69 : Day -29 : Togoshi-ginza
地下鉄・戸越駅のほぼ直上、第二京浜に貫かれた交差点から、ゲームはスタートした。
西へ行くか、東へ向かうか。
タツマとアンリは牽制し合ったが、時間もないので、ジャンケンで決めることにした。チューヤも参加をうながされたが、俺は余り物でいいですよ、と遠慮したことが重要な契機となった。
タツマが勝ち、彼は東へ向かった。アンリはぶつぶつ言いながら西へ。
取り残されたチューヤは、サアヤを顧みて言った。
「え、どういうこと? 俺、どっち探したらいいの?」
「バカだねチューヤ。戸越銀座は一本道なんだよ。東へも西へも行かないなら、ここで待つってことじゃん」
「……はぁあ!? そういう重要な選択肢のジャンケンだったの? くっそー、だまされたー!」
勝手にだまされたチューヤは頭を抱えたが、サアヤはさほど気にもしていない。
相手が動かず、じっと待っている敵ならともかく、動きまわって攻撃してくる敵である以上、こちらから探しに行くこともない、という判断は合理的だ。
ぴょこぴょこ跳ねるアホ毛を眺めながら、チューヤは気を落ち着けた。
冷静に、周囲を見まわす。
草木も眠る丑三つ時とはいえ、第二京浜といえば首都東京と神奈川を結ぶ大動脈だ。
びゅんびゅんと物流の車がカッ飛んでいく時間帯、あまりにも静まり返った交差点に感じるべき猛烈な違和感が、一周まわってあらためて噛み締められた。
この静まり返った戸越銀座通りの境界に、ときおり、現世から「獲物」が取り込まれるという。
その獲物を目を見開いて見つけ出し、轢き殺すゲームをしている悪魔が、ここには棲んでいる──。
「ありがとね、チューヤ」
「……ん?」
つねならざる殊勝な声音に、チューヤはサアヤを二度見した。
「なんかいろいろ、めんどうかけて」
「いや、俺だけじゃないよ。……知ってたけどさ、おまえ愛されてんな。みんながサアヤを助けてくれてんだぜ」
最初、チューヤに連絡してきたのは、サアヤのバイト先の店長だった。
まだ当人に教える段階ではないかもしれないが、という前置きでいくつかの話を伝えてくれた。
できれば自分が調べたいが、仕事があるので、よければきみたちに頼みたい。どうやら最後に「呪いのフォルクスワーゲン」を取り扱った店が、戸越の阿部オートって販売店らしいんだ……。
そうしてパリーサにつながり、ケートやヒナノとも合流して、今夜の大活劇と相成った。
すべてはサアヤのために、まわりのみんなが協力した結果だ。
だから、こうなるのは必然だった。
「運」だけはいいサアヤのパラメータとか、そもそも悪魔は現世側からまぎれこんでいた獲物を探しているのだとか、そのためには中央地点で待つのが確率が高いとか、理屈はいくらでもつけられる。
だが結局のところ、これは必然の予定調和だったのだ。
ブルン、ブルルル……。
古臭い内燃機関、年ふりたエンジン音にふりかえる。
サアヤの身体が硬直した。
その……黒い……車体は……。
「出たな、この野郎……」
ヨーロッパの亡霊。
フォルクスワーゲン・タイプ1。
年式は不明だが初期型のオーバル。
流通しているのは50年代から60年代だが、それより古ければ価値は一気に跳ね上がる。50年代でも数百万、40年代なら品質にもよるが1千万を超える。
呪われているとかいう「いわくつき」とはいえ、中古車販売店が簡単には廃車にできない理由が、ここにある。
そして、パリーサが全面的に協力してくれた理由も。
その話をチューヤは、12時間ほどまえに聞いた。
「KdFワーゲン?」
クルマにそれほどくわしくないチューヤの疑問に答えてくれたのは、パリーサだった。
女の子ではあるが、まがりなりにも中古車販売店で勤務している。
「テュープ・アインス(Typ 1)の最初期型です。あれを手に入れてから、お父さんは変わってしまいました。そのせいで……」
死んだらしい。
パリーサの家庭にあった悲しい出来事については、彼女自身の「携挙」とともにあの世に持ち去られたたであろうから、追及しない。
問題は、ひとつの家庭を決定的に破壊するほどの威力があるクルマのほうだ。
「フォルクスワーゲンのプロトタイプか。まだ実在していたとはね……」
いっしょに訪ねたケートも、ウワサでは聞いたことがあるが実在するとは思わなかったという。
「なんなのよ、それ」
「フォルクスワーゲンですよ。大量生産されたのは戦後ですが、そのまえにプロトタイプとして、一定の生産がありました。ヒトラーの命のもとにね」
チューヤはパリーサに視線をもどし、ごくりと息を呑んだ。
「なんか、すごそうっスね」
「ホンモノなら、ものすごい値段がつくだろう、と父は言っていました。ユダヤ人にとっては、お金をもらっても見たくない車だと思いますが」
パリーサの言葉に、ケートはピクリと反応した。
どの部分に反応したのかは、チューヤにはわからない。
KdFワーゲンは、1930年代、アドルフ・ヒトラーの要請で開発された。
流線型をしたボディ、時速100キロ以上、7リットルのガソリンで100キロ走行という条件も、当時としては厳しいが、なにより「一家に一台」買える価格が重要だった。
多くの批判を受けるナチス政権だが、数少ない成功例のひとつとして挙げられるのが、アウトバーンと国民車という構想だ。
第二次大戦の勃発によって、国民がこのクルマを手にすることはなかったが、軍用車に改造されたものを除いて、ノーマル型の「タイプ60」が870台ほど生産された。
もちろん軍幹部やナチスの関係者など、一部の人々が利用し、映画などにもたびたび登場している。
KdFは、旧ナチスの下部組織のひとつで、「喜びを通じて力を」という意味だ。
Kraft durch Freude
喜びは娯楽、力は労働をあらわすとされている。
──フォルクスワーゲンが人類史に残る名車であることは、議論を俟たない。
2152万台という総生産台数は、他の追随を許さない圧倒的な世界記録である。
そのうち、現存する世界最古のビートルは、1941年型で、製造番号は20。
量産まえの段階で、手作業で製造されており、1988年に「発見」された。
価格的には、1943年型のタイプ60は3100万円で販売された。
1942年型となれば、それ以上の価格となるだろう、とパリーサは言った。
「それがホンモノであれば」
もちろん状態も重要であり、64年に販売されたまま乗らずに保管されていた「新車」のビートルが、1億円以上で売られたこともある。
クラシックカー特有の事情として、パーツやレストアの状態が価格を大きく左右する。
そのときチューヤは、たった1枚、販売店に残されていた写真を見た。
同じものが、いま、目のまえで脈打っている。
艶消しの黒で塗装された、戦時色の濃厚な車体。
ボンネットのエンブレム「VW」には、KdFのシンボルと同じ歯車がついている。
右のドアには、右まんじ──鉤十字を刻んだ、いわゆるナチス親衛隊バージョン。この状態でヨーロッパを走れば、ただちに逮捕されるだろう。
一方、反対のドアには、あまりにも皮肉な赤い「ダビデの星」が描かれている。
悪魔相関プログラムが起動していることを証すように、脈打つ六芒星。
クルマそのものが、悪魔だ。
ご丁寧にご当地ナンバーまで取得している。
「那智・の・88」──いったい、だれが考えたのだろう。
88はネオナチの合言葉であり、アルファベットの8番目、すなわち「HH」──ハイルヒトラーだ。
「死の臭いしか、しない……」
「ただのクルマを、これほどおそろしいと思ったことはないよ」
身体を落とし、ぐっ、と唇を噛み締める。
ボス戦BGMに乗って、今宵再び、悪魔使いの召喚レシピの正否が問われる。
因縁の深さに比して、戦闘は、かなりクレバーな展開をたどった。
「押さえろ、うしろだ! タイヤさえ浮かせれば、クルマなんて怖くもなんともないぞ!」
体力系の悪魔を召喚したチューヤは、左右から背後にまわらせ、後輪駆動のクルマの後部を浮かせる。
相手からの攻撃が防げるわけではないが、一撃必殺の轢き殺し戦術を抑止し、状況有利に戦いを展開する。
「しょーりゅーパンチ! しょーりゅーパンチ! たつまきキック! たつまきキック!」
チューヤの脳内にあるイメージは、廃車をスクラップにするゲームのボーナスステージだ。
バキ、バキ、ドカ、ボコッ、と変形していく車。
クラシックカー・マニアが見たら泣き叫ぶだろうが、知ったことではない。
このクルマは、こういう目に遭うだけの罪を重ねてきたのだ。
「タイムアップ! KO!」
敵のHPが0になった。
歓声を受けて高々と腕を掲げるチューヤ。
激しい破壊衝動の解放により、一種のトランス状態に陥っている。
チューヤは戦った、KdFフォルクスワーゲンと。
そして勝ったのだ、悪魔たちの力によって。
長い戦いの終末にしてはあっけないようにも見えるが、当人としては必死に全力を尽くしたのだという。
ならば認めざるを得ないのではないか……?
「ふーん。どうやらやられたようだな」
「まさか待ち戦略が正解とはな」
いつのまにかもどってきた、タツマとアンリ。
どこかつまらなそうに、勝利の余韻に浸るチューヤを眺めている。
「……それで、どっちを選ぶんだ?」
タツマの問いに、チューヤはきょとんとして言い返す。
「は? どっちって、どっちも選びませんよ。俺が勝ったんだから」
いいかげん危機管理に慣らされてきた身体が、警鐘を鳴らしている。
どうやらかなり剣呑な流れだ。
「なるほど、そうだな。さて、それじゃ第2ラウンドといこうか」
「……は? あんたらもう何ラウンドやってんだよ! 終わりでしょ」
突っ込みの域を超えた非常識に、苦言を呈するチューヤ。
ただしそれは、あくまで彼の常識にとって、だ。
現世側の常識は、この場ではどうやら非常識らしい。
スクラップされたKdFが、ぶんぶんと排気音を立てながら叫んでいる。
「ブーブー、ブブー、ブー!」
倒したはずの敵だが、舞台から捌けるまではまだ登場人物だ。
戦闘不能ではあるはずだが……。
「ブーイングうるさい! そうよ、走り屋さんたち! もう、みんなの迷惑になるようなことはやらせないから!」
サアヤも断固としてチューヤを支持したものの、この場では少数派である。
タツマ、アンリ、そしてKdFワーゲン。
死ぬまで戦いたいものが、どうやら多数派だ。
「……といっても、それでは納得しない面々が多いようだが?」
タツマの言葉に呼応するように、ボコボコにされたワーゲンがモリモリと盛り上がり、ゆがんだフレームを修正していく。
割れたガラスは修復され、膨らんだタイヤには空気がパンパンだ。
「オォオォーオォ、オォーオォ、オレの、オレの名を、言ってみろォオーッ」
フロントガラスに怒りの顔面が浮き上がり、叫んでいる。
どうやらブギーマンは、まだ死んでいない。
いや、悪夢が死ぬことなどないのだ──。
「というわけで、こちらに戦いを求める戦士が3人いることだし、3回勝負ということにしてやろうじゃないか」
「意味わかんないですけど!? なんでそうやって戦いたがるんだ、あんたらは!」
古来、戦うことこそが存在理由である時期が、人類はあまりにも長くつづきすぎた。
そもそも生物である時点で、生存という戦いを避けることはできないわけだが、それでも現在進行形で激しい戦闘を希求する人々は一定数存在して、しかもそれが社会の少なくない部分を満たしているのだから、そういう人々が求めてやまぬ舞台を供給しないわけにはいかない。
必要としている人々に、必要としている「2回戦」を届けよう──。




