第17話 王都からの使者
王都監査官の到着は、驚くほど静かだった。
事前の通達はあった。だが、儀仗もなければ、大げさな行列もない。ただ一台の馬車が、領主館の前に止まっただけだ。
「……随分と、簡素ですね」
マリアが小声で言う。
「監査官としては、正しい」
私は答えた。
「派手に来るのは、圧をかけたい時です」
「今回は――見るつもりでしょう」
馬車の扉が開く。降りてきたのは、背の高い青年だった。
年の頃は、二十代後半。装いは地味だが、仕立ては良い。何より、視線が落ち着いていた。領主館の外観にも、出迎えた人数にも、まったく感想を持っていない目だった。
「王都財務監査官、レオンハルト・ヴェルナーです」
低く、通る声。無駄な感情が一切乗っていない。
「クラウゼン領主、エリス・フォン・クラウゼンです」
私も、同じ調子で名乗る。
握手は、短く。探り合いは、ない。
「早速ですが」
レオンハルトは、無駄なく切り出した。
「財政改革の進捗を、直接確認させていただきたい」
「書類だけでは、判断できませんので」
「もちろんです」
私は頷いた。
「全て、開示します」
マリアが、一瞬だけこちらを見る。だが、私は目で制した。
――隠す理由はない。
執務室。机の上に、帳簿と報告書が並べられる。
レオンハルトは椅子に腰を下ろすと、すぐに数字に目を落とした。ページをめくる速度は速い。だが、雑ではなかった。捲る手が止まる箇所が、こちらが説明を用意していた箇所と、ほぼ一致している。
「……なるほど」
時折、短く呟く。
「水路修繕」
「税制再計算」
「部署統合」
「どれも、短期成果と長期安定の両立を意識していますね」
私は、少しだけ意外に思った。
――理解が早い。
「過度な締め付けは、反動を生みます」
「それは、王都でも同じでしょう」
そう言うと、彼は口元をわずかに緩めた。
「おっしゃる通りです」
「……だからこそ、興味深い」
「何が、ですか?」
「辺境で、ここまで“王都式”を外した改革が行われていることが」
一瞬、沈黙。彼は帳簿の角を指で押さえたまま、こちらの返事を待っていた。急かしもせず、助け舟も出さない。監査官というより、天秤そのものの立ち方だった。
「批判、でしょうか」
「評価です」
即答だった。
「感情論ではなく、構造を直している」
「これは、簡単なようで、できる人間は少ない」
マリアが、思わず息を呑む。私は、表情を変えなかった。
「それで、監査結果は?」
「まだです」
レオンハルトは、帳簿を閉じる。
「ですが、一つだけ」
視線が、まっすぐ私を射抜く。
「この改革は、長くは許容されません」
マリアが、はっとする。
「理由は?」
「前例になるからです」
彼は、淡々と告げた。
「他の領地が、同じことを始めれば」
「王都の財政設計が崩れる」
――正直だ。この人は、こちらを油断させるために本音を出したわけではない。言っても構わないと判断しただけだ。それはつまり、言っても手遅れにならないと踏まれているということでもある。
「つまり」
私が言う。
「私は、危険人物だと?」
「いいえ」
彼は、首を横に振った。
「“危険な制度設計者”です」
その言葉に、私は少しだけ笑った。
「褒め言葉として、受け取っておきます」
「そうでしょう」
彼も、わずかに笑う。
「個人的には」
「あなたのやり方は、嫌いではありません」
「ですが?」
「私は、監査官です」
彼は、立ち上がった。
「職務上、王都に報告しなければならない」
「“この領地は、放置できない”と」
沈黙が、落ちる。マリアが息を詰めたのが分かった。窓の外はもう暮れていて、机の上の帳簿だけが灯りを受けている。この人は潰さないと言いながら、潰す理由をいま自分の口で並べ終えたところだった。
「それでも、です」
レオンハルトは、最後にこう言った。
「潰すべきだとは、報告しません」
「“扱いが難しいが、有用”と書きます」
マリアが、驚いたように彼を見る。
「……それは」
「私なりの、最大限の譲歩です」
彼は、外套を羽織る。
「次に来る者は、私ほど中立ではないでしょう」
「それまでに、どこまで形にできるか」
扉の前で、振り返る。
「楽しみにしています、エリス・フォン・クラウゼン」
扉が閉まった。しばらく、誰も言葉を発しなかった。馬車の車輪が石畳を叩く音が、遠ざかっていく。あの人が王都で書く一行が、この領地の次の一年を決める。私は、それを止める手立てを持っていない。
「……強敵ですね」
マリアが、ようやく言う。
「ええ」
私は、静かに答えた。
「でも、敵ではありません」
机の上には、監査官の残した覚書がある。
――“改革は、制度として完成させよ”。
私は、その一文を見つめた。制度にしろ、と彼は書いている。人が替われば消える改革は、改革と呼ばない。私を裁いたあの場所も、人が替わっても同じやり方で誰かを裁くだろう。あれも制度だ。
「……時間は、あまりありませんね」
王都は、もう動き出している。次は、もっと露骨な圧が来る。
それでも。私は、ペンを取った。
ここまで来た改革を、途中で止める気はない。
あの覚書を残した人が、王都でどちらの側に座るのか。そこまでは聞いていない。
監査官はその夜、まだ領主館を出ていきません。




