占いの魔女の未来を利益に変えました
「……無駄だよ。何をしても、同じ」
北の塔。占いの魔女、モイラは、糸の切れた人形のように力なく首を振った。
「私が『転ぶ』と言えば、あなたは転ぶ。私が『誰かが傷つく』と言えば、その人は必ず傷を負う。……結果は最初から決まっている。そこに、意志が入り込む隙間なんてないんだよ」
彼女は、自らの瞳に映る「確定した破滅」に怯え、世界を拒絶している。私は、その震える指先を冷徹に、けれど確かな興味を持って見つめた。
「では、検証いたしましょうか。私の辞書に『無駄』という言葉はございませんの。……モイラ様、あなたの予言、私の手で『デバッグ』させていただきますわ」
私は、手に持っていた扇を閉じ、コツンと自分の顎を叩いた。
北の塔を吹き抜ける乾いた風が、山積みにされた古い紙束をさらさらと鳴らす。ここにあるのは、過ぎ去った過去の残骸と、これから訪れる変えられない未来の断片。
私は、絶望という名の「不具合」を抱え込んだ少女の視線を真っ向から受け止めた。
彼女の瞳に、私の敗北が、私の転倒が、そして私の「無駄な足掻き」が映っているというのなら。
その映像を一つずつ、経営戦略のパーツとして解体して差し上げましょう。
「……三分後。あなたはあそこの段差で、無様に転んで足を擦りむく」
モイラが指差したのは、何の変哲もない床の継ぎ目だった。私は、あえてその「結果」を回避しようと動いた。極めてゆっくりと歩き、段差の位置をミリ単位で確認し、ルートを大きく変えて壁際を通る。……物理的に「転びようがない」状況を整えた。
――ガクッ。
「……あら」
次の瞬間、私の靴のヒールが突如として折れた。バランスを崩した私は、回避したはずの段差へと吸い寄せられるように倒れ込み、膝を打った。
「……言ったでしょ? 未来は変わらない。どんなに足掻いても、結果に収束するんだよ」
絶望の色を深くするモイラ。けれど、私はスカートの土を払いながら、淡々と膝の傷を一瞥した。
「……転びましたわね。ですが、この程度の損耗で予言の精度が証明されるのなら――安い実験費用ですわ。次の実験をしましょうか」
私は破れたストッキング越しに、滲む血を冷ややかに見つめた。痛みは、対価だ。正確な「仕様書」を手に入れるための、これ以上ないほど安価な決済に過ぎない。
「……信じられない。血が出てるのに、どうしてそんなに平然としていられるの……?」
モイラが、得体の知れない怪物を見るような目で後ずさる。
「身体は資本ではありますが、一定の損耗は織り込み済みですわ。代替不可能な情報の価値に比べれば、私の膝など端数のようなものですもの。 さて、次に参りましょう」
怯えるモイラの手を取って、私はあえて「最も崩れそうな本棚」の真下へと彼女をエスコートした。
私が微笑みを湛えたまま、微動だにせず本棚の直下に立ち続けると、モイラの瞳が激しく左右に揺れた。
彼女にとって、未来とは「抗うもの」か「耐えるもの」の二択だったはずだ。自分から「激突しに行く」などという選択肢は、彼女の予言の歴史には存在しなかった。
「……信じられない。あなた、死にたいの? 避けられるかもしれないわずかな可能性さえ、自分から捨てに行くなんて……!」
呼吸を乱し、私の狂気を拒絶するように首を振るモイラ。
だが、運命の歯車は彼女の動揺など置き去りにして、無慈悲に、そして正確に刻限を刻んでいく。
「……十分後。ケイン様がここに来る。そして、上の棚から落ちてくる重い魔導書からあなたを庇って、右腕に怪我を負う」
モイラの宣告が、震える吐息とともに漏れ出た。
今度は「他人」を巻き込む、取り返しのつかない負債の予言。彼女は、私の傲慢さえも飲み込む「運命の重さ」を突きつけるように、今にも崩れそうな棚の最上段――そこにある、鉄の装具で補強された禍々しい魔導書を指差した。
私は、避けるどころかケイン様を確実に誘い込むように、わざと大きな音を立てて扇を閉じる。
「……リネット、ここにいたのか!」
予言通り、ケイン様が駆け込んできた。その直後、古い棚が振動で傾き、鉄の装具で補強された分厚い魔導書が落下する。
「危ない、リネット!」
ケイン様が私を突き飛ばし、代わりに右腕で本を受け止めた。装丁の鋭い角が彼の腕を深く裂き、鈍い音とともに、彼の袖にじわりと赤が滲む。
「……ほら、また私のせいで。未来は、やっぱり変えられない……」
顔を覆うモイラの前で、私は静かに合図を送った。部屋の影からミレイユ、ドルカ、そしてレクシアが、示し合わせたかのように現れる。
「……私とあなたが接触することは、あらかじめ予測していた事象ですもの。準備くらいはしておきますわ」
ミレイユが安らぎの香りを撒き、ドルカが細胞活性のバフ飲料を差し出す。そして部屋の隅では、レクシアが既にペンを走らせている。
「『愛する者を救うため、自らの身を挺した高潔な騎士』……ふふ、これで聖女に溺れる殿下の暴走を覆い隠すには十分な美談になりますわね。 最高のプロットだわ」
ケイン様は、痛むはずの腕をさすりながら、不思議そうに微笑んだ。
「……痛い、はずなのに。不思議だな。……意味のある痛みって、こんなにも軽いのか。君を守れたのだから、これ以上の名誉はないよ」
「……なんで……? 未来は変わっていない。怪我をした。本は落ちた。……なのに、どうして誰も絶望していないの……?」
モイラの瞳から涙が零れ落ちる。だが、彼女はまだ、震える声で最後の抵抗を試みた。
「……でも、最後は壊れるんでしょ? どんなに利益を出しても、結末が破滅なら……全部、無意味じゃないの?」
私は彼女に歩み寄り、その頬を優しく、しかし逃がさないように包み込んだ。
「モイラ様。未来が決めるのは、『何が起きるか』だけですわ。それが『何になるか』は、決めていません。」
「価値を、決める……?」
「『転ぶ』ことは変えられない。ならば、転んだ後に利益が出るように設計すればいい。不運が確定しているなら、それを逆手に取って、最も効率的な『演出』に変える。……それが、私の経営哲学ですわ」
絶望の証明だと思っていた予言。それを、私は「無駄な試行錯誤を省くための、完璧な事前データ」として再定義したのだ。
「あなたの未来視は、呪いではありません。……私たちが一歩も間違えずに成功へ辿り着くための、最短ルートの設計図ですのよ」
モイラが私の手を取った瞬間。彼女の視界に映る「未来」が、色を変えた。
確定した未来という名の檻が、攻略可能なゲームの地図に書き換えられたのだ。
(これで、未来も手に入れましたわ)
私は、新しく組織図に加わった「戦略担当」の文字を見つめ、満足げに微笑む。
精神、肉体、情報、そして未来。魔女会の駒は、ほぼ出揃った。
(……残るは、この組織の顔……いえ、CEO代理ですわね)
私の思考は、既に次の、そして最大の不良債権(魔女)へと向いていた。
(待っていなさいな、美貌の魔女――いいえ、薬の魔女。あなたのその毒、私のブランドの『究極の美容液』として、独占契約させていただきますわ)




