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エスケープ

「だからよ、同じガキこさえんならこっちの方がいいに決まってるじゃねえか」

「やだ! 触らないで!」

「いやな処置はされなくて済む、おまけに気持ちよ~くなれるんだ。いいことづくめだろ? 暴れんじゃ、ねえよっ!」

 ばしっ!

 左の頬を強く叩かれて、優は一瞬気が遠くなった。体が動かない。優が動かなくなったのをいいことに、大沼が優の服に手をかけた。

 があん!

 その時、フロア中に響き渡る大きな音が大沼の手を止めた。音がしたのは部屋の入り口のさらに向こう。現在このフロアにいるのは大沼と優、そして廊下をはさんだ向かい側の独房で寝ている一平しか――

 音のした方を振り返った。

「おい! 優に触るな! 今すぐ離れろ!」

 鉄格子にもたれかかるようにして一平が立っている。本調子ではなさそうなのは一目瞭然だが、思わずひるんでしまいそうな気迫がある。

 だが一平がまだ独房の中にいることに気がついたのだろう、大沼は挑発的に笑った。

「は、やっと目を覚ましたか。けどな、そこからじゃ手も足も出ねえだろ? ちょうどいい、そこから指くわえて眺めてろよ」

「こ――の野郎!」

 一平が今にも怒りが暴発しそうな顔で鉄格子を両手で握る。そのまま渾身の力を込めてぐうっと押している。大沼は馬鹿にした顔でそれを見ている。

「あほか。素手で何とかなるわけないだろ――?」

 だが大沼の余裕はそこで一旦途切れる。

 ジジ……ジジジ……

 今度は違う音が聞こえた。もっと小さな音だが、まるで電子機器がショートしかけているような、不穏な音だ。

 一平を拘束しているはずのバリアシステムの三つの輪が煙を吹いていた。一平のパワーが強すぎて、バリアシステムの処理能力を超えたのだろう。ばちん! と音を立てて首と手首の輪が壊れて落ちる。それと同時に一平が握っていた鉄格子がまるで粘土細工のようにぐにゃりと曲がり、そのまま外れて廊下に転がった。他に誰もいない廊下に、鉄格子が倒れた重たい金属音がぐわんぐわんとこだまする。

「化け物かよ。あれが壊れちまうほどとか、あり得ねえだろう」

 大沼が組み伏せていた優の腕を引きずり上げ、左腕で羽交い絞めにする。空いた右手でポケットから銀色のバタフライナイフを取り出して優に突きつけた。

「おとなしく牢に戻れ! こいつがどうなっても」

 脅し文句は最後まで言うことができなかった。その前に一平が大沼の左側に回り込み、優を捕えていた左腕を握り潰す。

「ぎゃあああっ!」

 大沼の口から悲鳴が響き渡る。PKを載せた一平の握力に大沼の腕の骨がみしみしと悲鳴を上げ、砕ける。痛みに耐えかねて優を離した大沼に、一平の拳が襲いかかった。拳の連打を浴びせかけ、とどめに腹に渾身の蹴りが入る。

 どぼっ! と鋭く重い一撃が大沼を弾き飛ばし、壁にたたきつけられた大沼は泡と胃液を噴いて床に崩れ落ちた。そのまま気を失ってしまったらしい。

 一平は立ち上がり、大きく息を吐いて整えた。それから着ていたシャツを脱ぎTシャツだけになると、へたり込んでいる優に近づいてそっとシャツを肩からはおらせた。

「けが、ないか」

「――」

 優は少しの間口もきけないでいたが、次第に目に生気が戻ってくる。

 ぽろりと涙が一筋優の頬を伝う。そのまま何も言わずに一平の胸に飛び込んできた。

「優」

「――怖かった」

 それ以上言えずにただ涙を流し続け小刻みに震える優を一平は黙って抱きしめ、髪をそっと撫でた。

 ふと優の腕にあざがついているのが目に入る。大沼が優を引きずり上げた時に強く掴んだところだ。それから左の頬が腫れていて、唇の端が切れて血がにじんでいる。

(あの野郎、もう四、五十発殴っておくんだった)

 部屋の隅で気を失っている大沼に心の中で悪態をついてみたものの、今はそれよりもこの施設から脱出することが最優先事項だ。

「優、悪いな。落ち着くの待ってあげたいけど、今がチャンスだ。ここから出よう」

 優ははっとして涙を拭き、大きく頷いた。まだ目は潤んで真っ赤だが、やらなければならないことは冷静にわかっているようだ。涙を拭いた手をじっと眺め、金属の鎖でつながれたままの手首を一平に見せた。

「でも私、これが」

「これ? 手錠か?」

「これ、バリアシステムだって言ってた。この手首二つと、首のチョーカーが連動してるって」

「そうなんだ。ま、いずれにしても俺がつけられてたやつは壊れちまったから大丈夫だ」

 そう言って一平は手に意識を集中する。手の筋力を強化して、優の金属輪をすべてちぎり取った。それをポケットにしまう。

「蘇芳におみやげだな」

 さて、と二人で立ち上がった。

 だが歩き出そうと一歩踏み出したとたん、一平の膝がかくん、と折れる。

「一平さん!」

「ありゃ――悪い、ちょっとうまく力が入らない」

「そうだよね、一平さん、いなくなってから丸三日は経ってるもん。その間ずっと薬で眠らされてたみたいだし、無理しちゃだめだよ」

「三日? そんなに――悪い、心配かけちゃったんだな」

「ううん」

 優の肩を借りて歩き出した。さっき大沼とやりあった時は頭に血が上っていたので気合で力が入ったようだが、ちょっと気が抜けてしまったのかもしれない。

 運よく大沼が独房とエレベーターホールの鉄格子を閉め忘れていたようで開いている。

「こんなにすんなり行くなんて、罠じゃないだろうな」

「――大丈夫みたい。このエレベーターの上、誰もいない」

 優がエレベーターの上を見上げるようにして答える。このフロアより上を透視しているのだ。

「ここ、何階だ?」

「たぶん地下四階――くらいかな」

「じゃ地上まで十二、三メートルってところか。その距離なら余裕でテレポートできるな」

「ううん。でもここ、それより全然深い。一フロアと一フロアの間が広かったり、あと、たぶん一階から地下一階までがものすごい距離がありそう」

「まあ、直線距離だけで考えればテレポートする距離的には問題ないな」

「うん、私も大丈夫――それから、ここから真上にテレポートすればすぐ出口だと思う。ここまで車で連れてこられて、駐車場から中に入ってすぐエレベーターがあったの。だから」

「オッケー。それじゃ行くか」

「待って、私が一平さん連れて跳ぶね。すごく疲れてるみたいだし、無理しない方がいいと思うの」

「――いやだいじょ」

「大丈夫じゃないよね? 今だって足がふらふらしてるじゃない」

「――」

 そうして二人は優のテレポートで一階のエレベーターホールへ、出た。

「ここから駐車場に出られるんだけど、壁沿いにバリアシステムが張ってある。テレポートで抜けるのは無理かも。どうしよう」

 金属扉を前にして優が悩む。一平は優に肩を借りたまま、腕を伸ばして扉の横の壁をひとなでした

「――ぶち抜こう。壁」

「え、でもPKもバリアシステムで相殺されちゃうんじゃ」

「考えたんだ。さっき俺がつけられてたバリアシステム、壊れちゃっただろ? だから俺と優とで力合わせたら、力押しでいけないかなって思って」

「えええ――うん、でも、悩んでる時間はないよね」

 一平が壁をなでていた手を止め、ぺたりと手のひらを一点に貼りつける。だるそうな様子のまま、表情が引き締まる。優は必死に一平に力を合わせるように集中した。以前遊園地で夏世と力を合わせたので、やり方は何となくわかる。

 二人の間を力が循環する。循環してぐんぐん膨らんでいくのがわかる。

 バリアシステムを凌駕する力を。出し惜しみなんかしていられない。

「優、行くぞ」

 一平の合図でさらに集中する。膨れ上がった力が一平の手に収束していくのがわかる。

「せえ……のっ!」


 ドン!


「――できたな」

「できちゃったね」

 扉の脇に開いた大穴を呆然と二人で眺めた。人ひとりが余裕で通れるくらいの穴が開いてしまっている。穴の淵からコンクリ片がパラパラと落ちて埃っぽい。

「やりすぎ――ちゃったかな」

「いや、ちょうどいいんじゃないか? 通りやすくて」

 眺めていてもしょうがないので、穴を二人でくぐって駐車場へと出る。駐車場から先はバリアシステムの影響がないようで、優の中で自由に感覚が広がっていく。

「一平さん、もう一回跳ぶね。つかまってて」

「優、次は少し遠くまで跳ぼう。俺も一緒にサポートするから」

「うん、一平さんが大丈夫なら」

「ここは一発踏ん張らないとな。逃げ切るぞ」

 もう一度意識を合わせる。触れあった部分から力が行き来してひとつの大きな力になっていくようだ。

 二人でひとつの塊になったような感覚。

「優、いくよ」

 一平の合図で二人はその場から掻き消えた。



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