68 : Day -29 : Togoshi
静まり返った戸越銀座。
深夜をまわり、終電も終わって、通行人はかなり減っている。
草木も眠る丑三つ時ほど、この「ゲーム」に好適の時間はない。
かつては、そうだった。
──ところがだ。
最近は世界のルールが変わってしまった。
ひとを殺さないほうがいい時代から、殺しても問題のない時代へ。
目を閉じて車を運転するというスリリングな挑戦に対して、かつての社会においては「運よく殺さずに済むこと」が成功の基準だった。
ところが時代は変わり、価値観は転倒した。
「どれだけたくさん殺すことができるか」が、目隠し運転の醍醐味になったのだ。
そういう意味では、ひとがほとんどいない深夜の時間帯というのは、プレイ時間としてはあまり適しているとは言いがたい。
それでも習慣となってしまった深夜徘徊において、目を見開いてもいい、というルール変更を加えることで、どうにか獲物を確保することができるようになった。
人間を見つけたら、轢き殺すのだ!
悪魔のエキゾーストノートが、深夜の商店街に響きわたる──。
「で、どうしてこうなってるんですかね?」
「どうしてだろうねえ?」
運転席にタツマ、助手席にアンリ。
後部座席にチューヤとサアヤ。
最後までサアヤの横に座りたがったアンリだが、タツマによって却下された。
スラオシャを倒した瞬間、チューヤたちは境界から抜けた。
塔の内部だけを支配していたタツマたちは、てっきり彼らが訪ねてくれるものと、広域を巻き込んだ境界化はしていなかったのだ。
広く浅くするより、少数と深く突き詰めたい選択肢というものもある。
タツマたちは、自分たちから遠ざかっていくチューヤたちを眺めて、残念な思いで見送ったのだという。
彼らをゾロアスターの世界に引きこむことができなかった。
幸福な最期を与えることができずに申し訳ないと。
「いや、最期とかまだ迎えるつもりないですから」
ぶるぶると首を振るチューヤ。
肩をすくめるタツマとアンリにとって、価値観の対立は日常だ。
ともかく、ゾロアスターというシステムを実質まわしていた天使と魔王の暴走は、なんとかおさまった。
沈黙の塔で、光と闇の決着をつけるわけにもいかず、またぞろ這い出してきたところ、ミニ・クーパーの忘れ物が見つかった、という。
一方、現世にもどったチューヤたち。
すべての資産を消失する、という境界特有の損害に慣れているケートたちは、各自、クルマを呼んだ。
チューヤたちも送ってもらう手はずだったが、終電がギリギリ間に合う、というチューヤの主張によって退けられた。
ケートだけは一瞬、見透かしたような視線をチューヤに投げた。
たぶん、見透かされたんだと思う。
が、ケートはケートで、自分をパリーサにつなげたイスハークに報告する、という仕事があった。
ケートは「やることがありすぎて吐きそう」と言いながら去っていった。
ダッシュで向かう池尻大橋駅。
帰宅するなら二子玉を目指す流れ一択だ。
が、チューヤは逆向きに乗るつもりだった。
渋谷から内回りで五反田へ、大崎まで乗ってもいい。以前は品川までいったが、現在は大崎どまり。
そのころには午前1時すぎ、どうせ池上線は終わっている。
五反田、大崎から戸越銀座は、1キロ少々。歩けない距離ではない。
そんなチューヤたちに、地下駅の入り口前で待ち受け「乗せてってやるよ!」と声をかけたのが、タツマとアンリだった。
戦いを好む両者は、今夜、どうしても決着をつけたいと思っていた。
つぎこそ最終ラウンドである──。
「じゃあ、どうしても勝負するんですね」
アフラマズダとアンリマンユは、プロトタイプだ。
戦って勝つという、原初的な動機に根差している以上、衰えようがない。
歴史はその後、ディーヴァとアスラ、インドラとヴリトラ、という二項対立の伝統を受け継いで、アーリア人の侵入以来、アラビア半島からインド亜大陸にかけての文化に広く進出、定着していく。
ヒンドゥーの神話の数々に受け継がれ、善神による悪神退治という構図は、現在も諸説話のなかに見出される。
勧善懲悪の物語は、不動の需要と供給なのだ。
同時に、正義と悪は、異なる文明に摂取される場合に「置き換え可能」であることが歴史的に示された。
どちらにつくか、という問題ももちろんあるが、どちらを正義にするか、という根源的な選択の問題さえも、ここには含まれている。
たとえばヨーロッパ、とくにイタリアなどにおいては、多少の女遊びをする首相のほうが人気があったりする。
彼らには、東洋の美少女をとっかえひっかえ楽しみながら、クルマを運転させればバカっ速いアンリというキャラクターのほうが、アンチヒーロー的に受け入れられる可能性すらある。
支持すべき「絶対」の基準など、ないのだ。
「あのブーブーブブ・ブーブギーマンを倒したいなら、そうすべきだろうね」
にこやかに笑って、サアヤの肩を抱こうとするアンリ。
するっと躱しつつ、突っ込んであげる彼女のやさしさ。
「……ブ多すぎだよ!」
やっかいなキャラだと理解はしつつも、味方が多いことは心強い。
すでに戸越銀座への移動中に、むかしから殺戮をくりかえしてきた邪悪なクラシックカー、それに取り憑いた本性であるブギーマンについての話は、伝えられている。
サアヤの弟を含め、世の多くの人々に悲しい思いをさせてきた悪夢の象徴、ブギーマン。
ともかくこれを倒さずして、明日のサアヤはないのだ、という決意は揺るがない。
サアヤの気持ちはかくのごとく確固として真摯だが、ともに同じ課題に当たる男たちの気持ちは、必ずしも生真面目というわけではない。
むしろ「遊び」の要素を多分に含んでいる。
彼らはいつのまにか、ブギーマンとやらを「どちらがさきに倒すか」というゲーム要素を、みずからに設定していた。
「……いるな、たしかに」
「おおよ。とにかく閉じ込めるか」
タツマとアンリはうなずき合い、ブギーマンが戸越銀座に出現した瞬間、約1.3kmの商店街にループ魔法をかけた。
どこか遠くで悪魔の叫びが聞こえたような気がしたが、もはや袋のネズミだ。
なんとなく察しつつも、説明を求めるチューヤ。
「なにをやったんですか?」
「たかが都市伝説の主人公が、歴史ある神々からまともに相手してもらえることを、時間をかけて感謝できるような舞台をしつらえたのさ」
「要するに閉じ込めたんだね!」
どこかの横道から出現し、どこかの横道にはいりこむ、という動きは可能だが、それ以外の場所に逃げ出せないようになっている。
この封印がどれだけもつかはわからない。
長ければ朝までもつだろうが、1時間で切れる可能性もある。
さほど長くはない制限時間内に、ブギーマンを発見し、倒す。
「さきに倒したほうの道に、きみたちは傾くのだ」
絶対善と絶対悪という、ゆるがせにできない普遍性を主張しながら、そのじつ容易に反転する相対的な存在、原初的な二項対立の行きつく果ての陳腐なゲーム。
ランダムに動くターゲットを狙って、攻撃を当て、倒すこと。逆に相手からの攻撃を見極め、致命傷を避けること。
かぎられた通路を舞台にした、パックマンとかラリーXといった、いにしえのゲームにありそうなアクションパズルを解く感覚だ。
ちなみに、戸越銀座には宵越の銀次郎が出没し、持ち金の半分を奪われるというイベントも同時に発生するので気をつけたい。
「なにその設定!?」
「ゲーム要素は多いほうがいい。ではルールだ。戸越銀座には、この危険な時刻にもかかわらずうろちょろする、バカな人間が少なくない。そいつらを全滅させるのが、ブギーマンの目的だろう。われわれ4人は、それを妨害し、やつの残機を0にする。以上が勝利条件だ」
「勝利できなければ、すなわち敗北と」
端的にいえば、ブギーマンはパックマン、ということだった。
チューヤたちは、お邪魔キャラであるモンスターを担い、目的はゲームオーバー。
ブギーマンは、つねにパワーアップアイテムを食っているような危険な状態だが、完全に無敵というわけでもない。
とにかくもサアヤには、この長らくつづいた忌まわしい殺人ゲームを、いいかげんゲームオーバーにしてやらなければならない、という強い決意がある。
チューヤも同意見だ。
「では2手に別れよう。……お嬢さん、お手を」
女たらしのアンリは、一刻も早くサアヤとふたりきりになって、どこぞにしけこみたい、という雰囲気が満々だ。
もちろんそんなことをさせるわけにはいかないので、
「3手に分かれるのが合理的だろう。われわれなら、この制限がかかった状態でも、ブギーマンごときは単独で倒せる。……そうだろう?」
アンリは答えなかったが、チューヤには類推材料があった。
脳内に悪魔全書を展開する。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
アフラマズダ/大魔神/D/紀元前/アケメネス朝ペルシャ/アヴェスター/池尻大橋
アンリマンユ/大魔王/E/紀元前/アケメネス朝ペルシャ/アヴェスター/駒場東大前
ブギーマン/外道/E/中世/世界各地/民間伝承/戸越銀座
「なるほど。一応、ブギーマンより強い設定ですね。てか、紀元前の名のある大魔神、大魔王なのに、かなり控えめなレベルだなー」
「世界を100として、51を取って勝利する、というのがゾロアスターの思想なのだよ。言い換えれば、49を支配する悪にも、それなりに重要な意味を与えているということだ」
アフラマズダの世界は、定められた時を1万2000年としている。
アフラマズダは最初の3000年で天地を創造する。その見事さに衝撃を受け、アンリマンユは3000年間、戦意を失う。
だがその後、息を吹き返し、3000年間攻撃を加える。そのとき、つまり天地創造から9000年後に生まれたのが、ゾロアスターだ。
以後、1000年ごとに救世主が生まれ、三人目の時代に「限られた時」が終わる、としている。典型的な終末論の予言といっていい。
ゾロアスターがいつの時代のひとかというのは、研究者によって見解が割れる。
紀元前13世紀~紀元前7世紀、という意見が多いようだ。
もし紀元前10世紀前後であるとすれば、そろそろ3000年が経過することになる。
最後の救世主が生まれていいころだ。
「最終的には正義が勝つが、世界は、ぎりぎりで正義が勝利するくらいの、危うい均衡にある……と。なるほど、かなり心を惹かれる設定ですね」
「だろ? いっしょにゾロアスターを再興しようじゃないか」
「いえ、遠慮しときます。……サアヤ、負けないようにがんばろうぜ」
「うん。私は……まあ、だれが倒してくれてもいいんだけど、そのブギーマンってやつだけは、ぜったいに倒さないと」
「ブーブーブブ・ブーブギーマンだ」
どうやらボケ要員らしいアンリを無視して、全員が配置についた。
遠くから響く悪魔の咆哮。
レトロなクラシックカーのエンジン音が、やけに物悲しい。
ゲームは開始された。




