手渡された地図
快人を電話で拝み倒して学祭の準備から手を離し(あとでちゃんとわけを話せよ! と念を押されてしまった)、五分ほど歩いた先にあるカフェに入った。明るい店内は半分ほどの席が埋まっている状態だ。三人は周りにあまり客のいない席を選んで座った。
だが、後から入ってきた客もいたが、努めて離れた席を選んでいるようだった。ただならぬ雰囲気に見えたのだろうか。
やましいところは何一つないのだが、詳しい事情は清野はおろか南美にも説明することはできない。一平はなんとか納得してもらう方法を考えていた。
お冷のグラスを前にして、まずはもう一度率直に話してみるかと姿勢を正す。
「ええと、清野さんでしたっけ。改めて、さっきも言いましたけど俺と藤田さんはその友人を介してお互い存在を知っているっていう程度の関りで。そう、さっき初めて藤田さんに名乗ったくらいなんです」
だが清野は無言でじっと一平をにらんでいる・
「――」
カフェの外を派手な車が大きな音を立てて走りすぎていく。その音が遠ざかったころ、やっと清野が口を開いた。
「その友達っていうのは? 麻生くんとはどういう関係?」
「え」
まさか「好きな子です」などと言えるか。頭に血が上ってほてってしまいそうだ。たまらず視線をそらす。
すると、今まで一平を睨みつけていた清野が突然吹き出した。
「――清野さん?」
「す、すいません、実はとっくに疑ってませんでした」
くくく、と口元を手で隠しながら小刻みに肩を揺らす清野は、今までとは打って変わって剣のないまなざしを向けてくる。
「麻生くんはちゃんとここまでついてきましたからね。もし後ろめたいところがあるならこんな真正面から弁解しには来ないでしょ? だからその時点で本当のことなんだな、と」
「え! ひどい清野さん! 私、本当に泣きそうだったのに!」
「ごめんごめん、ちょっとやりすぎたね――お詫びに前から行きたがっていたパンケーキ屋、おごるから」
一平は呆気に取られてしまった。この清野という男、ちょっと喰えない部分があるのかもしれない。南美には悪いが、今一つ自分とは合わないかもしれないなあ、などと感じる。
「誤解がとけたなら何よりです。それじゃ、俺はこれで」
このままいくと二人のイチャイチャに巻き込まれそうだ。今一つ清野が自分をここへ呼んだ意図がつかめないが、退散した方が身のためだ。一平は腰を上げた。
「まあまあ麻生くん。せっかくだから少しお話しませんか」
いやここはひとつ失礼したい流れなんですが。内心そう毒づきながら振り返る。清野自身はにこやかな笑顔で席を勧めている――のだが、一平はその瞳の奥に冷たい光を感じていた。一瞬悩んだが、おとなしくもう一度席に着く。
しばらくは他愛のない話が続く。
「麻生くんはここの大学の学生なんだよね」
「そうですよ」
「すごいなあ。専門は?」
「まだ教育課程なんで。将来的には経営の方に進みたいと思ってます」
「へえ、経営……ねえ。どうして?」
「兄が会社経営してるんで。将来その手伝いできたらいいなって」
「へえ、お兄さんが」
ふと清野の目が細められた気がする。
「あ、あの、ちょっと失礼します」
会話が途切れたところで南美が中座してトイレへ行った。
清野は笑顔で南美を見送っていたが、姿が見えなくなったとたん笑顔を崩し、ふう、と大きく息を吐いた。
「どう? みなみは俺を完全に信頼してる」
「え? 清野さん、まだ俺のこと疑ってたんですか?」
「違うよ――例えば麻生くんがみなみに俺のことを悪く吹き込んだとしても、みなみは麻生くんより俺の言うことを信じるだろうね」
「そりゃ、そうでしょうね」
「と、いうわけで」
清野はパンツのポケットから一枚の紙を出して一平に差し出した。何気なく受け取って開くと、見覚えのない場所の地図だ。どこかの広い施設かなんかだろうか。その一角に赤でバツ印がつけてある。
「今日の夜九時、その場所に来るんだ」
そういって机に片肘をつき顎を載せ、冷めた目で意地悪く笑っている。
「ただし、君の家族やP7には内緒でね」
「!」
がたん!
勢いよく立ち上がり椅子が大きな音を立てる。P7、そのコードナンバーを知っているということは。
「あんた――!」
「わかってもらえたかな」
清野の笑みが深まる。手で一平に座るように指示し、ぎりっと奥歯をかみしめる一平が再び座ると満足そうに頷いている。
「⒕か」
「⒕? ――ああ、君たちはそう呼んでるんだね。まあ、それでいいよ。わかってもらえたなら話は早い。俺はね、一平くん。みなみのことはそれなりに気に入ってるんだよ。だから危害を加えたくない――君の出方次第だけどね」
「――」
つまり、南美は自分でも知らないうちに優や一平に対する人質になっていたわけだ。
もし一平が清野の正体と「優を捕まえようとしている一味で君は人質だ」などと言っても信じてはもらえないだろう。万に一つ南美が一平の言葉を信じたとしても、南美は清野に騙されていたことにひどく傷つくだろう。
優の親友、彼女を守らないと優が悲しむ。
「――俺に、何の用だ」
「以前、君には別件で用があるって言っただろ?」
ぱっと浮かんだ人物はただ一人。あの山の中、姿は見ていないが話だけはした人物。
「おまえ――あの時の『J』か」
「覚えてていただけて光栄だね。用件は今夜話すよ」
「んなまだるっこしいことしないでこの場で話せばいいじゃないか」
「あほか。みなみにばれたらせっかくの人質の価値がなくなるじゃないか。それに俺たちは見ての通りデートの途中なんだよ。途中で切り上げたら怪しまれるだろうが」
それで九時なんて変な時間なのか。
「もし藤田さんや優に手出ししたらただじゃおかない」
「怖い怖い――夜九時に待ってるよ、麻生一平くん。必ずひとりで、な」
あからさまに小馬鹿にした顔で笑うのに腹が立つ。一平は自分のリュックから財布を出して千円札を乱暴に取り出し、テーブルにたたきつけた。
「今のところはもう用はないだろ。俺はもう行く」
「どうぞどうぞ。ああ、アイスコーヒーくらいおごるから、取っておきなよ」
一平が置いた千円札を清野が顎で指したが、一平はそれには返事をせず千円札はそのままに大股で店を後にした。
清野はそれを見送って意地悪そうなくすくす笑いを漏らす。
「いいねえ。単純な奴はのせやすい」
清野たちと別れた後、一平は結局サークルにも家にも戻らず街をうろついていた。
一平は空手の黒帯だ。その上テレポートもPKも使えるとなれば、ちょっとやそっとのけんかで負ける気はしない。だがなぜか今回は嫌な予感がする。
――落ち着かなかった。
家に戻ってきた頃には時計は夜の七時を過ぎていた。
誰にも声をかけず、二階に上がって自室にこもる。デスクチェアに座ってまだ電源を落としたままのパソコンの画面をにらみつけた。
(何が目的だ? わざわざこんな回りくどいことをして呼び出さなくてもよさそうなものだけど)
清野から渡された地図を改めて手に取る。さっきは気がつかなかったが、地図の裏側に何か書いてある。
【夜九時、待ってるよ KIYONO】
「誰にも言うなとかいいながら、証拠残してやがる」
忌々しげに呟いてサインをにらみつけていたら、コンコンとノックの音がして優が顔をのぞかせた。一平が帰ってきたのに気がついて、食事に誘いに来てくれたらしい。
ところが話しているうちに、優が不思議そうに一平の顔を覗き込んできた。
「一平さん、どうかした?」
「え? 何か変?」
「変っていうか――どこか不安そうっていうか、緊張してるっていうか」
そう言いながらずいっと顔を寄せて一平の目を見入る。大きな瞳に一平が映っている。
不安も緊張もずばりと言い当てられてしまった。ちょっと顔を見ただけで言い当てた優に驚くと同時に心臓が高鳴る。すぐにわかったということはそれだけ自分のことを見ていてくれるということだから。
でも、あえて平静を装う。
「んなことないって。何もないよ」
優の頭をぽんぽん、とたたく。
「んもう、心配したのに子ども扱い?」
「はいはいお姫様、申し訳ありません」
もう! とふくれっ面をした優とちょっとにらめっこだ。でもすぐに二人でぷっと吹き出してしまった。
「おなかすいたでしょ? 下、行こう」
優はにっこり笑って一平を見ている。その笑顔を見て一平は胸がいっぱいになってきた。
優は最近すっかり自然な表情で笑ってくれるようになってきた。彼女の今までを考えると、こんな表情ができていることがどれだけすごいことなのかと思う。それだけ自分に心を許してくれている――今この当たり前の日常が幸せだと実感している。
これから一平は清野と会いに行く。それは日常とは正反対の行為で、自分から危険に飛びこむことだ。清野は得体の知れない不気味さがつきまとう男だ、万が一ということが頭をかすめ、緊張しているのは事実。
だから、優の笑顔を見たとたんに気持ちを押し込めていた心の蓋にひびが入り、あっという間に大きな波になってあふれ出してしまったのだ。
衝動に駆られるまますぐ目の前にいる大事な女の子の腕をそっと掴んで引き寄せ、そのまま自分の腕の中に閉じ込める。
でも優は抵抗したり嫌がったりする様子はない。ただただ戸惑って恥ずかしがっている。
「いっぺ、さん?」
「優――」
あのレストランの帰り道と同じ、甘い匂いがする。体のくっついた部分からお互いの鼓動が伝わりあっているようだ。
一平はそっと優の額に口づけた。優の肩がびくっと震える。
淡い桜色に染まった額に、頬にそっと指を這わせるが、優はされるがままになっている。抵抗されないということは、了承と受け取っていいのだろうか?
一平はたまらなくなって優をさらにきつく抱きしめ、唇を重ねた。
そっと唇を離すと、優のとろんとした顔が一平を見上げている。けれど腕の拘束を少しゆるめ、もう一度髪をなでているうちに優の顔がじわじわと赤く染まっていった。
「わ、わ、私……っ」
どん!
優が一平の胸を押して腕の中から抜け出した。そのまま踵を返し、一平の部屋を駆け出して行く。すぐに廊下の向こうからものすごい勢いで扉が開く音と閉まる音が響き、静かになった。
後には一平だけが残っている。
「優」
手のひらに残る彼女のぬくもりを握りしめる。触れた頬の柔らかさ、甘い香り、そして唇の熱さ。先走ってしまった認識はある。けれど彼女に触れずにいられなかった。
優を守りたい。そのために絶対戻ってくる。
そしてちゃんと自分の想いを伝えるんだ。今のキスの意味を。




