一平がいない
翌朝になっても一平は帰ってこなかった。
「昨日は遅くに帰ってくるって言ってたんだよね?」
朝食の席が一つ空いているのを見ながら蘇芳がまじめな顔で考え込んでいる。
夏世も優も駿河もどこか落ち着かない。うっすらとしか日のささない曇り空の朝、全員の気持ちを反映しているようだ。
蘇芳が昨夜帰宅したのは夜の十時すぎ。その頃には連絡のつかない一平のことを心配して優がおろおろし始めていて。それを夏世が「きっとまた学祭の準備に戻ったんだ」「そもそも深夜になるって言ってたし」と落ち着かせているところだった。
ことの顛末は優に許可を取った夏世が説明した。蘇芳は「何やってんだあいつは」と呆れ顔で話を聞いていた。
「大丈夫だよ、一平だってもう成人してるんだし。明日になっても連絡つかなかったら探してみよう」
蘇芳がそう言って優をなだめ、何とかベッドに押し込んだのだ。けれど優は不安でなかなか寝つけなかった。
悪い予感は的中するもので、朝になっても一平は帰宅せず、送信したメッセージにも既読がつかない。優は心配しすぎて朝食のベーコンエッグを少し焦がしてしまうし、散々だ。
正直あまり食欲はない。夏世の淹れてくれたコーヒーにミルクを多めに入れて飲んで、優は席から立ちあがった。
「私、探してきます」
「うーん、優ちゃんは家で待機しててくれるかな。外は僕の方で手配するよ。案外そろそろ帰ってくるかもしれないよ。例えば夜にサークルに戻って、しばらく留守したことを咎められて酔いつぶされてるとか――それか快人くんの家にでもいるかもしれないね」
優の不安をなだめてくれようとしたのだろう、蘇芳がつとめて明るい可能性を言い出し――その時、固定電話が涼やかなコール音を響かせ始めた。
駿河がすぐに応対し、二言三言話してから子機を保留にして蘇芳を振り返った。
「蘇芳様、その――宇都宮様からでございます」
「宇都宮――快人くん?」
テーブルについていた三人にぴりっと緊張が走る。たった今話していた快人からの電話だ。蘇芳は駿河から子機を受け取り、まずスピーカーボタンを押してまわりにも聞こえるようにした。
「快人くん、蘇芳です」
『あれ、蘇芳さん。おはようございます。すみません朝早くから』
「みんな起きてるから大丈夫だよ」
『よかったです。それで、一平は? スマホにかけても出ないから固定電話の方にかけてみたんです』
「いや、それが昨夜一旦帰ってきたんだけど、その後でまた出かけたらしいんだよ。そのまま帰ってきてないから、てっきり快人くんのところにでも泊ったのかと思ってたくらいなんだよ」
『え! うちには来てないですよ』
「そうか――快人くん、何か心当たりはない?」
『学祭の準備は昨夜終わっちゃったので、みんな教室閉めて帰りましたから大学にはいないと思います。あとはちょっと――あっ!』
「心当たり、あった?」
『昨日の日中、買出しに出たときに道で女の子が一平を呼び止めて。その後二人で大事な話があるってどこか行っちゃったんです。一平の奴、ひどく慌てた様子だったから――あ、池田さんには内緒ですよ』
残念ながらスピーカーホンで丸聞こえである。
「女の子? どんな子?」
『高校生くらいの小柄な子で、確か一平が“藤田さん”って呼んでたかな』
「藤田?」
藤田。藤田――南美。
一平と南美の組み合わせで思いつくことは、やっぱりあの組織しかない。優は勢いよく立ち上がって蘇芳から子機をひったくった。
「宇都宮さん、池田です!」
『い、池田さん? 聞いてたんだ!』
「その女の子の特徴、もっと詳しく聞かせてください」
『えーと……言っちゃっていいのかな。さっき言った通り小柄な子で、髪の毛がふわっとした天然パ―マで肩くらいまでの長さ。目がくりっとして大きくて、全体的にふんわりしたイメージの――そうだ、一平の名前知らなかったみたいでさ、一平のこと『あの時の人』って呼びかけてたよ』
「――南美?」
不安がさらに深まっていく。あの時、つまり優と一平が学校に行った時のことを指しているのだろう。
一平の身に何かあったんだろうか。それも組織絡みで。
『俺はすぐに厄介払いされちゃってコンビニ行ってたんだけど、ちょっとしたら一平から電話がかかってきて、話が長引きそうだからしばらく抜けるって言ってきたんだよ。でもそれっきり戻ってこなくて』
心臓が痛いくらいに脈打つ。またしても恐れていたことが現実になってしまったんだろうかと背中を冷たい汗が流れ落ちていく。
蘇芳がそっと優から子機を取り戻し、快人には「一平が帰ってきたら連絡させる」と伝えて電話を切った。
その場にいる誰もが緊張感を隠せない。
なぜ一平と南美が会ったのか。何の話をしていたのか。わからないことだらけだ。
「奴らが絡んでるかどうかなんてまだわからないよ。ただ一平と藤田さんが会ったっていうだけだからね。ただの偶然かもしれないし。それに、一平が帰ってこないことの原因がそこにあるかどうかもわからないし」
蘇芳が優をなだめるが、優の不安は増えるばかり、そろそろ限界だ。
「――私、南美に連絡して……だめだ、電話番号わからないや」
優がぽつりとつぶやいた。
よく考えたら組織に拉致された時に自分のスマホは取り上げられてしまったきり、手元にはない。南美の電話番号はスマホにしか入っていないし記憶していないからわからない。
となると、手段はただひとつ。
優は意を決してコンセントレーションを図り、南美を探した。すぐに彼女の自宅近くの公園にいるのを感知する。そういえば毎朝犬を散歩に連れて行くのが日課だと聞いていた、と思い出す。
「南美に会って直接聞いてきます」
「え、ちょっと待って」
誰かが止める間もなく優はテレポートしてその場から消えた。
南美がいるのは彼女の自宅から五分ほど離れた、ちょっとした広さの公園だった。中心には長細い大きな池があり、池を取り囲むように遊歩道が伸びている。植込みや木も多く、ところどころに置かれたベンチでは人々が思い思いに休憩したり談笑したりしている。
優がテレポートアウトしたのは公園の植込みの奥にある大きな木の影だ。背後はフェンスにびっしりとからまった蔦があり、よほど気を付けないとそこに誰かがいることはわからないだろう。
その少し離れたところを南美が歩いている。池の周りの遊歩道を犬を連れて優のいる木立の方に向かってくるところが見えた。
チワワのぷりんが立ち止まって南美を見上げた。南美はかがんで頭を撫でている。ぷりんは気持ちよさそうに撫でられていたが、ふと何かに気づいたようにぱっとこちらの方を向いた。
そしてぱたぱたとしっぽを振っている。
「ぷりん? どうしたの?」
ぷりんの視線を追って顔を上げた南美は、木の向こうに見えた人影に驚いたようだ。優に気がついたのだろう、大きな目を見開いてこちらを見ている。
優ははっとした。あの日、学校の屋上で南美は優の超能力を見て怯えたような顔をしていた。今、自分が姿を現したことで再び怖がらせてしまったのではないだろうか。南美に会ってもう一度同じように拒絶されたらと思うと辛いし怖い。本当なら姿を見せたくなかったのだが、今は藁にも縋る思いなのだ。
また怖がらせたらごめんね、と心の中で謝りつつ、勇気を出して呼びかけようとした。
ところが南美はぱあっと花が開くような満面の笑顔で優に駆け寄ってくる。
「優!」
優の懸念など吹き飛ばすように南美が抱き着いてきた。
「優、どうしたの急に。まだまだ会えないだろうと思ってたのに」
「南美……」
「昨日ばったり麻生さんに会ったのよ。聞いた?」
「え」
「伝言頼んだの――あれ? ひょっとして昨日から麻生さんと連絡とったりしてないのかな?」
「一平さんと会ったの? いつ?」
おっかなびっくりな態度だった優が、一平の話になったとたん驚くほど喰いついてきたのだ。今度はそれ南美がそれに驚く番だ。
ちょっと引き気味に、でも一生懸命思い出しながら話してくれた。
「え、ええと、昨日の午後三時過ぎかなあ。偶然大学の前で見かけて呼び止めちゃったの。麻生さんの名前も知らなかったのに大胆だよね、私」
南美の足元にいるぷりんがふわぁ、と大きなあくびをひとつした。日向に立っていたので、二人はぷりんを連れて木陰に移動する。
「で、一平さん、変な様子なかった?」
「実はひと悶着あって――あのね、優だから話すね。私、最近お付き合いを始めた人がいるの」
「え! ほんと! うわあおめでとう!」
「えへへ。それでね、その人が――清野さんっていうんだけど、私と麻生さんが話してるのを見てちょっと誤解しちゃったみたいで。それで話し合いたいって言いだして、三人でカフェに入ったの。誤解はすぐ解けたんだけど、急いでたのかな、私がおトイレ行ってる間に麻生さん帰っちゃったみたい。でも別に変な様子はなかったよ」
南美はカフェでの一平の様子を話してくれた。聞く限りでは世間話をしていただけで、おかしなところはない。
「それで麻生さんがどうかしたの?」
「昨日の夜、一度帰ってきたの。でもその後急にいなくなっちゃって――それっきり帰ってこないの。連絡も取れなくて、そしたら一平さんのお友達が南美と会ったって言ってたから」
「えっ、帰ってこない、って、優と麻生さんって一緒に住んでるの?」
「うん」
「ええ!」
南美が大声で驚いたので何を驚いたのだろうと考え、すぐに理由に思い当たった。
一平と住んでいる、なんて話せば確かに二人きりで住んでいるように誤解を招く。
「あ、でも、一平さんのお兄さんのお家で、家族の人と一緒だよ」
「ああ! そうなの、びっくりしたぁ」
南美も自分の邪推を「ごめんね」と謝った。
「ね、麻生さんて優の彼氏?」
「え! 違う――違うけど、その――好きな人」
改めて言葉にするとなかなか恥ずかしい。でも、今までふわふわしていた気持ちがすっと一本になった気がした。
(私、一平さんが好き。好きなんだ)
たぶん、もうずっと前から。
「えー! それ、私もゆっくり話聞きたい! でも今はそういうわけにいかないんでしょ? 心配だね」
「うん、ありがとう。心配かけてごめんね、南美」
「大丈夫大丈夫」
南美がにっかりと笑って胸を張る。南美のこういう明るいところにとても助けられる、と優はありがたく思った。
そして別れ際にふと思い出した。
「ね、そういえば一平さんに頼んだ伝言って?」
「あー、聞いてなかったのね。あの時はごめんね、戻ってくるのを待ってますって」
「南美……」
「でもそんな伝言、要らなかったね――早く優のまわりが安全になるように祈ってるね。戻ってくるの、待ってるから」
「――っ、ありがとう……!」
優は南美に抱き着いた。南美も抱き着き返して、二人でにっこりと笑顔を交わす。
優の姿が掻き消えたあとの木陰で、南美がぷりんに話しかける。
「優、早く帰ってくるといいな。それにしても、何でスリッパ履いてたんだろうねえ?」
そろそろ日差しが強くなってきた。南美はぷりんを抱っこして公園を後にした。




