第14話 悪役令嬢の評判
クラウゼン領の名が、領都の外で囁かれ始めていた。
それは、噂という形で。数字よりも早く、人の口から口へと広がっていく。
「最近、税が軽くなったらしい」
「水路が直って、畑が戻ったってよ」
市場で、酒場で、井戸端で。声は小さいが、確かに前向きだ。去年の同じ場所では、来年どこへ移るかという話しか聞こえなかったという。
「領主様が、若い女の人なんだって」
「厳しいけど、不公平じゃないらしい」
その一方で、役所の中では、違う評判が流れていた。
「冷たい」
「容赦がない」
「でも、筋は通している」
評価は割れている。だが、共通している点が一つある。
――侮れない。
執務室でその報告を聞きながら、私は小さく息を吐いた。
「順調ですね」
「……どの立場から見るか、ですね」
マリアが、慎重に言葉を選ぶ。
「民からの評価は、かなり良いです」
「ただ――」
「ただ?」
「外から来た商人たちの反応が、妙です」
私は、視線を上げた。
「妙、とは?」
「好意的すぎる、と言いますか……」
「探るような視線が多い」
その言葉に、私はすぐ理解した。
「王都絡みですね」
「おそらく」
成果が出れば、必ず寄ってくる。それが商人という存在だ。彼らは善悪では動かないが、そのぶん読み違えることも少ない。
午後。その“妙な視線”の正体は、あっさり姿を現した。
「突然の訪問を、お許しください」
執務室に通された女性は、柔らかな笑みを浮かべていた。落ち着いた物腰。質の良い服だが、派手さはない。
「王都商会連合の代理を務めております、カミラ・エヴァンスと申します」
名乗りを聞いた瞬間、空気が一段階変わった。
――来た。半年かけて数字を直し、その数字が外から人を呼び寄せるまでが、だいたい一つの周期らしい。
「遠路はるばる、どういったご用件で?」
私がそう問うと、彼女はにこやかに答える。
「最近のクラウゼン領の改革が、王都でも話題になっておりまして」
「ぜひ一度、ご挨拶をと」
“話題”。それは、誉め言葉にも、警告にもなる言葉だ。
「光栄です」
私は、感情を乗せずに返した。
「ですが、我が領地はまだ立て直しの途中です」
「商会とお取引できる余裕は、ありません」
「ええ、承知しています」
カミラは、あっさり頷いた。
「今日は商談ではありません」
「視察と、情報交換だけです」
――便利な言い方だ。
「税制を見直されたとか」
「水路を部分的に修繕されたとか」
「随分と、合理的な手法ですね」
一つひとつは、事実だ。だが、どこまで知っているかは分からない。ここで訂正すれば、訂正した箇所だけが本当だと教えることになる。
「必要なことを、必要な分だけ行いました」
私がそう答えると、彼女は少しだけ目を細めた。
「……噂どおりですね」
「どんな噂でしょうか」
「“冷酷だが、数字に嘘をつかない悪役令嬢”」
マリアが、わずかに身構えたのが分かった。だが、私は気にしない。
「悪役で結構です」
即答すると、カミラは楽しそうに微笑んだ。
「素敵です」
「その覚悟がある方は、そう多くありません」
――評価している。同時に、測っている。褒め言葉の形をしているが、返し方でこちらの性格を確かめる質問でもあった。
「王都では、こうも言われています」
彼女は、さらりと続けた。
「“辺境が、自立し始めた”」
「“放っておくと、面倒な前例になる”と」
マリアが、息を呑む。私は、表情を変えなかった。
「それで?」
「いえ」
「ただの世間話です」
そう言って、彼女は立ち上がった。
「今日は、ご挨拶まで」
「ですが……」
去り際、振り返る。
「成功なさるほど、注目されます」
「どうか、お気をつけて」
扉が閉まり、執務室に静けさが戻る。
「……敵、ですよね」
マリアが、小さく言った。
「まだ、敵ではありません」
私は、冷静に答えた。
「ただし――」
「味方でもない」
窓の外では、領都の人々が行き交っている。荷を担ぐ者、値を確かめる者、子を呼ぶ者。誰も、今この部屋で交わされた会話を知らない。
それでいい。
「評判が立つのは、悪いことではありません」
私は、書類に目を戻した。
「問題は、その評判を」
「誰が、どう使うかです」
机の上には、黒字予測の帳簿。そして、王都からの視線。
この領地は、もう隠れられない。
ならば、どう見えるかはこちらが決める。ただし、その評判を最初に使うのが自分だとは限らない。
評判が届いたということは、王都にも届いたということです。




