占いの魔女の未来を買い取ることにしました
「需要予測が正確であれば、在庫という名の『死に金』は消えますわ。……そして、市場の流行を完全に先読みできれば、広報も製造もすべてが『最短距離』で利益に直結する。……不確実性こそ、ビジネスにおいて最大のコストですのよ」
サロンの窓から学園の時計塔を眺め、私は誰に言うでもなく呟いた。ブランドを量産し、世界へ広げる。そのための次の一手は、単純な労働力ではない。
「流行、貴族の動静、競合他社の妨害……。それらを、起きる前に『知る』ことができる存在が必要ですわ」
けれど、その「人材」への評判は、これまでの魔女たちの比ではないほど冷え切っていた。
「やめておいた方がいいわよ、エルバート様。……あの子に関わった人は、例外なく不幸になるの」
「予言は常に『破滅』。見られたら最後、そこから逃げ出せた人は一人もいないって噂よ……」
学園の最果て、隔離された北の塔。そこに幽閉同然で暮らす少女――占いの魔女、モイラ・ヴェリタス。彼女の予言による人心掌握は、乙女向けゲーム本編では一国の政情を揺るがし、最後には「火刑」へと至るはずだった災厄の種だ。
埃の舞う塔の最上階。窓際に座り、虚空を見つめる少女は、私が部屋に入るなり感情を排した声で言った。
「……来ると思ってた。……三十二秒、遅いけど」
モイラの瞳には、私の姿は映っていない。彼女が見ているのは「今」ではなく、その先に流れる「確定した映像」なのだ。
「初めまして、モイラ様。……スカウトに参りましたわ。私の魔女会で、その『眼』を存分に振るっていただきたくて」
「無駄だよ。……あなた、ここで私を説得しようとして、三回失敗するから」
彼女は、あらかじめ決まっている「台本」を読み上げるように淡々と告げた。
「……あら、やってみなければ分からないでしょう?」
私が一歩踏み出そうとした瞬間、モイラは瞳の焦点をさらに遠くへ合わせ、遮るように唇を動かした。
「最初に。あなたは今から、使い切れないほどの金貨が詰まった袋をテーブルに置いて、『金銭的な報酬を提示して、あなたの自由を買い取る』と言うつもりでしょ?」
モイラは、まだ私が口を開く前だというのに、その「条件」の内容を正確に、そして酷く冷ややかに断じた。
「……いらない。自由になっても、行き着く先は決まってる。外に出たところで、私はまた誰かに利用されて、最後には石を投げられて死ぬだけ。そんな未来に、一銭の価値もないわ」
私が提案するはずだった「黄金の鳥籠」は、彼女にとってはただの「墓場への片道切符」に過ぎないのだ。
「次。あなたは私の手を取って、瞳を潤ませながら『あなたの予言がどれほど忌まわしくても、私は決して否定しない』と、甘い共感を誓うはず」
モイラは、私の演技プランさえも、使い古された芝居のようにこき下ろした。
「……あきれてものも言えないわ。否定しない? 肯定されても地獄なことに変わりはないのに。あなたのその『優しさ』が、何十人もの犠牲者を出した後の私を、どれだけ追い詰めるか分かって言ってるの?」
彼女の冷徹な正論が、部屋の温度をさらに数度下げた。
「最後。一番反吐が出るわ。あなたは聖女セシル様の名前を出して、『あの方に対抗するための力が欲しい』と、大義名分を熱っぽく語る。……まるで正義の味方のような顔をして」
モイラは、私が懐に忍ばせていた「聖女への対抗心」というカードさえも、無価値な紙屑として投げ捨てた。
「……お断り。誰が勝とうが、最後には等しく、すべてが壊れる結果が見えるだけ。魔女が勝とうが、聖女が勝とうが、歴史という名の残酷な物語は、一ミリだって書き換わりはしないのよ」
――完璧な拒絶。
私が何を言い、彼女がどう答えるか。モイラはすべてを既に「視て」いた。
彼女にとって、私の言葉は新しい提案ではなく、すでに何度も再生された退屈な記録映像に過ぎないのだ。
「変わらないよ。……未来は、ただ『遅れて来る結果』なだけなんだから」
モイラの瞳に、深い虚無の絶望が滲む。
「誰が何を言うか、どこでこの魔女会が破綻するか……私は全部知ってる。最初から結末が分かっている物語を、もう一度読み直す気持ちが分かる? ……死んでいるのと、何も変わらない」
「……ふふ、あはははは!」
静寂の中、私は思わず高笑いを漏らした。
「……何が、おかしいの?」
「いえ。あまりにも、つまらない考え方ですわね、と思って」
「……っ」
「未来が決まっているなら、なおさら簡単ではありませんこと? 結果が分かっているなら、私たちは試行錯誤という無駄なコストを省いて、最短ルートで**『最適解』**を選び続けるだけでしょう?」
「……何を言ってるの? 最適解を選んでも、結局……『失敗』という結果が見えてるんだよ?」
私は彼女に顔を寄せ、その瞳を「強欲な現実」で塗りつぶすように言い放った。
「あなた、失敗する未来が見えているのよね?」
私が一歩踏み込むと、モイラは反射的に身を引いた。その瞳に映る「私の敗北」を裏切るように、私は彼女の至近距離まで顔を寄せる。
「……そうだけど」
「なら簡単ですわ。――その失敗を、利益に変えればいい。」
濁りのない、純粋なまでの強欲。
モイラの思考が、そのあまりにも飛躍した論理に追いつけず、数秒の空白が生まれた。
「……は? 利益に……? 失敗するって言ってるんだよ。壊れて、失って、終わるのに……」
「ええ。例えば、あなたが『この案件は失敗する』と分かっているなら、その失敗する前提で最初から高めに価格を設定し、あらかじめ保険としてリスクを織り込めばいい。……損失を想定内に収めることができれば、それはもはや『事故』ではなく、管理された『経費』ですわ」
私は、戸惑う彼女の視線を逃さない。
「あるいは、もっと攻めることもできますわね。その失敗が起きるタイミングを知っているのなら、わざと失敗をさせて競合他社を巻き込み、共倒れさせることもできるでしょう?」
レクシアは人の認識を書き換える。ならこの子は、未来そのものを収益源にできる。……いえ、運命という名の原材に変えられる。
私の脳内にある組織図の上で、モイラという駒が、呪われた忌み子から「最高精度のリスクマネジメント・ツール」へと鮮やかに反転した。
「運命を、避けられない神の宣告ではなく、利用可能な『資源』として扱いなさい。……モイラ様、この世に使い道のないゴミなど存在しませんのよ。たとえそれが、『失敗』という名の破滅であっても」
占いの魔女は、初めて絶句した。
「……そんなの……ずるい。未来は、避けられないものなのに……」
「ええ、避けられませんわね。だから、使うんですのよ。」
避ける必要などない。起きると分かっている事象を、どう利益に変換するか。その発想の転換は、モイラが閉じ込められていた「未来という名の牢獄」の壁を、粉々に粉砕した。
モイラは、震える声で私に問いかけた。
「……あなたと一緒にいたら。私の見てる未来、変わるの?」
「いいえ。変わりませんし、変えませんわ」
私は、彼女の手を強く握り、断言した。
「ただ、価値あるものに変換するだけです。私に、あなたの絶望の続きを……『最高の経営戦略』として売りなさい」




