70 : Day -29 : Togoshi-kōen
「で、どういうルールにする?」
善悪二元論で戦いつづけてきた当事者のひとり、善のタツマは言った。
「デス、レース、デスレース!」
叫ぶブギーマンの意向を、悪のアンリが忖度する。
「なに? 目を閉じてアクセル全開、たくさん殺したほうの勝ち? ばかたれ、こんなだれもいない通りで、ひとなんか殺せるかよ」
もはや論点が完全にズレている。
1回戦を勝利しただけのプレイヤー、という体にされているチューヤは地団太を踏んで、
「そういう問題じゃないでしょ! もう、そういうことできないようにしたんだから、勘弁してくんないかな!?」
たしかにチューヤは実力で、外道ブギーマンをボコボコにしてやった。
体力を0にして勝利したはずだが……いま、この悪魔は体力満タンで次戦に備えている。
まるで、第1ラウンドを終えて一敗地にまみれたが、まだ逆転のチャンスを残す格闘ゲームのように。
「チューヤ、このひとたち……」
サアヤが空恐ろしげな目で、ブギーマン……というよりも、その左右にいる善と悪の象徴を見つめる。
チューヤにもようやく理解されてきた。
──彼らは戦うために存在する。1回戦、2回戦、3回戦どころではない。
4999敗しても、5000勝を目指して戦う、彼らはそういう種類の無限機関だ。
「ある意味、こっちの悪魔のほうが利用されてるってわけかい」
神と悪魔の戦いに、舞台を提供しているだけのブギーマン。
そのブギーマンに、チューヤは勝った。
では、タツマは? アンリは? まだ勝ち負けが決まっていない。
だったら、戦わなきゃな!
「なんで……わるいやつ倒して終わったんじゃないの……」
サアヤが頭をかかえている。
だが、「悪」とは?
ケートやヒナノが戸惑ったくらい、彼らの「善」と「悪」は転倒しやすく、現代日本人にとっては正直わかりづらい。
しかしじつのところ、そこには明確な基準がある。
行動ではなく、アフラマズダだから善。結果にかかわらず、アンリマンユだから悪。
この考え方は事実、歴史的に、神だから数千万の人類を滅ぼしても正義、という『聖書』の記述へとみごとに連結されていく。
神がやれば正義だが、悪魔がやれば罪悪。
パリーサが神に捕食されるのを、チューヤたちは見た。
携挙も同じ……。ヒナノならずとも、懊悩せざるをえない。
そんな疑いそのものが、あたかも未熟であるがゆえのように。
「なんだ、きみたち。変な顔をしているな。わかりづらい? なにをバカな。これほどわかりやすい基準はないだろう? 正義は必ず勝つのだ。勝ったものが正義なのだ」
堂々と胸を張るタツマに、言い知れぬ不安と違和感。
ふたつの文脈を、疑いようもなく連結することが、善悪二元論なのか?
いいや、彼らはただ戦いたいだけだ。理屈なんかどうでもいいのだ。
「ブーブー、ブブー、ブー!」
絶叫する外道。
おそらく戦わされるために、この場の神と悪魔に体力をフル回復させられた。
ある意味、おもちゃにされているようにも見えるが、ブギーマン自身、おもちゃで遊びたくてしょうがないタイプである。
善神と悪神、そして外道の利害が一致する。
「どうだブギーマン、チキンレースというのは」
タツマが、自分たちの乗ってきたミニクーパーを指して言った。
ブギーマンはブーブー言いながらも耳を傾ける。
どうやら単純に殴り合うつもりはないらしい。
あまりにも戦いつづけてきて、そんなシンプルなルールには辟易しているのかもしれない。もちろんたまにはいいが、せっかく舞台装置があるのだから利用しない手はない。
タツマは戸越銀座のまんなかに立って、新しいゲームをはじめる。
ルールは簡単だ。
通りの東西、離れたところから走り出し、さきに交差点にはいったほうが勝ち。ただしセンターラインを外れたら負け。
──チキンレース。
勝つためには、最高速度を出さなければならない。
だが正面衝突したくなければ、ブレーキを踏むかハンドルを切らなければならない。
さきに臆病風に吹かれたほうが負け。
シンプルでわかりやすいゲームに、アンリも軽く口笛を吹く。
その破壊と殺意に満ちたルールに、ブギーマンも納得したようだ。
「もう勝手にすればいいよ……」
チューヤたちは部外者のような立場で、勝手に転がりつづける「バトルゲーム」の行く末を見守るしかない。
審判役のアンリが互いの距離を確かめ、中央にもどってスタートフラッグを振る。
ガォゥオォオーッン!
叫ぶようなエキゾーストノートを響かせ、急加速する2台。
勝負は一瞬だ。
第2京浜との交差点の中央、どちらもセンターラインから離れるようすはない。
正面衝突する気か?
一瞬、魂の時間にはいる。チューヤはタツマの意図を察した。
あくまでもドライバーにすぎないタツマは、クルマをぶつけてやって、跡形残らず破壊してやろうというつもりなのだろう。
自分は衝突の直前で、クルマから逃げ出せばいい。
そう理解したが、どうやらブギーマンはその上を考えていたらしい。
そもそも車体の形が、適しているかどうかだ。
そして重量の差。
全体的に四角いクラシックなミニは、当時としてはめずらしかったFF車で、重心がやや高く前のめりだ。
一方、カブトムシと言われるワーゲンは、比較的重心が低く、RR車であるためよくトラクションがかかる。
コーナーでは独特な動きをするRR車は、リアでトラクションがよくかかるため、ステアリングとアクセルで車体をコントロールする楽しさがある。
逆に、まえになにもないため高速安定性に欠け、最高速の勝負になるとフロントが浮き上がるリスクが高い。
一方、FF車はノーズが重く、まえから引っ張る駆動方式のため直進安定性が高い。
その点を見越したタツマの直線勝負だったが、見逃していた点がある。
相手は卑怯な手を使う、ということだ。
コーナリングに弱点を抱え、ほとんどメリットのない駆動方式であるRRだが、唯一、ミッドシップ以上に加減速に強いという特性がある。
衝突の直前、一瞬だけブレーキングして前輪を沈ませる。
このとき、スカスカの前トランクから吐き出した鉄板が、路面ぎりぎりでミニの片側タイヤの下に突き刺さった。
直後、ややハンドルを切って斜めに加速するワーゲンの前輪が浮き上がるのに合わせて、吐き出した鉄板がめくれ返る。そのうえに乗っていたミニはたまらない。
わずかでも片輪が浮けば、あとは衝突の勢いに任せて反対方向の斜めに吹っ飛ばされる、という物理法則は境界でも通用する。
猛烈な速度で交錯する2台のくわしい動きは人間の目ではとらえられなかったが、魂の時間を駆使してその顛末を見届けたアンリは、ヒューと口笛を吹いた。
なかなかうまいな、このブギーマン。
「くっそー! 卑怯だぞ、てめえ!」
当然のように生きてクルマから飛び出してきたタツマは苦言を呈したが、そもそもぶつけて逃げる予定だからこそ抜け出せたのであって、あまり説得力はない。
炎上するミニを背景に、高らかに笑っているらしいブギーマンのエンジン音。
破壊、殺戮、炎上、ともかくその手の派手なアクションさえあれば、悪魔にとっては満足なのだろう。
「これで1勝1敗ってこと?」
チューヤが勝ち、タツマが負けた。
つぎにアンリが負ければ、ブギーマンの勝ち……ということになるのか?
「どうしてくれんだよ、タツマ。クルマなかったら、ブーブーちゃんと勝負できねーだろ」
「やかましい。ルールなんざ、いくらでも新しく決めればいいだろうが。つぎはおれが勝つぞ、ブギーマン」
「待て待て待て! あんたら、何回戦するつもりなんだよ!?」
タツマの言葉にゾッとして、さすがに突っ込まずにはいられないチューヤ。
そもそもわけのわからない勝負に巻き込まれて辟易している。そのうえ3回勝負ともかぎらないとしたら、とうてい終わりが見えなくなる。
「ムゲン、ムゲン、タタカウ、ムゲンニ、タノシイ」
ブーブーと排気ガスを噴き出しながら、ブギーマンがノリにノッている。
おもちゃにされているというより、自分から喜んでおもちゃを遊び抜こうとしている。
──原初的な勝負事に耽溺する男たち。
要するに、彼らは幼いのだ。
勝った負けたで興奮する。壊したり殺したりするのが大好き。穴に玉がはいってピカピカ光る、チンチンジャラジャラ玉が出てきて楽しい!
人類は最初から、そうやって「幼年期」をくりかえしてきた。
幼い人類をあやす最適解が、賭け事だったり、宗教だったり、英雄だったり、啓蒙だったりした。
彼らはただ、人類の原始的な鋳型を踏襲しているにすぎない。
無限に戦うことを欲しているだけの……。
「いやいや、まったく幼いねえ、きみたちは。花のおフランスからやってきたインテリのおれとしては、もっと高尚なゲームをしたいわけよ」
さっきまでノリノリだったアンリが、適当なことを言いながら新しいゲームのネタを考えている。
タツマはつまらなそうに吐き捨てながら、彼も彼で「つぎは勝つ」ことしか考えていない。
ブギーマンは……なにを考えているのわからない外道は、やおら叫んだ。
「コンドハ、オレノ、るーるダ!」
KdFワーゲンからそんな意識が漏れ出たと思われた瞬間、運転席のドアが突然開き、伸びてきた悪魔の腕に捕まったのは──。
ハッと気づいたときには、チューヤはワーゲンの運転席に座っていた。




