59 : Day -30 : Hachiman-yama
ドラッグはダメ、ゼッタイ。
サアヤがその信念をもっているのは、弟を殺した暴走車を運転していたのがジャンキーだったからだ。
突然、歩道を何十メートルも暴走し、壁にぶち当たって止まった。
なにを考えていたんだ?
おぼえてません。
この典型的なジャンキーに課された刑期は、たったの15年。
危険運転致死傷罪の最高刑20年は適用されず、立証のハードルが低い自動車運転死傷行為処罰法(飲酒や薬物運転全般に適用)で、お茶を濁したかっこうだ。
そうしてサアヤの弟の身体の半分は引き裂かれたが、顔面だけは、おそろしくきれいだった。耳の後ろから後頭部にかけては、ぐちゃぐちゃだったが。
マスコミが表現するところの「全身を強く打って死亡」は、「原型を留めていないほどひどい」状態をオブラートに包んだ表現である。
弟の死後、サアヤにも、しばらく記憶がない。
陳腐な表現だが、悲しすぎて思考が止まっていた。
その後、乗り越える段階で、わるいのはヒトではなく、クルマでもなく、そうさせたモノ(ドラッグ)だ、と思うことにした。
だから、ドラッグはダメ、ゼッタイ。
そう信じて、いままで生きてきたが、風の噂で「呪いのクルマ」がまだ人を殺しつづけている、と聞いた。
──その黒いフォルクスワーゲンは、非常に貴重なクラシックカーで、高額を支払ってでも入手する価値がある。
そう考えるマニアは多かったが、あまりにも「いわくつき」であることから、微妙な値段となっていた。
乗る人物も、その周囲にも、死をふりまくクルマ。
人から人へと転売がくりかえされ、悲劇も積み重なった。
その「呪いのクルマ」を、第2京浜、環八、首都高あたりで見た、という証言が集まってきていた。
所有者あるいは所在地のおおよその目安から、どのあたりでバイトをすれば効率的かを考えた。
社会全般、着実に増加する行方不明者。
その責任の一端を、この呪いのクルマが負っていないと、だれが言えよう。
わるいのがドラッグでもヒトでもなく、クルマそれ自体ということになれば、もう遠慮はいらない。
退治するのだ。
「というわけなんだよ、ケート」
助手席で説明するチューヤ。
運転席にケートがいることに、もうほとんど違和感をもっていない自分がおそろしい。
「なるほどね。サアヤに歴史ありだな」
しかも、いま彼はハンドルを握って、アクセルを吹かしている。
自動運転だから、という言い訳は通用しない。
これは──クラシックカーだからだ。
夕暮れのなかを流す、イタリア生まれのかわいいクルマ、59年式フィアット500チンクェチェント。
目的地は、環八からすこしはいった、一応名のある通り沿いにある、サアヤのバイト先。
なぜか、ちょっとした裏通りに店を構える「隠れ家的」ガソリンスタンドだ。
クルマが客なのに大通りから離れるという、よく意味のわからない店だが、住宅街、カーシェア、指定給油所などの条件がそろうと、意外な需要があるらしい。
時刻は午後5時に近く、時節柄、日はとっぷりと暮れている。
そろそろサアヤの上がる時間だ。
火曜と木曜は午後6時から閉店まで3時間、土曜は午後1時から夕方5時までの4時間。合計週10時間働いて、月給は5万ほどになる計算だという。
高校生のバイトとしては妥当な額といえよう。
「最初の給料でなんかおごってくれるらしいぞ」
「どうせトロルチョコだろ」
「やりかねない!」
そんな会話で、給油スタンドに横づけするケート。
事務所から出てきたサアヤが、リズミカルに走り寄ってくる。
「いらっしゃいませーって、ケーたん! チューヤも」
「よっ、バイト少女。迎えにきた、ついでにハイオク満タンで」
旧車だからといってハイオクを入れなければならない、という理由はない。
むしろレギュラー仕様車にはレギュラーでじゅうぶんなのだが、軽油などとちがい、ハイオクを入れたからといってエンジンが壊れるということもない。
価格差のぶん、無駄なだけだ。
ただ旧車では、レギュラーのオクタン価だと異常燃焼が起きやすいケースもある(きちんと整備していれば問題ない)ため、念のためハイオクにしておく、という選択肢はある。
そもそも近年のヨーロッパではオクタン価95以上のガソリンしか販売していないため、日本ではハイオクを入れておくのが適当だ。
「ハイオク満タン、はいりまーす。お得意様だから、サービスサービス♪ きみにテンパーセーン、でー売るよー、割り引きしすぎてー、目を閉じた店長あ~♪」
鼻歌を歌いながら給油を開始するカルロス・サアヤ。
事務所から出てきた店長が聞きとがめ、あわてて駆けつける。
「ちょ! なつかしいメロディのどさくさに値引きすんのやめて、バイト!」
「いやー、ははは、冗談じゃないですか店長ー」
ごぼごぼとガソリンをこぼすバイト。
飛び跳ねる店長。
「ちょ、トリガーもどして! たく、なんちゅうバイトだ!」
「いやー、ははは、それほどでもぉ」
なんやかんやと騒ぎを起こしつつも、彼女は店になじんでいる。
せっせと給油と窓拭きに励むサアヤを眺めながら、
「10パーセント割引だってさ。よかったな、ケート」
「いや、テンパーセントで売るって言ってたから、9割引きじゃね?」
そんな高校生たちの会話に、しかたなく突っ込む店長。
「そんなわけないでしょ! まったく最近の高校生は」
「知ってて売ってるところもすごいね……」
昔はヤンチャしていた反体制派の店長、という話はチューヤも聞いている。
もちろん無免許運転はダメ、ゼッタイ。
「毎度どうも。……そういえばお友達の細長い女の子も、さっき来たよ。リミッターかかるまえのハヤブサに乗ってたな。そのまま時速200キロですっ飛んでった。なかなか男前の女の子だね」
「そーいや、きょうはAKVN14の総選挙当日だもんな」
マフユ・シナリオを選ぶとしたら、おそらく参加しなければならないイベントだろう、とチューヤは考えた。
自販機で買ったコーヒーを飲みながら、ケートが言う。
「リョージは葛飾のほうで、カッパがどうとかブタがどうとか言ってたぞ。って、浜田さんが教えてくれた。じつに楽しい友人ですね、だとさ」
「浜田さんて、猿みたいな顔したケートの格闘技の師匠だよね。まあリョージは、いつでも冒険者だからね」
カッパにブタにサル。なんとなく、リョージがいま、どんな物語をくりひろげているのか、想像がつくような気がしないでもない。
リョージ・シナリオを選んだら、とても楽しい土曜日になっていた……だろう。
「ボクだって本来は、こんなところで遊んでていい時間は、あまりないんだがな。キミたちがアホほどネタほりこんでくるから、処理が追いつかんよ」
「ごめんね! 頼れるのはケートだけだよ」
いろんな陰謀に巻き込まれ、あるいは主体的に動かしながら、個人的な事情も抱え込んでいる天才少年。
ケートのシナリオにもっと寄り添えば、おそらくもっと……いそがしい。
「……お、来た来た」
店長が道路に視線を移しながら言った。
どうやら知り合いらしい男が、白銀のバイクで滑り込んでくる。
ヘルメットを脱ぎ、軽く会釈する彼は、年のころ40代後半。日焼けしたガソリンくさい業界人に見えるが、やたらハイテンションなしゃべり口調が耳につく。
事務所のほうへ行って、店長となにやら短いやりとり。その視線がときおり、ケートの乗ってきた旧車に向けられているのは気のせいではない。
チューヤはあらためて、ケートに問いかけた。
「で、なんだっけ、このクルマ」
「59年式のイタ車、フィアット500、チンクェチェントだ。……じいちゃんのクルマ、おしゃかにしちまったからな。で、オヤジ秘蔵のこのクルマをガメてきた。母親との思い出も詰まってるらしいが、知ったこっちゃない」
ケートの父親は世界的なヘッジファンドの総帥で、現在はアメリカに住んでいる。
思い出とは言い条、おそらく資産運用の一環で、旧車にも手を出している可能性は高い。旧車とは意外に「投資効率」のいい資産なのだ。
「大金持ちらしくない古臭い車だなー、なんて一瞬でも思った俺の目が曇っているんだろうね」
「車両価格か? 応談、ってやつだ」
くわしく聞くのはやめておいた。
旧車の値段など、あってないようなものだ。
アニメ映画をほうふつさせるチンクェチェントはとても人気が高く、一般には数百万円で売買されることが多いが、より古くて状態のよいものであれば容易に桁が上がる。
──そこへ、音もなく横から近寄ってきた、さきほどの男と店長のふたり。
向かい合った男は一枚のカードを差し出して、みずから芸名を名乗る。
「どうも、はじめまして、スター新舘です。よろしければ今宵のレース、ご参加いただければ幸甚」
受け取りながら、インビテーションカードに目を落とすケート。
記載されている宛名は、59年式フィアット500スポルト。
彼らが待っているのは、人間ではなくクルマ、ということだ。
チューヤは新舘と名乗った男から店長に視線を移し、
「どういうことですか、店長?」
「夜の首都高でね、そういうイベントがあるらしいんだよ。クラシックカーだけが集まる。……参加資格は、製造から50年以上の旧車。チンクェチェントなら、もちろんOKだ」
チューヤは店長からケートに視線を移す。
彼は軽く肩をすくめ、
「サアヤの役に立ちたいと思ってるのは、キミだけじゃないんだよ」
「彼女が過去を乗り越える役に立ちたい。そこで、いろいろ話を通しておいた。──土曜の湾岸線は、首都高バトルらしいよ」
店長の言葉に、チューヤはしばし考え込んだ。
現在、首都中心ではAKVN14が総選挙を展開してオタクの命を吸い取り、首都辺縁の道路では旧車がバトルを展開して走り屋の命を吸い取る、というわけか。
事件はリアルタイムに進行中。
チューヤは、自分の選んだ道の正しさを信じて、突き進むしかない。
「そこに、例の……?」
「年式不明のフォルクスワーゲン・タイプ1だったか? 見つかるとはかぎらないが、行ってみる価値はあるだろう」
「たしかに」
「それじゃ、辰巳で待ってるよ。……スターの光浴びて、限界・境界・大霊界、あ、行ってみゃしょお~」
謎の決め台詞らしきものを残し、立ち去るスター新舘。
彼も国産のクラシックなバイクに乗ってはいるが、クルマといえばアメリカ、というイメージがチューヤにはある。
ケートを見るまでもなく、アメリカ合衆国で生まれ育ったら、幼いころから運転を学ばなければ生きていけないのだ。
「やっぱアメ車が多いのかな」
「いや、ヨーロッパ勢だろ。20世紀前半からの伝統があるからな。まあ製造後50年なら70年代も含むから、日本車も攻勢をかけてる時期だし、間口は狭くない。……楽しもうぜ、クラシック・カーの祭典とやら」
「……いいですわね。わたくしも同行させていただきたいわ」
という背後からの声に、ふりかえった。
ヒナノが、例のマスクをかぶった運転手・唐沢とともに、ガソリンスタンドに給油にやってきていた。
それじたい、おどろくべきことではないが、なんと、乗っているのが旧車だ。
「……どしたの、それ」
「うちの家系は、骨董品を集めるのが趣味なのですよ。送迎用のクルマは新車で発注していますが、届くまではこの伝統ある女王陛下のクルマを使うようにと」
かの有名な「ビートルズ」や「エリザベス2世女王」も運転したという、60年代大衆文化の輝ける極星、BMCオースチン・ミニ・クーパー。
41年間、一度もモデルチェンジせずに製造されつづけた、伝説の名車である。
「インビあんのか?」
ケートの問いに、ふりかえるヒナノ。
唐沢がポケットから取り出したカードには、ケートが受け取った59年式フィアット500同様、64年式オースチン・ミニ・クーパーの名がある。
ケートはケート、ヒナノはヒナノで、なんだかんだサアヤを心配してるようだ、と理解するチューヤ。個人的には喜ばしい。
その当人はバイトの終わる時間なので、事務所へ着替えにもどった。
完全に日は没し、周囲は闇と人工の光に包まれている。
今夜も長い夜になりそうだ。
「けど最近、サアヤ案件が多いよね。しかもけっこうなメンツを巻き込んで」
ぼやくチューヤに、背後から強力なラリアット。
「私はチューヤ案件とちがって、みんなに愛されてるから、みんなが進んで協力してくれるんだよねー」
「……否めねえ」
顔を見合わせる一同。
もちろん自分の都合が最優先ではあるが、それ以外で優先順位をつけなければならないとしたら、まずはサアヤ案件をやっつける。それが鍋部のルールだった。
ふとヒナノが、若干言いづらそうに口を開く。
「お返しを要求するつもりはないのですが、来週、すこし手伝っていただきたいことがございますの」
「そんなことだろうと思ったよ」
皮肉っぽいケートの物言いに、
「あなたには言っていません。──発田さん、よろしくて?」
「もちろんだよー。ヒナノンのためなら、私にできることはなんでもするよ」
女同士、仲の良さを強調しているのは、わざとだろう。
いぶかしげな目で見つめるチューヤとケート。
ヒナノは、あからさまに男性陣から視線を外し、サアヤを見つめる。
「本来はドレスコードの厳しい場所柄、ご遠慮いただきたいところですけれど、今回にかぎっては、あなたの親しい方も連れてきていただいてかまわなくてよ」
あいまいな空気のなか、ゆっくりと視線を集めるチューヤ。
ケートは不快げな口調で、
「チューヤの力が必要だと言えよ、お嬢」
「そんなことは申し上げておりません」
「……いいよ、俺はサアヤに付き合うって形で、参加すればいいんだね」
人間に対しては弱々しい精神の持ち主であるチューヤは、もはや諦念の境地に至っている。
最近、活用の幅が広がっていることに、むしろ喜びをおぼえる悪魔使いだった。




