第四章 夏の微熱1
こじれ女子。知美の思いも、ついに動きはじめます。
翌日の学校は、さらに騒ぎが大きくなっていた。
明日歩が部活を辞めた理由が、なぜかすり替えられてしまっていた。
群がる人だかりの向こう側で、知美が怖い顔をしているのが見えた明日歩はゾッとなる。
あながち間違った情報ではないが、それが分を辞めた理由ではないことは明白にしなければならない。
そう思いつつも、どこから手を付けていいものやら、お手上げ状態の明日歩だった。
話が話を呼んで、収拾がつかないのだ。
「おいお前、西沢という妻がありながら何をしてくれちゃっているんだ?」
バンと机を哲平に叩かれ、明日歩は顔を顰める。
「妻って、お前が勝手に勘違いしているだけで」
「いや違うね。俺の目には少なからずそう映っていたね。考えて見なよ。口は悪いが、お前を見る目は違っているというか、あそこまで面倒見てくれる奴、他にはいねーぞ。親父さんがなくなった時だって、ずっとお前のそばに居てさ、良い奴だなって、マジ思ったんだぜ俺」
そう言われても……。
確かに知美は甲斐甲斐しくいろいろと面倒を見て来てくれた。だけどそれとこれとは別もんじゃん。心がないのに、フリをする方がかえって失礼だと、オレは思う。それに、うわさは本当なんだ。告白はまだしてないけど。
明日歩は腹の中で力説を解くが、哲平が超能力者ではない限り届くわけがなく、案の定である。
「西沢にはちゃんと、誤解を解いておけよ。オレ、いくらでも協力するぜ」
などと言われ、明日歩は苦笑するしかなかった。
哲平が言うことにも一理ある。
このまま逃げ続けるわけにはいかない、死活問題だってことは、明日歩にも重々判っていた。だけど顔を見ると、言い出せなくなってしまうのが、明日歩である。
放課後を待って、知美が明日歩を呼びに来る。
取りついたのは、哲平だった。
逃げ出せない状況である。
渋る明日歩の背中を哲平が押し、知美が腕を掴む。
吹奏楽部のプープーという、間が抜けた音がやたら耳につく中、知美は有無も言わさず、明日歩を校舎裏まで引っ張って来ていた。
手を放し振り向いた知美はきつい目つきで、明日歩を見る。
「私の言いたいこと、分っているんでしょ?」
蛇に睨まれたカエルの気持ちが、分かる気がする。
たじろぐ明日歩に、知美は追い打ちをかける。
「真意は? 私に嘘は通用しなわよ」
腕組みが出て来てしまった以上、白状しなければ殺されえしまうかもしれない。命の危機を感じながらも、この期に及んで明日歩はいつもの癖で、つい恍け態度を取ってしまう。
「えっと、言っている意味が……」
「あのね」
グイと胸ぐらを掴まれ、明日歩は降参のサインを出す。
「西沢さん、暴力は」
「何が西沢さんよ。あんた何を考えているの? 大会はもう間近だよ。辞めるって何? 全然意味が分かんないんですけど」
「だからそれはオレなりに考えて」
「考える? 本当に考えたの? ただ森崎先生に居たいとこ疲れて、意地、張っているだけじゃないの? あんた、本気で走ること諦められるの? あんなに好きだったじゃない。お父さんとも約束したんじゃないの? 守らなくっちゃ駄目じゃない」
「そんなこと、西沢さんには関係ないだろ」
毒吐く明日歩を、、知美は信じられないという顔で見つめる。
「何なのよその言い方? 人が心配してあげているのに、そんな言い方、ないでしょ」
明日歩は知美の手を振りどいたのはその段だった。
「あのさ、西沢さんの気持ちは凄く有難いけど、もう放っておいてくれないかな? 俺たち高校生になったわけだし」
「な、何よ。明日歩のくせに生意気」
「もうそういうの良いから。悪い。オレ、バイトあるから行くわ」
「待ってよ明日歩。話はまだ終わってない。逃げないでよ」
スカートをギュッと握った知美が叫ぶ。
ぎくりとした明日歩が振り返る。
強がっては見たものの、やはり横暴で無敵の女。この位置つけは明日歩に永遠不滅であって、足が竦んでしまっていた。
「どうなのよ」
俯き加減で低い声で訊く知美にたてつくことなどできっこない。
「どうって言われても、もう決めたことだし、陸上部には戻る気はない」
頑張って言い返した明日歩に、知美は納得がいかない顔で訊き返してきた。
「どうしてそんなに簡単に捨てられるの? おかしいじゃない。やっぱりあの噂が原因じゃないの?」
ぎろりとみられ、明日歩は縮こまる。
「噂って」
「もう恍けないで。明日歩、昨日女の子と歩いていたでしょ。私、見たんだから」
見られていた。
逃げ場を失った明日歩は、絶対絶命の危機に追いやられてしまっていた。
「ズバリ聞くけど、あの子と付き合ってたりするの?」
無下にすることは簡単だった。
克己に言わせれば、マジうざい、だけど、助けられていたのも事実。
覚悟を決めて口を開いたものの、やはり出て来てしまうのは言い訳じみた言葉だった。
「あの子は、バイト仲間で、偶然街で会ったから、たまにはお茶でもしようかという話になっただけ。全然部活辞めたことと何も関係ないから」
「本当に本当? 嘘だったら針千本飲ませるわよ」
「あのな」
「あんたはね、自覚が足らなすぎるのよ。いい、人より頭一つ背が高いっていうだけで、あんたは目立っちゃうの。顔だって」
一瞬言葉を詰まらせた知美は顔を赤らめる。
「悪くないんだから。女の子と二人っきりなんて噂になるの、当たり前じゃない」
最後の方は全く聞き取れない声で話す知美だった。
「いい、とにかく練習には来なさい。これは命令よ」
腰に手を当てる知美を見るたび、明日歩はつい思ってしまうのだ。
こいつと結婚する相手に、深く同情するわ。
「聞いてんの?分かったら返事くらいしなさいよ」
「だからオレは」
「私は辞めさせないんだから。明日歩が戻りにくいっていうなら、私、学校に掛け合ってもいいわよ。森崎先生を顧問から外してもらえるよう、頼んであげる」
明日歩は、もううんざりだった。
「何度も言うようだけど、本当にオレのことは構わないで。これはオレ自身の問題で、西沢さんには口を挟んで欲しくない」
いつになく強気で明日歩に出られ知美はたじろぐ。
「嫌だなそんなに怒らなくても、ほらさ、ずっとそばで私明日歩のがんばり、見て来たからさ、つい熱くなっちゃってさ。それにあの噂でしょ。恋愛とかが絡むと、何かと面倒だなって思ったりして。明日歩、悪くないよなと、思うしさ、森崎先生が何ぼのもんじゃいって、思っちゃいけないの? 私は明日歩を守りたいだけなの」
うわーヤバイモードは言っちゃっている。
スカートをぎゅっと握りしめて、必死の姿とか見せられた明日歩にとって、それは恐怖であって、逃げ出したい気持ちを駆り立てられてしまうものだった。
「ごめん西沢さん。本当にオレ、もう行かなくっちゃ」
ここは逃げるに限る。
踵を返す明日歩に、知美は言い繋ぐ。
「明日歩は知っているの? 森崎先生、今ヤバい感じになっちゃっているんだよ。私が動かなくても、森崎先生がこの学校を去るのは時間の問題だと思う」
「それってどういうこと?」
「あんたのファンがどれほどいるか知っている? その子たちがだまっていると思う? 今日だって、二クラスでボイコット騒ぎがあったらしいよ。部員のみんなも、顧問て認めないって言い出しているし、それにね、職員室でもそれに似た意見が出ているらしいよ。あんたはそれでいいの? 走るの辞めて、先生を辞めさせて、そんなの明日歩らしくないよ」
明日歩は返す言葉がなかった。
突きつけられた現実に、ただただショックで、頭の中が真っ白になる。
知美の涙の説得に振り返ることなく、明日歩はそこから逃げ出すのだった。




