後編
明けて一九九一年、一月一日。
まだ夜中の内に、自宅の電話が鳴り響いた。
表示されている番号を見て、俺は緊張を抱きながら受話器を取った。
それは、米軍諜報部に勤めるカウンターパートの番号だったからだ。
「ハロー、ヤマト! ハッピーニューイヤー!」
てっきり開戦の連絡かと身構えた俺は、受話器の向こうから聞こえた陽気な声に肩透かしを食った。
アメリカはまだ、三十一日の昼前だったな。
「わざわざ時差を考慮に入れての挨拶、ありがとう。それで、一九九一年はハッピーになりそうなのか?」
「残念ながら。イラクへの最後通牒が切れるのが、十五日。国連事務総長が最後の説得に赴く予定だけど、イラクにクウェート撤退の意思は無いわ。NSCは平和的な解決策よりも、いかにして戦争に勝つかを講じてるところよ」
通話相手のアナの声は冷静なものに変わり、その内容も非情かつ現実的に満ちていた。
それだけに理解もしやすい。後は戦争がいつ始まり、結果がどうなるかだ。
「それで、Dデーは?」
「ごめんね、そこまでは教えられないわ。日本はまだ夜中でしょう? ひと眠りして待ってて」
アナも諜報機関の人間だ。軍機を明かせないのを、責めることは出来ない。
新年早々、伝えられる限りでも教えてくれたアナに感謝を述べて、電話を切った。
アナからは聞き出せなかったが、前世の通りであればDデーは一月十七日か。
過たず、その日に多国籍軍の攻撃は始まった。
それから一ヶ月、多国籍軍の空爆は続きイラクの軍事施設を破壊していった。
それでもイラク側は降伏せず、多国籍軍は次なる作戦に移行することを決めた。
地上戦だ。
だが、その多国籍軍の作戦を脅かす事態が発生していた。
多国籍軍の侵攻ルートや日程を記した作戦資料が、敵の手に渡ってしまったのだ。
実は、前世でも同じ事件が起こっていた。そのため俺は、あらかじめ各国のカウンターパートに勧告していたんだが、未然には防げなかったようだ。
末端の彼女らに伝えても、より上の人間たちが信じてくれなくては手の打ちようが無かったんだろう。
しかし実際に作戦内容が外に漏れたことで、上層部も俺の話を信用してくれたと見える。
奪われた情報を取り戻すべく、多国籍軍が俺を招聘したいと言ってきた。
費用は、全てアメリカ持ち。俺の私的な渡航ということで、日本の憲法にも抵触しない。そういった事情から、日本政府の許可も下りた。
随伴は一名まで認められたため、俺は迷わずミズホを指名した。
こうして俺たち二人は、戦火が飛び交うクウェートまでやってきた。
「久しぶりね、ヤマト。せっかくの忠告を無駄にしてしまって、ごめんなさい。けど、絶対に来てくれると思ってたわ」
真っ先に俺たちを出迎えてくれたのは、DIA所属のアナだった。
米軍主体の多国籍軍に、軍諜報部の彼女の姿があっても不思議ではないか。
だが、次に訪れたのは意外な人物との再会だった。
「ドイツ連邦から派遣されてきました。ゾフィーです」
二年前、まだ東西に分かれていた頃のドイツで知り合ったゾフィーか。
それにしても驚いた。確か、あの時はまだ十四歳だったな。
ずいぶんと背も伸びたし、おっぱいもAカップかせいぜいBカップだったのに、Eカップにまで育っている。
「久しぶり~。ドイツの軍隊も多国籍軍に入ってるの?」
ゾフィーとは、ミズホも知己だったな。親しげに声を掛けている。
「ドイツ連邦軍は、NATO域外での活動は認められていません。私は今、連邦情報局に出向中の身で、戦況の視察に来たんです。そうしたら、ヤマトさんと逢えるなんて……」
ミズホから俺の方へと視線を移すゾフィー。
その空気を壊すかのような声が、どこからか飛んできた。
「何だ? 日本もドイツも金を出すだけで血は流さないと言われ、ようやく送り込んできたのが若造と小娘とはな」
見ればイギリス秘密情報部のベスが、相変わらず挑発的な口をききながら向かってきた。
俺は、そのベスの後方を指差して言ってやる。
「俺たちより、もっと若いのもいるみたいだぞ」
振り返ったベスの目にも、フランス諜報部員のシャルルが駆けてくるのが見えたことだろう。
俺が手を振ってやると、シャルルも飛び跳ねながら応えてきた。
「えへへー、また会えたね!」
ここに、俺の世界中のカウンターパートが集った訳だ。
いずれも各国を代表する優秀なスパイでもある。その錚々たる顔ぶれに、ミズホも溜息を禁じ得ないようだ。
「はぁ……ヤマト君って、ホントに世界中に知り合いがいるんだねぇ」
「“ヤマトクン”だって! ボクもそう呼ぼっ。ヤマトくーん!」
俺の周りを嬉しそうにピョンピョン跳ねるシャルルを片手で押さえながら、俺は改めてこの場にいる面々に目を向ける。
この戦場を賑わせている重大な事件について、一刻も早い解決が望まれている。それについては皆、分かっているだろう。
そのために、俺たちはここまで来たんだ。
「アナ、ゾフィー、ベス……シャルルもいいか? 皆、俺に協力してくれ。多国籍軍の地上戦に関する情報がイラク軍司令部の手に落ちる前に、何としても取り返さなくてはならない。これを逃せば、世界は更なる混乱に陥ることになる。俺たちの手で、そいつを防ぐんだ」
俺の頼みに、まずはアナとベスが一歩前に出て賛成してくれた。
「OK! それじゃ、誰が一番ヤマトの役に立てるか競争するわよ!」
「ヤマトさんの力になれるために、今日まで頑張ってきました。見ていてください!」
二人とも、まるで上官に対してするように俺に敬礼をすると、踵を返して自軍の陣営へと駆けていった。
その二人に後れを取ったのを、ベスとシャルルも察したようだ。
「えっ……しょ、しょうがないな……私も手を貸してやるよ!」
「ボクも! ガンバりまーす!」
仕事に取り掛かれば、すぐに成果を出してくれる有能なスパイたちだ。きっと、俺が望んだ通りの報告をしてくれることだろう。
俺とミズホは、それを待ちながら後顧の憂いについて検討を重ねた。
ミズホには打ち明けていないが、ここは前世で俺が最期を迎えた戦場。全ては前世において、多国籍軍の作戦内容が敵軍に伝わってしまったことが原因だ。
もし仮に、前世と同じく既に作戦資料がイラク側に渡った後だった場合のことを考えておかなくてはならない。
この検討は、結果として杞憂となった。四ヶ国のスパイたちが、俺に最高の情報をもたらしてくれたからだ。
情報を盗み出したのは、多国籍軍に潜入したアラブの然る重要人物。
そして、その人物は未だイラク側との接触までは辿り着いていない模様。
多国籍軍が敷いた包囲網を無理に突破しようとはせず、イラク軍の協力者が回収しに来るのを付近の洞窟の中で待っているとの由。
俺たちは相手に気取られないよう洞窟に忍び込み、敵を捕まえて資料を奪い返す作戦を立てた。
洞窟への潜入作戦を実行するに当たり、四人のスパイは装備を整えてきた。それぞれ自国の軍隊から借りてきた、ライフルやサブマシンガンを担いでいる。
「アナはM16A1、ゾフィーはMP5、ベスはL85A1とかいう粗悪銃、シャルルはFA-MASか? ブルパップ方式の小型軽量型とは言え、無理するなよ。しかし、お前ら……武器はいいとして、その服装は何だ?」
揃いも揃って、戦場でミニスカートを着てくるとはな。シャルルも他の三人に合わせてか、半ズボンに着替えてきたし。
日焼けや銃創で、せっかくの綺麗なおみ足を損なっても知らないぞ。
「敵のアジトに潜入するんだから、変装のためにこれ位はしなくちゃね」
「背中のライフルが台無しにしてるぞ?」
「ヤマトさんにアピールする機会ですから……」
その恰好から考えられるアピールポイントは、明らかに戦果以外のところだな。だが、それを一々指摘しているヒマも無い。
この先は、命の懸かった真剣な戦いだ。それこそ俺たちだけでなく、多くの兵士の命に関わる重大な任務だからな。
それについては、俺の活躍で無事に解決することが出来た。
敵が潜んでいる洞窟に潜入し、隠れ潜んでいたアラブの大物の捕縛と資料の奪還に成功。
幸いにして作戦内容が敵軍上層部に知られる前だったため、多国籍軍は計画通りに地上戦を開始した。
前世では逃げられたイラク大統領も国外への脱出が叶わず、また戦局を引っくり返すことも能わず。地上戦開始から、百時間後に降伏した。
俺の仕事も終わりだな。前世のように死神に魅せられることも無く、世界も滅亡に突き進むこと無く明日を迎えられそうだ。
各国から集った仲間たちも、それぞれの国へと帰国することが決まった。それに際して、彼女たちから俺に提案したいことがあるそうだ。
「ヤマト……私たちは皆、貴方のために戦ったわ。それで、私たちの中で誰が一番役に立ったかしら?」
「よろしければ日本に帰る前に、ヤマトさんが一番だと思う人の国に寄って話を聞いてくれませんか?」
「世界は危うく、更なる混乱と戦争の拡大化を目の当たりにするところだった……」
「ボクたちの祖国ではどこも、それを防いでくれたヤマトくんを受け入れる態勢が出来ています!」
それは、日本人である俺を要職に迎え入れる用意をしてくれているという意味か。
どうも彼女たち一人一人も、個人的な想いから俺と一緒に帰国したがっているように感じられる。
俺の力を認め、必要としてくれているのは有難い。だが、俺はあくまで俺自身の意思を尊重したい。
「俺が帰るのは……日本だ。冷戦が終わり中東危機が去っても、日本は未だ隣国の脅威に晒されている。北朝鮮の拉致問題……そして、その事実を捏造と言い張る社会党。国内外の巨悪から祖国と、そこで暮らす人々の安全を守り尊厳を取り戻す……それが俺の戦いだ」
そして、その戦いの道を一緒に歩んでほしい人を振り返り、手を差し伸べる。
「帰ろう……ミズホ」
当のミズホは目を見開いて、自身の胸に手を置いている。
他の四人の視線を集める中、うっすらと涙を溜めた目を細めて俺の傍へと走り寄ってきた。
「うんっ……一緒に帰ろう、ヤマト君!」




