前編
時は、一九九〇年――。
昨年のマルタ会談によって、長きにわたる冷戦が終結。世界は、戦争の恐怖から解き放たれたはずだった。
「イラクが……クウェートに侵攻!」
中東のイラクが、隣国のクウェートに油田を盗掘されたことへの抗議として、国境に軍隊を派遣した。
八月二日、イラク軍は国境を越えてクウェートに侵攻を開始。クウェートはイラクに占領された。
これに対して国連は、国連憲章第四十二条に基づきアメリカ、イギリス、フランスを中心とした二十八多国籍軍を編成。イラク軍のクウェートからの撤退を要求。
情勢は、五十年前のナチスによるポーランド侵攻以来の世界大戦の様相を呈している。
イラクは第一次世界大戦後、イギリスによって分割された領土を取り戻すという大義名分を主張。
また、アメリカはイスラエルのパレスチナ侵略(第三次中東戦争)には何も制裁をしていない。それにもかかわらず、イラクにのみ制裁を加えることについても抗議。
更には、侵攻前に駐イラク女性アメリカ大使が『アメリカは中東問題に不介入』と公言することで、イラク軍を侵攻へと誘導した――即ち、アメリカによる陰謀を唱えている。
「……同じだ」
前世で俺が体験した流れと、全く同じに世界は動いていっている。
十一月、国連安保理事会決議六七八が可決――事は、クウェート解放だけでは済まなくなった。
「多国籍軍の目標は、イラク首都バグダッド……これは、イラクを敵国と看做した戦争だ」
これに対し日本は、国連憲章第五十二条にある「集団的自衛権」は日本国憲法第九条にもとるとして、自衛隊の多国籍軍への参加を拒否。
ここで俺が憲法第九十八条第二項(国際法規の遵守)を唱え、憲法前文に書かれた「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」の文句を謳ったところで何も変わらないだろう。
歴史は今のところ、俺が見た前世の通りに突き進んでいっている。
「人間の盾、か……」
イラクは、多国籍軍の攻撃を防ぐための盾を用意した。その盾とは、イラク国内からの脱出に間に合わず捕らえられた外国人たち――即ち“人間の盾”だ。
イラクに進出している日本企業も多く、現地に残された日本人たちもまた人間の盾に使われることとなった。
日本人を含む人間の盾は、イラクの軍事施設に閉じ込められ人質とされた。イラクのこの作戦は、国際法に背いた非人道的な行為だとして世界中からの非難を集めた。
当然、各国は人間の盾とされた自国民を救うべく、イラクに働き掛けて人質たちを解放していった。
各国の対応と意識は、人質救出の方へと注力された。その裏で、イラク軍が多国籍軍への備えを固めていったことは想像に難くない。
日本政府はこの対応にだいぶ遅れ、十二月になっても人質全員の解放はなされていない。また先に解放された邦人についても、日本へと帰すための足が用意できず未だイラクに留め置かれている。
「フランスが、協力要請……?」
そんな折、俺に任務が下りてきた。
イラクから日本政府に送られてきた、一枚の写真。そこには、どこかの施設内に監禁されている日本人数名の姿が写されている。
その日本人たちの中に一人、欧米人と思われる女性の姿も確認できた。
彼女はフランス人で、この写真を極秘に入手したフランス政府から自国民救出のための協力要請が来たという。
フランスはいち早く人質解放に成功したが、この一名の行方だけが掴めず探し続けていたそうだ。
対応の遅い日本政府に任せていては、人質の安否が気遣われる。だからフランスが介入してきたという訳か。
日本側の対応の不手際を露骨に指摘されながら、尻尾を振るようにフランスに応じる政府にも問題があるな。だが、今はそれよりも人質救出が優先される。
「分かりました。フランスへ飛びます」
こうして俺は、フランスへと渡った。
まず接触すべきは、対外治安総局。スデックの後継にして、日本に送られた写真の情報を掴んでくれたフランスの情報機関だ。
協力を要請した身とは言え、日本政府が俺みたいな若僧をよこしたとなれば、フランス側も良い顔はしないだろう。
だが、相手が食い付く情報を俺は持っていた。
「写真の場所がどこなのか、俺は知っているぜ」
この一言で、DGSEの固い門戸は開いた。
もちろん、俺がもたらした情報はハッタリじゃない。前世で、この目で見てきたからな。
フランス側も信用したのか、作戦内容を俺に提示してくれた。
イラクに平和使節団を送り込み、交渉をしている間に人質の居場所を特定して救出するつもりだったらしい。
「なら、その使節団に俺を同行させてくれ。それが、写真の場所を教えるための条件だ」
フランス政府がそうであるように、こちらも日本人は日本人の手で救出したい。
俺からの要求に、向こうも理解を示し頷いてくれた。
そして、俺と一緒に人質救出に向かうDGSEのメンバーを紹介された。その姿に、俺は大いに驚いた。
「DGSEのシャルルです! 会えて嬉しいです!」
目の前でニコニコと微笑んでいるのは、どう見ても小学生か中学生ぐらいの子供だ。
いや、スパイに見えないから敵を油断させられるという点では、俺以上に効果的かもしれないが。
「俺はヤマトだ。よろしく頼む、シャルル……ん? シャルル?」
自己紹介された名前で呼んでみると、どうにも違和感がある。
何しろ相手は、女の子にしか見えないからだ。それこそ“シャルロット”と呼んだ方が適切だと思えるほどに。
「ハイ! ボク、ちゃんと男の子だよ!」
そうか、ちゃんと男の子なのか。
きっとシャルル自身、性別を間違えられることなんか、しょっちゅうなんだろうな。対応にも慣れている。
しかし本人がどう言おうが、半信半疑の念は拭えない。
年齢がまだ幼いせいもあるんだろうが、声も高いし顔もあどけないし、言われても男と分からない。
女の子にしか見えないどころか、女の子としても上質な部類に入る。ミズホと同じくらい可愛い顔をしている。
それが功を奏したみたいだ。平和使節団に紛れてイラク入国を果たした俺とシャルルは、イラク政府に怪しまれること無く目的の場所まで辿り着けた。
フランス人女性を含む人質全員を、無事に助け出すことに成功した。時同じくして、人質にされていた日本人をイラクから脱出させるための飛行機が到着した。
あまりに遅い外務省の対応にしびれを切らした国会議員の一人が、航空機をチャーターして来てくれたのだ。日本にもまだ、骨のある議員がいて安心した。
シャルルは終始、俺の手腕の鮮やかさに感動している様子だった。そのシャルルと別れて、俺も日本に帰国する。
十二月二十二日の夜。俺は、ミズホと会っていた。
「お誕生日おめでとう! これで私たち、二人とも十九歳になったね!」
俺がイラクに行っている間の十二月頭に、ミズホも十九歳の誕生日を迎えていた。
それを踏まえて見てみると、少し雰囲気が大人っぽくなったか。
おっぱいもますます成長して、Fカップにまでなっている。
「あぁ、ミズホもおめでとう」
当日には間に合わなかった祝福を、俺の方からも送ってやる。
中東情勢は、変わらず緊張が支配している。
戦争になるのか、開戦はいつなのか。俺も明日からは目まぐるしい情報戦に追われて、サンタさんより忙しくなるだろう。
ミズホとゆっくり話せる夜は、これが最後になるかもしれない。
今日が、破滅の前夜になるかもしれない。
「ヤマト君……」
俺の不安が移ったのか、ミズホが少しだけ身を寄せてきた。
震える肩先は、十二月の寒さによるものだけではないだろう。
前世で身体を震わせていたのは、俺だった。
イラクと多国籍軍との戦いに参加した俺は、敵の罠にハマり命を落とした。
夜の砂漠で体中の血液を失い、凍えながら目を閉じて迎えた最期を今でも記憶している。
あの頃と違うのは、ミズホの存在だ。今の俺には、側にミズホがいてくれる。
いつでも側に、ミズホの存在を感じていたい。その気持ちが、俺の中に“生きたい”という望みを生み出させる。
今度こそ、戦争を生き延びてみせる。過去、幾度も体験した終末を世界に招いたりはしない。そうして迎えた明日の世界を、ミズホと共に生き続ける。
そっと抱き寄せたミズホに、そう誓った。




