこなかった。
その夜。私は、新しい紙を一枚取り出した。
――対外説明戦略。
改革は、次の段階に入った。
数字の戦いから、認識の戦いへ。
彼が去ったあとに、一つだけ数字が合わなくなります。




