夜の遊園地
夜九時の、廃止になった遊園地跡に一平はテレポートアウトした。
もう動くことのない遊具が、広い園内に打ち捨てたられたようにそこにある。かつては夢にあふれていたはずの乗り物たちは、あるものは錆び、あるものは折れ、夢の残骸となり果てている。
遊園地に着いたとき、園内の街灯がいくつか点いているのを見て、ぐっと気を引き締めた。既に廃園になっているここに灯りがついているということは、先に誰かが来ているということだ。つまりは清野が。
相手の指定はメリーゴーランド。それはすぐに見つかった。
こんなわずかな灯りしかない薄暗がりで見ると、いっそグロテスクに見える木馬。ペンキが剥げて一部の板が腐り落ちてしまった馬車。ホラー映画にでも出てきそうなシチュエーションで、あまり長居したいとは思えない。そう思いつつメリーゴーランドの前まで来たその時、突然メリーゴーランドの照明がぱあっと点いた。まぶしくて思わず目を細める。
「ようこそ、麻生くん」
昼間に聞いた声がした。コツコツと足音がきこえ、メリーゴーランドの裏側から木馬の間を縫って清野が姿を現す。
何ともむず痒くなる登場の仕方だ。自己陶酔型は苦手なんだよな、と一平はげんなりした。とりあえず、気を取り直して。
「俺に何の用だ」
そう聞きながらも周囲の警戒は怠らない。視線は清野に向かいつつも、あちこち人の気配がしているのには気がついている。
清野はにっこり微笑んで質問に答えた。
「君には色々と思うところがあってね。まあ、結論から言えば一緒に来てもらうことになるんだけど」
「思うところ? あんたとはさっきが初対面だと思ったけど」
「うん、対面するのは初めてだな。でも、世の中には好むと好まざるとに関係なくいつの間にか人の恨みを買っていることってあるものでね」
「だから覚えがないって」
「君にはなくても俺にはあるんだよ。そうだなあ、彼に勝てたら教えてあげるよ」
清野がパチンと指を鳴らす。こいつはずっとこのテイストで行くのか、と一平はちょっとばかり帰りたくなった。
清野の合図でメリーゴーランドの裏側から今度は身長二メートル近くありそうな大男が出てきた。筋骨隆々、という言葉がぴったりくる。
「大沼、よろしく」
「はい、清野さん」
大男――大沼は首をゴキリと鳴らしながらメリーゴーランドから降りてきて、一平の正面に立った。一平からは見上げる形になるが、だからといって焦ることはない。大沼は一平を見下ろしながら余裕たっぷりの表情だ。
「こんな子犬ちゃん潰したって自慢にゃならねえけどなぁ。清野さんの言いつけだ、悪く思うなよ」
「そっか、じゃあ動物愛護団体には黙っててくれよ。マウンテンゴリラって絶滅危惧種だろ」
大沼の顔がみるみる怒りで真っ赤になる。自分のことをゴリラ扱いしたことに怒ったらしい。何とも挑発されやすい奴だ。
だがそれと同時に一平が勢いよく踏み出し大沼の懐に入る。そのまま右足を軸に大沼の頭にガツン! と蹴りを決める。大沼がぐらりと揺れた頭を立て直すより早く、一平の正拳突きが二発、三発と腹に決まる。
だがあまり効いていないだろうことは一平にもわかっている。実際、大沼は倒れることなく踏みとどまっている。
「ちっ、やるじゃねえか小僧」
「へえ、頑丈だ」
一平は小学生の頃から空手を続けていて、今は黒帯を締める有段者。それもフルコンタクト空手――流派のルールで、試合時に攻撃を寸止めせず相手に実際に当てる――でずっとやってきている。なので、実戦にも慣れている。試合とは違う、と言われそうだが、実のところ結構そういった経験もあるのだ。そして実力は折り紙付き、トーナメントに出れば大体準決勝以上には勝ち進む。優勝経験だってある。
対する大沼は、正式に武道を学んだことはなさそうな動きだ。ただしウェイト、筋力、反射神経ともに化け物並みのものを持っている。油断は禁物だ。
大柄な割にフットワークの軽い大沼をかわしつつ、蹴りや突きを決めていく。
が、一瞬足元を払われて軸がぶれる。その隙を逃さず大沼の体重の乗ったパンチが襲う。
ぐゎん!
さすがの一平も吹っ飛ばされて、メリーゴーランドの前に設置されているごみ箱に衝突した。中身の入っていなかったそれは、衝撃で倒れ、ひしゃげている。
「――ってえな」
ぶつかったときにごみ箱の金属で右腕の肘の上あたりを切ったらしい。ぱたぱたっと血が落ちた。ちょっとばかり出血はしているが、軽い切り傷だ。支障はない。とはいえ。
「しゃあない、これじゃあんまり時間かけられないもんなあ」
けがした右腕の傷口を押さえながらため息をつく。
「なんだ、降参か?」
大沼が茶化すのを無視して、血のにじむ腕から手を離し軽く腰を落とす。腕は両腕とも高めの位置で構える。精神統一。
「いや。そろそろ終わりにしようぜ」
言うが速いか、今までとは比べ物にならないスピードで相手に肉薄し、衝突する寸前に下に沈み込む。そのままの勢いに乗って伸ばした足で大沼の足を思い切り刈り取った。
「うお!」
パワーも桁違い。それもそのはず、この急なパワーアップは一平がPKを上乗せして自身のスペックを底上げしたからだ。この瞬間、大沼は一平が今まで手を抜いていたことに気がついたが、その時にはズゥン、と大きな音と土煙を立てて地面にひっくり返されていた。
同時に鳩尾に一平の肘が直撃する。体重を乗せた、重い一撃だ。
ぐえっ、と大沼の腹から苦悶の声が漏れる。そのまま胃液を吐いて昏倒してしまったようだ。一平は息ひとつ乱さずその場で立ち上がった。
「さて、このゴリラは倒したぜ」
清野を振り返る。灯りのついたメリーゴーランドにはしかし、誰もいない。ハッとしてあたりを見回していると、背後から声がした。
「後ろだよ」
振り返った時には清野があの笑い顔で銃を向けていた。
バチッ! と激しい音と激痛が体を走り、筋肉が痙攣する。体の自由が利かなくなり一平はそのまま地面に崩れ落ちた。
「言っただろう? 俺は肉体労働が苦手なんだ。ああ、安心しなよ。今のは銃じゃなくてスタンガンだ。ちょっとしたマッサージ機みたいで気持ちいいだろう? 殺したりしないよ、君も貴重な手駒だからね」
そのまま手足を拘束され、全く動かない腕に何かの薬を注射されて、一平の意識は急速に遠のいていった。
*****
優と初めて会った頃、彼女の泣き顔をいっぱい見ていた気がする。笑顔もあったけど、どこか寂しそうな笑顔だった。
それがだんだん和らいでいって、寂しさの抜けた笑顔が増えていった。
それでもいつもどこか遠慮がちで、見ていて歯がゆかった。今にしてみれば優の元々の性格もあったのだけれど、一平はそれについて一度蘇芳と話したことがあった。
「優ちゃんはさ、いつも控え目っていうか――遠慮がちっていうか、だよな」
「そうだね」
夏の宵の庭、リビングから続くテラスに置いてある白いテーブルセットによく冷えたビールを置いて、一平と蘇芳は夕涼みと洒落こんでいた。空はもう日が落ちかけていて、西の空の低いところが辛うじて夕日の色を残している。宵の明星がひときわ明るく紺青の空を飾っていた。
蘇芳は読んでいる本から目を上げずに相槌を打つ。一平はスマホを指先でいじりながら、でも表情はどこか不満そうだ。
「なんだ? それが不満なのか?」
「不満とかじゃなくて――何て言うのかなあ、ほら、この家にも彼女ずいぶん慣れてきただろう? けどいつも申し訳なさそうにしているのを見てると、ひょっとしてここにいるのが嫌なんじゃないか、とかさ」
「それはないと思うけど、気は使ってるみたいだよ」
「――やっぱりそうだよなあ」
「じゃあ、一平はどうしてほしいんだ?」
「どうしてって……」
どうしてほしいんだろう。
彼女は一平にとってもう家にいて当たり前の存在になってきている。でも優はいつも遠慮がちで、本当はもっと溶け込んでくれればいいのにとは思う。彼女はどう思ってるんだろう。
手にビールのグラスを取って、泡がぱちぱちとはじけているのをしばらく眺めていた。
「――少なくとも、寂しい顔は見たくないかな」
小さな声で呟いてぐいっとビールをあおる。蘇芳は聞こえなかったらしく「え?」と聞き返した。
「何でもない」
少し恥ずかしくなって話を打ち切った。
そういえば、その直後じゃないか? 優がいい笑顔を見せるようになったのは。ひょっとしたらあの会話を聞いていたんだろうか。
楽しそうに笑っていたり、からかうとふくれっ面したり、表情も豊かになった。一平はそれがうれしかった。
そうだ。
泣き顔は見たくない。寂しそうな顔も見たくない。いつでも幸せな笑顔でいてほしい。
脳裏にそんな優の笑顔を思い浮かべた。見ているだけでつられて笑顔になってしまいそうなあったかい笑顔。
けれど急にその笑顔が曇り、あたりが暗転する。優が何かに怖がっている。悲鳴を上げて助けを求める声も聞こえてくる。
〈一平さん! 一平さん! 助けて!〉
「優!」
*****
はっと一平は目を覚ました。どうやら眠っていたらしい。体中が汗だくで、ぐったりとした倦怠感が残っている。寝すぎたみたいに体が重い。
(優……)
夢の中で聞こえた優の悲鳴は妙にリアルだった。夢でよかった、と一平は額の汗をぬぐおうとして、両手を手錠のようなもので拘束されていることに気がついた。
そういえばここはどこだろう。コンクリート打ちっぱなしの狭い天井が見える。
が、その時。
「嫌! 離して!」
今度ははっきりと優の声が聞こえた。悲鳴だ。飛び込んできた音が耳に痛い。はっとして声のした方に顔を向けると――
まず目に入ったのは自分のいる部屋をふさぐ鉄格子。廊下をはさんで向こうにもうひとつ部屋が見える。
そちらの部屋は鉄格子が開いたままで、中にガタイの大きい男が四つん這いになっているのが見えた。どうやら遊園地跡で一平が倒した大沼のようだ。
その大沼が誰かを組み敷いている。




