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コロンビア川の雄大な流れを一望できるウエストブリッジ鉄橋を渡り終えると、排ガス規制などどこ吹く風といった様子で北へ向かう大型トラックの列から外れ、ベンはウィンカーを出して右へ折れた。
立派なゲートサインが掲げられた二車線道路に入ると、周囲の風景はさっきまでの市内とはまるで別の街のように変わっていく。
「綺麗なところですね」
メイジーが窓の外を見渡しながら、感心したように息を漏らす。
整えられた芝と白い塀の奥には、どの家も手入れの行き届いたポーチやプールが広がり、朝日に照らされた木目の外壁が穏やかに輝いていた。
「ルーズベルト・ドライブだからな。市が算出する個人資産の四分の三は、この通りの住人の資産だって話だ」
ベンは無造作に言いながら、片手でダッシュボードを軽く叩く。
道はゆるやかに曲がりくねりながら傾斜を昇っていく。
すれ違う身なりのいい住人たちが、ICEの車両に一様に怪訝そうな視線を送ってきた。
「なんだか……空気が違いますね」
メイジーが言葉を探すように呟く。
「まあ、金持ちってのは大体リベラル寄りだからな。この辺で移民法執行なんかしてると、それだけでクレームのネタになる」
ベンは肩をすくめて苦笑を浮かべる。
「主任、なぜ住人層にこれほどの違いが?」
ビーリンが小首を傾げた。
「ワシントン州は州の所得税がないんだ。その上、この辺は郊外住宅地扱いで固定資産税も低い。税理士に払う報酬を差っ引いても、橋の向こうにマンションを買うよりずっと安く上がるらしい」
ベンは同じ調子で呟くと、再びハンドルを握った。
ラジオの曲が二度ほど変わったころ、住宅地を抜けて公園の駐車場に車を止めた。
「着いたぞ」
エンジンを切ってベンが車を降りると、二人も続いた。
「丘の頂上は公園になってるんですね」
メイジーが川から吹き上げる西部アメリカの乾いた風に髪を押さえながら呟く。
「……彼女ですか?」
ビーリンが腰のカードケースに手を置き、視線を向けた。
「さすがに鋭いな」
ベンは短く返す。
二人の視線の先では、クラシカルなメイド服に身を包んだ女性がベンチに座り、楽しげに鼻歌を歌いながら対岸の街を眺めていた。
鼻歌が唐突に止む。声をかけたわけでもないのに、まるでこちらに気づいたように。
風に乗って、鈴の鳴るような不思議な訛りの声が届いた。
「あら、移民法執行官様」
「よお、ヴェラ。アンタにうちの新人を紹介したいと思ってな」
「まあ、それは……素敵ですね」
「ベン、彼女は?」
メイジーが小声で問いかける。
「情報屋さ。特殊な……諮問探偵みたいなもんでもある」
ベンは短く呟いた。
いつの間にか立ち上がった女性は、長い銀髪を風に靡かせながら、にこやかに微笑んでいた。
「CHS(匿名協力者)?」
FBIらしい固い言い回しに、ベンが小さく肩をすくめる。
「連邦捜査官……それに日本の巫女様でしょうか?」
メイドは言いながら、公園の手入れの行き届いた芝生をゆっくりと踏みしめ、こちらへ歩み寄ってくる。
メイジーが怪訝な顔をするのと、ビーリンが目にも止まらぬ速さでカードケースを開き、護符を抜くのがほとんど同時だった。
「不要動、女巫(動くな、魔女 )」
短く張り詰めた声が、乾いた風に乗って響く。
「あら……なるほど。タイペイの道士様でしたのね」
鋭い視線を一瞬だけ返すと、メイドは柔らかい笑みを浮かべ、歩みを止めた。
「式を引きなさい」
「まぁ、本当に敏感な子ですね」
「ねぇ、なんのはなっ……!」
油断なく構えるビーリンに声をかけようとしたメイジーだったが、唐突に、氷のように冷たい何かで足を撫でられた感覚が走り、素っ頓狂な声を上げた。
「ソトラ、悪戯してはいけませんよ?」
メイドの声に応えるように、半透明の犬が彼女に走り寄る。
ビーリンが小さく息をつき、護符を収めた。
「この時間はこの子をお散歩を指せてますの」
「な、なに? 犬?」
メイジーが目を見開き、足元を後ずさる。
「動物霊です。契約で縛れる人間霊と比べて……扱いがずっと難しいはずですが」
ビーリンが視線を逸らさず、低く告げる。
そんな雰囲気を知ってか知らずか、半透明の犬は主人の元に駆け寄るとその足元に座り込んだ。
メイドは微笑みを崩さないままその頭をなでる。
「落ち着いたか?」
溜息をついてから双方を見回し、ベンが声をかけた。
「なら、紹介しよう。彼女はウィッチだ」
その言葉に、ひやりとした沈黙が落ちる。
「ニェ」
銀髪の女が綺麗な微笑みを崩さないまま小さく首を振った。
「英語の『魔女』には、少々否定的な響きがあります。わたくしはヴラチャラ(Vračara) ……」
ゆっくりと白い手を胸元に添え、優雅に一礼する。
「ヴェラ・ノヴァクと申します。以後……お見知りおきを」
鈴を転がすような声が、西部の乾いた風に溶けていった。
「……ええと、お綺麗だけれど、スラブ系?」
メイジーが名前の響きを脳内でかき回すように額に指を当て、失礼にならないよう言葉を探すように口を開いた。
「いいえ、捜査官様」
ヴェラはわずかに首をかしげてから、再び優雅に腰を折る。
「わたくしの生まれはドイツにございます、捜査官様」
「……招魂師、あー、ネクロマンサーですね?」
「……タク、賢いお人」
ビーリンが刈り込まれた芝生に足跡も残さずに素早く近づき……試すように右手を差し出す。と、その手はなんの敵意もなく取られた。
指先が触れた瞬間、張り詰めた空気がふっと緩み、世界に音が戻る。
吹き上げる川風が枝葉を揺らし、遠くで鳥の声が重なった。
「このコロンビアヒルズで、長くメイドを勤めさせていただいております。お二方も是非御お引き立ての程を」
ヴェラはビーリンと握手をしたまま、静かに微笑んだ。




