67 : Day -29 : Shinsen
落ちてくるものと落ちていくものが交錯するなか、あらゆる物体が武器になり、味方となり敵となった。
悪魔たちの集団捕食行為に対して、チューヤたちは当然、敵対的に応対した。
しかし悪魔の捕食対象である神殿の信者たちも、チューヤたちにとっては敵対的に勘定されている。
神殿を満たしていたイラン系ゾロアスター教徒が駆逐され、数少ないインド系が勝利することで、やっかいな乱戦という流れが生まれ、最終的に決着をつけたのは──パリーサの覚醒だった。
「ハルワタート!」
パリーサの言葉にともない、炎上するクルマが消火される。
守護するのは水。意味するものは健全。
「アシャ!(バフラーム)」
立ち上る火炎。意味するものは道理。聖火に象徴される。
「フシャスラ・ワルヤ!」
空気が渦巻く。その意味は望ましい統治。
「アールマティ!」
地面が揺れる。それは流砂に変わり、敵を飲み込む。守るものは大地。その意味は敬虔。
「アムルタート!」
その意味は不死。植物によって守られ、ハオマ草を代表とする草木を象徴する。失われた部位が生え、傷口がふさがっていく。
「ウォフ・マナ!」
動物たちが集まり、攻撃を仕掛けてくる。その意味は良心。
「スプンタ・マンユ!」
聖霊。守るのは人間。祭司を象徴し、パリーサをその憑代に選んだ。
──悪魔が展開した強力な結界に対して、天使による最適の対抗が行なわれた。
アエーシュマの防御が打ち破られる。
覚醒した天使を相手に戦うのは、リスクが高い。
あわてて逃げようとする魔王の背後に音もなく接近していたのは、つねに戦場を俯瞰し、最適の戦力を、最良のタイミングで投入するプロフェッショナル、悪魔使いだった。
「これが、俺たちの正義だ」
いまのところ、最適解。すくなくとも彼はそう信じる。
暫定的な立場ではあるが、決意をこめて貫かれたチューヤの剣。
胸に致命傷を負った魔王は、新舘の顔で言った。
「手を放せ、そうすれば、きさまの道は開ける。……われわれの側にな」
一瞬、マフユの顔がよぎったが、チューヤはあわてて首を振った。
現在進行形でくりひろげられているだろう、AKVN14をコアとする東京「中央」の捕食。同時に「周縁」部でも、東京を闇に沈める勢力が呼応して大量捕食を試み、決定的に東京崩壊が世界へ追いつく可能性。
チューヤは選択し、腕に力をこめた。
「さよなら魔王」
心臓を破壊し、胴切りに一閃。
憑代を失い、境界から完全撤退を迫られる魔王。
乱れていた重力が整い、落下するチューヤ。
戦闘は終了した──。
戦いは終わったが、展開をやめたわけではなかった。
七つの術を駆使して、満ち溢れた悪魔たちを一掃したパリーサの力は──天使。
それもヒナノのように、自分のレベルに合わせたただのガーディアンではなく、覚醒・降臨した天使だ。
その本体を肉体に降ろし、一体化すること。そもそも弱い人間の肉体では、その状態を維持することすらむずかしい。
それでもパリーサが天使を呼び出したのは、なぜか──。
「わたしの、彼を、返して……」
パリーサは歩き出した。
中央の「沈黙の塔」へ向け、たった一本架けられた、古典的な木の吊り橋を踏みしめて。
わたされたワイヤーに、粗末な割り木だけが体重を支える。
バランスをとるのもむずかしい一本道を、淡々と進むパリーサ。
沈黙の塔──ダフマ。
ゾロアスター教にとって究極の汚穢である「死」を詰め込んだ場所。
ダフマは今日、西インドで主として用いられる。敬虔なゾロアスター教徒は、世界中からこの場所に遺体を送るという。
死体が詰め込まれた塔で行なわれているのは、鳥葬。
あれほど大量の猛禽が空を舞っていたのは、けっして戦いを待っていたからではない。
ハゲワシによって死体を処理する、という宗教的な方法なのだ。
本来のダフマは、屋根のない円形の石造建造物で、不毛の丘のうえに設けられる。
内部は三重の円になっていて、外側から内側へ、男性用、女性用、子供用と並べられた死体を、鳥類が食べて処理をする。
しかしこの幻想のダフマは、そういう目的ではないように思われる。
いかにも細長い塔であるし、そこに大量の死体を詰め込むというのはむずかしいようにみえる。
では、どんな機能を果たすのか。
チューヤたちは、淡々と進むパリーサを見つめることしかできない。
パリーサの周囲には、光り輝く「なにか」が集まっている。
見つめるヒナノの目が、大きく見開かれる。
「あれは、携挙……っ?」
ハッとしてふりかえると、ケートの視線にぶつかった。
彼も眉根を寄せ、自分の見立てがまちがっていたことを理解する。
ヒナノは当初、アンリを正しいものと信じた。それは過ちだった。
ケートは当初、タツマを正しいと信じたが、アンリに乗り変えた。しかしやはり、正しかったのはタツマの側だったということになる。
現にタツマを支持したパリーサの身体は光に包まれ、ヒナノによれば携挙に近い状況となっている。
携挙──それは神に選ばれた魂が、生きたまま天国へと導かれることだ。
正しいものを信じることが正解だとはかぎらない。
「だが……待てよ。ボクは自分がまちがいを犯したと認めるのを、もうすこし先延ばしにする。……お嬢、あんたの神さまは、あれと同じことをすんのかい?」
ヒナノと、携挙されゆくパリーサの間を、いそがしく見比べるケート。
光の神をまえに、それはすばらしく美しい、正義の輝きに満ちた光景であるはずなのに、どこかに違和感がある。
「ああ、神、わたしの、連れて行って、くださるのね、彼のもとへ」
歩き出したパリーサの肉体が、ぼとり、と脱落する。
「ひっ……」
見ている者にとっては恐怖、だが当人にとっては救い。
なぜならそれは「携挙」だからだ。
「運命の日、あんたの神さまも、ああやって信者を引っ張り上げてくれるんだろ?」
「ああ……やって……?」
「いま、御許へ、まいります、神よ」
ぼたり、と足が倒れる。それでも進むという意志は、すこしもゆるがず、のしのしと肉体を推し進めていく。
彼女は脱ぎ捨てようとしているのだ。汚穢の集積を。
ゾロアスター教は肉体を邪悪なものとし、精神を清浄なものとする。彼らは肉体を脱ぎ捨て、清浄な魂の存在となって、あの世の橋をわたることを希求している。
信仰の象徴、ナオジョートで受け取ったクスティーが落ちる。
少女の肉体が崩壊する。ぼたり、と最後に心臓が落ちた。彼女は魂だけの存在となって、神の光のなかへ吸い込まれていく。
「あれが正義? あれが神? あれが永遠の救済ってか? だとしたら、ボクはごめんだね。お嬢も惹かれたんだろ、あの自由なフランス人に。彼もそう言うだろう。悪魔の肉体とともに、この世の最後まで戦うってな」
神と悪魔の転倒。価値観の逆転。
それはむしろ悪魔のまま、信頼する可能性さえも包含する。
悪魔使いは呼吸を止め、目のまえにくりひろげられる事象の意味を思索する。
神にしたがい、引き上げられるか。
悪魔とともに、生きるか。
そんな単純な二者択一でないことは、もちろん承知している。
だが現状はかぎりなく、浅薄に解釈しうる。
敵がだれなのか、錯綜する。
結局、光とも敵対することになるのか──。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
スラオシャ/天使/E/紀元前/イラン/ペルシャ神話/戸越公園
ゾロアスター教の下級の神もしくは天使階級にあたるヤザタのひとり。アムシャ・スプンタのひとりとみなされることもある。
その名は「聞くこと」を意味し、「聴取」と「従順」を守護する──。
ボス戦のBGMが脳裏に響いた。
チューヤは悪魔を召喚し、戦闘態勢を整えた。
スラオシャを信じ、この道を携挙されて進むか。
スラオシャを倒し、生きたまま橋をわたるか。
「チューヤ……」
サアヤは最初から、チューヤの背後に立っている。
「みんなは、みんなの判断で。俺は戦うよ、あの敵とね」
人間をエサにする悪魔を倒すと、チューヤは決めた。
「そもそも天使ってのは、おそろしく忌まわしいものなのさ。行こうぜ、チューヤ」
ケートも彼の選択に同意する。
「あなたの忌まわしい口こそ閉じなさい、冒瀆者。……しかたありません」
ヒナノはこれを「裏切り者の天使」と解釈することにした。
──そもそもゾロアスターは、神学機構に参加していない。
規模が小さすぎるということもあるが、イスラームや他の派閥などとは比べるべくもない、いわば社外品のようなものだ。
規格外であれば、排除するにしくはない。
スラオシャは、アンリマンユの手先によって苦しめられる人々の叫びを聞く、アフラマズダの耳とみなされていた。
イスラームがペルシアを征服しゾロアスター教に取って代わったあとも、スラオシャはアッラーフの使者スルシュとしてその名を残している。
スルシュは時として、ジブリールと同一視される。
だれしもが、正義を信じている。
自分の正義のために、戦っている。
そのためには、他の正義は悪でなければならず、悪であるがゆえに撃滅する。
そうして「暴走」が開始される──。
幻想のダフマに、裁きの橋チンワド・プフルが架かる。
そのさきに、橋をわたるのを案内する自分のダエーナ(自我)がいる──。
期せずしてチューヤは、アエーシュマを倒したのとまったく同じ流れで、スラオシャの心臓を貫いた。
徐々に肉体を携挙され、マリオネットと化したパリーサに、引導をわたす形だ。
その瞬間、彼女は正気をとりもどしたように見えたが、どんな思いでいるのかチューヤには察することができなかった。
それより重要な転機が、さきにチューヤの時間を支配したからだ。
橋をわたりきって、沈黙の塔に踏み込もうとしたその一瞬、はるかな上空を一匹のハヤブサが駆け抜けたような気がした。
ま・た・あ・い・つ・か。
高々度を舞うホルスは、チューヤの視力では正確に判別できなかったが、ちょうど生肉を奪い合う2匹のハゲワシの中間を、右から左へ駆け抜けようとしている一瞬のようだった。
この短い刹那に、どのような人生の分岐点が待ち受けているというのだろうか。
「よう、よく来たな。あちら側の俺」
沈黙の塔に、たったひとつだけ穿たれた入り口、その鋼鉄の扉に浮き上がるようにたたずむのは、異世界線の自分──ニシオギのアクマツカイだ。
見つめ合う、同じ顔。
「おまえか。学校の地下以来、か?」
チューヤの記憶が確かなら、井戸の底、死者の国との中間に彼はいた。
ということは、ここもそうなのだろうか?
「察しがいいな。この沈黙の塔は、死体を投げ入れる場所だ。本来の目的はな。現状、別の状態にあるようだが、本質は変わらない。俺はあの世とこの世の中間を漂っている」
同じ表情の奥を探り合いながら、偏った情報量の均衡を目指す。
「それについて、小一時間ほど説明を求めたいところだが……よく見えないな、ホルスのやつ、どういうつもりだ?」
ホルスが与えてくれる魂の時間は、長かったり短かったりする。
ホルス自身によれば、簡にして要を満たすのに十二分の時間、ということになるが。
「ともかく、この塔へははいるな。十中八九、死ぬ」
さきへ進めば死ぬ、という直感に襲われたことは、ときどきある。
毎回、直観にしたがって危地を避けた結果、現状、まだ死んでいない。
今回も、異世界線の自分に受けた忠告は重視したいと思うが、説明が少なすぎるのは問題だ。
「どういうことだ? おまえも死んでるのか」
「いや、俺もおまえも、死んじゃいないよ。まあ、俺は死んでるようなもんだが」
「ようなもの、ってなんなんだよ。だって、ここにいるってことは」
大橋ジャンクションは、大きな橋だ。
この世とあの世を分ける橋がかかっていても、おどろくにはあたらない。
「前回も言ったろ。頼みがあるんだ。俺を、この塔の奥へ突き落としてくれ。この鉄の扉をすこし、押してくれるだけでいい。それで、この扉は開く。──そして、おまえはもどれ」
「どういうことだよ」
ニシオギのアクマツカイが、あの世へつづくチンワド橋を支えるワイヤーを指さす。
そもそも必要な強度が足りない橋に、多すぎる荷重を受けて、いま、それは弾け飛ぼうとしていた。
チューヤの視線は前方の自分の姿と、後方から追いかけようとしている仲間たちを見比べる。
もし魂の時間が終わり、肉体が動きをとりもどせば、目のまえの扉を押すのにそれほどの手間はかからないかもしれないが、弾け飛んだ橋をもどることはおそらくできないだろう。
だからといって、死ぬわけではないかもしれない。
だが異世界線のチューヤは、しばらく考えてからつぶやいた。
「いまは無理、か。……いいんだ、もどれ」
橋が崩れ、遠のく。もうひとりのチューヤは悲しげに、伸ばした手を引きもどした。
無茶をして、もうひとりの自分を巻き添えにしたくない、という思いが汲み取れた。
「扉くらい開けてやるよ、だけど教えてくれ、その扉を開けると、おまえは死ぬのか? だったら」
「いいよ、まだ、もうすこし考える時間をやる。……だが、おぼえておいてくれ。そして約束してくれ。俺の魂に、安らぎを与えてくれると」
「安らぎ? どういうことだ?」
「──永眠だよ。すべての生命にとっての救いだ」
にわかに意図をはかりかねる。
ゾロアスター教徒にとっては、この世の生活を全うしたさきには歓喜がある。
運命の日は、けっして哀悼の日ではない。人生を正しく生きてさえいれば。
「むこうの俺は、てか、おまえはゾロアスター教徒なのか?」
「宗教は、あまり関係ないな。救いを求める人類共通のツール、という意味なら、それもアリかもしれないが」
「救い……? 死んだほうがマシな状況にいる、ってことかよ」
「根性論で乗り越えられることと、そうでないことがある。まあ、乗り越えてもらわないとな、サアヤには。──戸越銀座へ行け。ブーブーに乗ったブギーマンが待っている。あとは……わかるな?」
ひとつひとつ、過去を乗り越えていくこと。
人間はそうやって成長し、きのうよりはマシな、きょうの自分になるのだ。
重要な指針は、ゾロアスターの主神ではなく、自分自身から得られた。
「ああ、だけど」
「タイムアップだ。もどった瞬間、全力でうしろに跳べ。──じゃあ、またな」
ふっ、と姿を消すニシオギのアクマツカイ。
チューヤの魂も肉体に引きもどされ、生きた感覚が全身にいきわたる。
そして時は動き出す──。




