3.再会
翌日から中間テストの休みに入った。蘇芳は、昼まで惰眠をむさぼっていたが、さすがに空腹になって目が覚めた。
外は快晴で暑いが、家の中にこもっているのもいやだったので、朝食とも昼食ともつかない食事を軽くとり、ふらりと散歩に出かけた。
そして昨日の公園に来た。
昨日のベンチは蘇芳のお気に入りの場所だ。公園の中でも人が少なく、緑も多くてリラックスできるから実はよくここへ来ている。
また缶ジュース片手にぼーっと空を眺めていると、足音がした。
「昨日の、にーちゃん?」
振り向くと、昨日の男の子だった。ランドセルをしょって、家に帰る途中だろうか。
「――やあ」
「何でこんなところにいるんだよ」
「何でって――いいだろ、別に」
「ガッコは?」
「今日は休み」
「ジシュキューコーってやつ?」
「自主休……よく知ってるなあ、そんな言葉。違うよ、昨日で中間テストが終わったから、今日は試験休みなんだ。試験休みってわかる? 今日から3日、先生達が一気にテストの丸付けするから学生は学校に出入り禁止なんだ。だからお休みになるんだよ」
「なあんだ」
男の子はぱあっと明るく笑うと、蘇芳の隣に座った。
「俺、麻生一平っていうんだ」
突然自己紹介する。蘇芳には、一平のペースがつかめない。
「昨日もさ、なんだか暗い顔してただろ? 今見たらま~たどっか行っちゃいそうな顔してるしさ、つい声かけちゃった」
(人生相談の押し売りか、こいつは)
心の中で苦笑する。
「僕は蘇芳、っていうんだ」
自己紹介された手前、自己紹介を返す。礼儀には煩くしつけられてきている。
「すおう? 苗字? なまえ?」
「下の名前だよ。珍しいだろ」
手近にあった木の枝を拾って、地面に『蘇芳』と書いてみせる。
「難しい字だなあ。でもカッコいい名前だね!」
素直に反応する一平が、何だか面白い。
「俺、そろそろ帰らなきゃ。蘇芳のにーちゃん、元気出せよな」
「わかったよ」
「んじゃな! またな!」
元気いっぱい手を振って帰って行く一平を見送りながら、蘇芳はまたしても圧倒されている自分を感じていた。
「元気出せって、小学生に言われちゃったよ」
自分はそんなに暗い顔をしていたんだろうか。ちょっと我ながら情けないな、と思う。けれど今は少し一平の元気を分けてもらったようで、何となく気持ちが明るい。
その後、同じ公園のベンチで蘇芳と一平は度々顔を合わせるようになった。
一平はなぜか「蘇芳のにーちゃん」と慕ってくれて、いろいろな話をしてくれる。学校のこと、空手を習っていること、 妹がいること。とはいえ一平が一方的に話しているのを蘇芳が聞いていることが多いのだが。
「でさ、環が――あ、環って俺の妹な。すぐ泣くんだよ。でも、泣き止むのもすぐなんだよ。あれって、わざと泣きまねしてるんじゃないかってくらい」
どうやら今日の一平は、妹とけんかをして母親に怒られたらしい。
「そうすると、いっつも怒られるのは俺なんだよ。ずるいよな~、アニキってのは損だよ」
「そうか?」
「蘇芳のにーちゃんは兄弟いないの?」
そう聞かれてチクリと小さな痛みが胸に刺さる。
「――いるよ。でも別のところに住んでいて、一回しか会ったことないんだ」
「え!」
一平が目を丸くする。家族と別な場所に住んでいるなんて、彼の世界では想像もできないのだろう。
「じゃあ、蘇芳のにーちゃんは弟と一緒に住んでないの?」
「うん、まあ、そうだね」
どこに住んでいるのかはわからないけど。ほんの一日どころかほんの一時一緒に遊んだだけの弟だけど、あの時の純粋な光流の瞳を言葉を忘れられない。
何とか見つけ出したい、そう思って空を見上げた。
そこへ一平のストレートな言葉が追いかけてくる。
「何で?」
「何でって――何でだろうな」
「兄弟なんだろ? 何で一緒に住まないの?」
「うーん、大人の事情ってやつだよ」
「でた! オトナのジジョー! 難しい話になると、俺のお母さんもすぐそう言ってごまかすんだよ」
ぷうっとほっぺたをふくらませる一平を見ていると、なんだか可笑しくなってくる。蘇芳は思わず声を出して笑ってしまった。
一平はそれをびっくりして見ている。が、蘇芳自身もびっくりだ。こんなに声を上げて笑うのは、どのくらいぶりだろう?
「おまえ、素直でいい子だよ、一平」
そう言って隣に座っている一平の頭をくしゃくしゃっとかき回す。
一平は「やめろよ~」といいながらも嬉しそうに笑っていた。
「ねえ、会いたい?」
「そりゃあね。会いたいよ」
「蘇芳のにーちゃんには大事な弟だもんね。俺も妹の環のこと、すごく大事だもん。いなくなったらなんて考えたくないもん」
けんかしたばかりのはずなのにそう話す一平がちょっと悲しそうな顔になったので、蘇芳は慌てて「ありがとう」と笑った。
「そうしたら一平は環ちゃんにちゃんと謝って、しっかり守ってあげないとな。がんばれよ、お兄ちゃん」
「うん!」
悪い奴が来たら空手でやっつけるんだ、なんて言いながら空手の型を見せてくれた。ビシッと決めた型がかっこいい。
本当に嵐みたいな――いや、太陽みたいな子供だ。
一平との時間は、蘇芳にとって楽しみな時間になっていった。
「何だかこの頃機嫌がいいらしいじゃないか。いいことでもあったのか?」
珍しく蔵人が早くに帰宅し、蘇芳と一緒に夕食をとりながら話し出した。
今夜のメニューは和食。魚の西京漬けや美しく盛り付けられた炊き合わせ、天ぷらなどがまるで旅館のように並んでいたが、そろそろ食事も終盤。茶碗に少し残っている炊き込みご飯に箸をつけながら蘇芳は「え?」という顔をした。
「駿河から聞いているぞ。毎日公園に寄っているそうじゃないか。ガールフレンドでもできたか?」
「ああ――違います、そんなんじゃありません」
蘇芳は苦笑するしかなかった。彼女ができたとかならまだわかるが、何しろ毎日のデートの相手は小学生の男の子なのだ。
かいつまんで事情を説明する。蘇芳としてはそのせいで「機嫌がいい」と周りから見られるような変化があったとは思いがたい。
「だから別に、機嫌がいいとかいいことがあったとか、そんなわけじゃ」
ぱくり、と最後一口の炊き込みご飯を頬張る。
蔵人は、どこか鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、すぐに柔和な表情になった。
「そうか、その一平君には感謝しなきゃいかんな」
「え?」
「はは、自分じゃわからないか?」
蔵人は美濃焼きのフリーカップに注がれた焼酎をぐいっとあおった。小さくなった氷がカランと高い音を立てる。
「一平君はおまえにいい影響を与えているということだ」
「――影響?」
「蘇芳、私は将来的におまえなら昴グループ全権を譲ってもいいと思っている。ただし、それは知識や能力的な話だ。ビジネスは人と人とのコミュニケーションがなければ成り立たないものだ。お前にはそれが欠けている」
「――」
「ああ、お前が跡取りの話を嫌っているのはわかっているよ。だが、それを取っ払っても自分にそれが欠けていることはわかっているだろう?」
「――はい」
「人と話してみろ、蘇芳。家の中の者、クラスメイト、誰でもいい。人と付き合うんだ。お前が人と違う力のせいでつらい思いをしているのはわかっている。でも、これから先もずっと避けて通るわけにはいかないだろう。幸い、おまえはその一平君には普通に話をしてるみたいじゃないか。ごく普通に心を開いている。彼は、おまえにきっかけをくれているんだとは思わんか?」
蘇芳は何も言えなかった。
「それからな」
蔵人はことん、と空になった焼酎の器を置き、まっすぐに蘇芳の目を見た。
「その、お前の嫌がっている跡継ぎの話だが……」
少しだけ、二人の間に沈黙が流れる。
「……いや、やめておこう。この話はまたにしよう」
蔵人は席を立った。
「父さん」
ふと、蘇芳が声をかける。振り向いた蔵人に、ちょっと気恥ずかしそうに視線をそらし、小さな声で続けた。
「最初の話……努力、してみます」
蔵人はにこりと微笑み「ああ、がんばれ」と言い置いて部屋を出て行った。




