美貌の魔女と独占契約することにしました
「皮膚の艶は、血流促進剤の微量投与による強制発色。瞳孔の異常な輝きは、視神経を刺激する興奮毒。そして……周囲の判断力を低下させているのは、汗に混ぜた依存性成分ですわね」
後日。サロンへ招いたヴェノーラを前に、私は彼女の「美」を容赦なく解体してみせた。
「ええ。全部、わたくしが自分で調整した結果よ」
ヴェノーラは隠すこともなく、優雅に脚を組む。彼女にとって、美しさは愛されるための手段ではない。貴族社会という名の戦場で、敵を無力化し、常に優位に立つための「武装」なのだ。
「……ですが、少し設計が古いですわね」
「……は?」
「あなたの支配は強力ですわ。けれど、それは対面した個体にしか効かない。範囲が狭い。再現性がない。……市場支配としては、非効率ですわ」
一瞬、空気が凍る。だが――ヴェノーラは、愉快そうに喉を鳴らした。
「……なるほど。あなた、本気で世界を回す側なのね」
これまでの魔女たちは、私の提案に驚き、戸惑い、あるいは救いを見出していた。だが、目の前の女だけは違う。彼女は、私の語る「ビジネス」という冷徹な言語を、最初からネイティブとして理解している。
「わたくしはね、リネット。広げる気なんて最初からないのよ」
ヴェノーラはグラスを傾け、淡々と続ける。
「公爵家の令嬢なんて言うけど、所詮は使い捨ての駒。価値がなくなれば、次に差し替えられるだけ」
「……」
「だからわたくしは、自分の価値を絶対に切れない形に固定した。誰が見ても、誰が触れても、手放した瞬間に損をすると本能で理解する存在にね。……わたくしが目指したのは、自己価値の最大化ではないわ」
彼女は、深淵のような瞳で私を射抜いた。
「代替不可能性よ」
それは、商売人として最も重く、最も甘美な言葉。この美貌は、ただの装飾ではない。自分を「唯一無二の資産」へと昇華させるための、凄まじい執念の産物だったのだ。
「なるほど。……ですが、その不文律を理解できない層もおりますわね。例えば、あの王太子」
私が名を出すと、ヴェノーラは心底興味なさそうに吐き捨てた。
「……最近、ずいぶんと軽くなったと思いません? あれほど国の未来を一手に預かる身でありながら」
(来ましたわね)
乙女ゲーム本編における、破滅へのカウントダウン。
聖女の奇跡に心酔する王太子と、彼に冷遇され、最後には極刑へと突き進む「悪役令嬢」の断絶。物語の筋書き通りなら、彼女はもうすぐ、抜き差しならない一線を越えるはずだ。
「聖女様への依存が顕著ですわね。判断の基準が、国益ではなく、自らの感情に寄りすぎている。もはや意思決定者ではなく、ただの感情の媒介に過ぎませんわ」
「ええ。あれはもう、未来の損失を増やすだけの欠陥品よ」
ヴェノーラは、手元にある小さな薬品瓶を弄んだ。その中身は、先ほど私が指摘した「興奮毒」よりも遥かに濃密な、致死の輝きを放っている。
「だから、排除しようとしたのよ」
さらりと、まるでお茶の銘柄を変えるような口調で、彼女は「王太子暗殺未遂」の真相――いえ、現在進行形の計画を口にした。
この学園を揺るがす大事件、一国の未来を断絶させる凶行。それを彼女は、単なる「事務手続き」のように、明日にも実行される予定表として語った。
「勘違いしないでちょうだい。わたくしは悪人だからやったのではないわ。損失が確定している存在を放置する方が、よほど罪深いのよ。……あなたも分かるでしょう? リネット。未来の損失を見て見ぬふりすることが、どれだけ非効率で、この国全体の利益を損なうか」
彼女にとっての暗殺は、倫理の問題ではない。
腐敗し、機能を停止した愚者を切り捨て、この国を健全化させるための「強制決済」なのだ。
「……最高ですわね」
間髪入れずに肯定すると、ヴェノーラは今日一番の驚愕に目を見開いた。
「……あなた、普通は恐怖におののくところよ?」
「いいえ。非効率なトップをすげ替えるのは、経営判断として極めて合理的ですわ。……ですが、そのやり方。あまりにも個人に依存しすぎている」
私は身を乗り出し、彼女の「武装した美」を真正面から見据えた。
「その技術、独占して終わらせるにはあまりに惜しい。……売る気はありませんこと? 私の魔女会で、あなたのその毒を、世界を制御するための標準規格に落とし込んでいただきたいのです」
数秒の沈黙。
ヴェノーラは、手にしていた薬品瓶をゆっくりとテーブルに置いた。
「……断るわ」
即答だった。冷徹な、しかし確固たる拒絶。
「わたくしの技術は、わたくしだから成立しているのよ。配布した瞬間に価値は暴落する。……市場にばら撒かれた時点で、それはもう敵を穿つ『武器』じゃない。誰にでも模倣される、ただの『消耗品』よ」
彼女の声音には、一切の迷いがない。この女は、自分の価値が「希少性」に立脚していることを誰よりも正確に理解しているのだ。
(――当然の反応ですわね)
私は、むしろ満足感すら覚えていた。この程度の反論で崩れるようでは、私の右腕として「未来」を任せるには足りない。
「ええ、おっしゃる通りですわね。安易に量産すれば、あなたの『唯一性』は薄まる。希少価値による支配力は損なわれるでしょう」
「分かっているなら――」
「ですが、それはあなたが主導権を握れない場合の話ですわ」
ヴェノーラの瞳が、獲物を狙う猛禽のように鋭く細められた。
「……どういう意味かしら?」
「市場に流すのではありません。――世界を、あなたのレシピで塗りつぶすのです」
私は一歩踏み出し、彼女の絶対領域へと侵入した。
「あなたの技術を、あなた以外が再現できないブラックボックスのまま『規格化』する。製造も流通も、すべて我が魔女会の管理下に置く。……つまり、独占ですわ」
「……独占?」
「ええ。あなたの『唯一性』という核はそのままに、その影響範囲だけを拡張する。……あなたは個として頂点に立ち、私はその力を構造として世界に敷き詰めるのです」
私は指先で、テーブルを一定のリズムで叩いた。刻まれる音は、新たな支配のカウントダウン。
「ご安心を。あなたの価値は一ミリも下がりません。むしろ逆ですわ。……あなたは誰にも真似できない稀少な存在から――誰もが、それ無しでは生きていけないシステムの中核へと昇格するのです」
ヴェノーラの喉が、微かに動いた。
彼女が作り上げた「美」という武装。それを、一令嬢を護るための盾から、国を、あるいは世界を縛り上げる見えない鎖へと変えるという提案。
「……いいわ。そこまで言うなら、試してあげる。……ただし、リネット。わたくしの価値を一ミリでも毀損し、安売りするような真似をしたら――その瞬間に、あなたを壊すわよ」
ヴェノーラは初めて、完璧な仮面の下にある本物の、そして酷く凶悪な笑みを浮かべた。
「……ふふ。毀損を出すような無能な経営判断は、私の辞書にはございませんわ」
一点モノの暗殺者と、暗殺さえもシステム化しようとする商女。
二人の怪物の契約は、血ではなく、圧倒的な「合理性」によって結ばれた。




