89話 朝御飯
朝日が窓から差し込み、俺とお香の顔を照らしていた。
「…………」
俺はそっと目を覚ました。
俺に抱き付き添い寝をしている全裸のお香はまだぐっすりと眠っている。
首の傷の事もあるし、今はそっとしてやった方がええやろ。
……そやけど、彼女の肌の温もりが心地好かった。少し筋肉質やけど、それでも柔らかみのある彼女の肌の感触が……
今が何刻ほどか分からん。太陽の位置が見えんから朝と言う事しか分からん。
音羽が朝御飯を持ってやってくるんちゃうかと少々不安に感じる。
お香とは男女の仲は無いと説明しときながら、お香と裸で寄り添いあっとる所を見られるのに抵抗を感じる。
十四歳の少女にこの状況を見られるのはあまり良くないように感じた。
少女の心を傷付けてしまいそうで……
そやけどお香を起こす訳にもいかんしなぁ。
俺の左胸を枕にし、俺の腕の中で眠っとるお香を見詰めた。
美しい顔をしてよう眠っとる。
……お香、良かった、無事で……
瀕死の状態やったのによく無事で……
俺は彼女の寝顔を見詰めながら安堵の息を吐いた。
それから一刻(2時間)程はしたやろうか、お香はまだぐっすりと眠ったままやった。
音羽の姿もまだ無かった。そもそも音羽がこの部屋に来るんかどうかもまだ分からんけど。
しかし……
小便がしたかった。お香を起こすのは可哀想やからじっと我慢してたんやけど、そろそろ限界が来ていた。
厠行きたい……漏らしてまう……
『しゃあない、ごめんなお香』
俺はそっとお香の頬をさすった。
お香がゆっくりと目を開く。
「お香?もう朝やで?」
「…………うーん」
お香は眠気眼や。
「俺、小便したくてな、厠行きたいねん」
「……うーん、おらも行く……」
「ふっ」
お香が布団からそっと身を起こす。俺も身を起こした。
「けんどさ……眠たいね……」
お香は寝起きでまだぼーっとしとる。
「そやな、まぁ……」
夜中はずいぶんと遅くまでお香と…………
「二郎……」
お香が俺を見詰め俺の頬をさする。
俺はお香を見詰め微笑みかけた。
お香も微笑みながら顔を近付けて口付けをしてきた。俺も彼女を抱きしめるが……
「……お香、小便したい、漏れそう」
「おらもだよ?」
「ははは、ほんなら服着て厠行こう」
「おらが先だよ?」
「早よしてや?ほんまに漏れそう」
「そんならもっと早く起こしてくれたら良かったのにさ」
「よう寝とったから」
「……ふふ……」
彼女が俺の頬をさする。その目は…………うっとりとしとった。
「……二郎……優しいね……」
「お香、厠に……」
俺がそう言うも彼女は又も口付けをしてくる。
お香……完全に俺に惚れてくれたんやろうか。
仏門に入っとると言って頑なに俺の事拒んどったと言うのに。
しかし、小便がしたくてしょうがない。ほんまに漏れそうや。
「お香、待って、俺漏れるわ」
俺は口付けをやめ彼女の両肩を掴んだ。部屋には樋箱などはもう無い。すでに片付けられている。
「ふふ、分かったよ」
お香がそう言った時やった。
「おはようございます、二郎さんお香さん、朝食の御用意致しました」
襖の向こうから音羽の声がした。
あかん、俺ら素っ裸や。
「ちょ、ちょう待って」
俺が慌ててそう言うも、すぅっと襖の戸が開かれた。
膳を置いた音羽が廊下に座り込み頭を下げとる。
「お香、服着て、服」
俺は慌てて着物を着だした。お香は少しだけ微笑んでいる。
「ふふふふ、そない慌てんでもよろしおすよ?後にお伺いいたしましょか?」
音羽が微笑みそう言うが……
「ちょっと待ってな!厠行きたい!我慢出来ん!」
俺は着物を着ると急いで廊下に出て、音羽の脇を通り厠へとドタドタと駆けていった。
お香と音羽は俺のそんな姿を見てクスクスと笑っていた……
今は俺らの寝泊まりする部屋で朝食をとっていた。
膳に乗せられた朝食は玄米と茄子のおひたしと吸い物と大根の漬け物やった。
今回も音羽が一緒にいる。
「何度もすみませんねぇ、御食事、お供してもうて」
音羽が箸を置き俺を見詰めてそう言った。
「いや、そんなん気にせんとって」
「そうだよ、そんなの気にしなくて良いよ」
俺とお香が音羽にそう言うと音羽は軽く頭を下げた後に、ふふふと笑いだした。
「えろうお仲よろしいんどすね」
音羽が俺ら二人を見てそう言った後、茄子のおひたしを口に運んどる。
「…………」
俺はうつ向いた。男女の仲なんか無いと言うたのに、えらい場面を見られてもうた。
「…………」
お香も無言で茄子を口に運んどる。
「申し訳ありませんでした、急に戸を開けてしもうて」
そう言う音羽からほんの少しだけやけど怒気を感じた。
「いや……かまへん……」
「それは置いときまして二郎さん、それにお香さん」
音羽が改めて俺らを見た。
「……うち、やっぱりお二人に当主与右衛門の葬儀に御出席なさられた方がよろしいかな思いましてん」
「え?」
俺は突然の言葉に玄米を食べる箸を止めた。
お香も黙ったままに音羽を見詰めている。
「与右衛門様は二郎さんの事認めとりました、ほんまに」
音羽が真剣な眼差しで俺を見詰めとる。
俺は無言のままそっと箸を膳に置いた。
「お会いしたばかりの二郎さんに家督もお譲りするなんて……そんなん見ず知らずの人にお伝えします?それほど与右衛門様は二郎さんの事を……」
そう言うと音羽はうつ向いた。
確かに常識やと考えられん事やろうけど……
確かに俺を認めてくれた部分もあるんやろうけど……
俺が明智日向守光秀を討ち取った事が一番の要因のような気がした。
「そやけど俺はこの小栗栖で大変な事してしもうたやろ、俺らが出席したら混乱招くんちゃうか?」
「うちが説明しましたもん、与右衛門様を手に掛けたんは二郎さんやないって」
「与右衛門殿の事は確かにそうかも知らんが……ここの里の人を俺らは殺めてしもうとるから」
「仕方の無い事ですやん」
「そう言う問題やあれへんねんて、昨夜も言うたけど人を殺める事は大罪や、俺に殺された人の遺族は俺を殺したいって思うとるんや」
「うちがそないな事させまへん、うちは今、飯田家の当主や」
音羽が俺をじっと見詰める。その眼差しには強い意思が窺えた。まだまだ幼いが強い意思を。
「……そうか……」
「二郎さんが葬儀に参られましたら与右衛門様も喜びはる思いますねん、どうか」
そう言うと音羽は畳に手をつき、頭を下げてきた。
「…………」
どうするか、出てええんか?
そやけど、ここまで頼まれるとなると……それに俺自身も与右衛門の葬儀に出たいと言う気持ちはあったから……
「承知しました、是非出席致したいと思います」
俺も畳に手をつき頭を下げた。
「ありがとうございます、当主与右衛門もお喜びなさると思います」
「そやけど、お香はここで休ませたってくれへん?この子はまだ首の傷癒えてへんし休ませてやりたいねん」
「あ、はい、そないどすね」
音羽がそう答えるが、
「私も行くよ?おめえさん一人にさせねえ」
お香が俺を見詰めてそう言った。
「無理すんな、休んどってくれや」
「出るよ、二郎、おめさんを一人にはさせねえ」
「ふっ」
「音羽さん、二郎の言った通りさ、私達はこの地でたくさんの人を斬ったよ。私達に恨み持つ方々もたくさんいると思うんだ」
「…………」
「だけどね、二郎がそこまでお世話になったお方のお葬式なら出なきゃいけないと思ってたんだ、気になってたんだ」
「はい」
「だけどさ、二郎を危険には晒させられねえよ。音羽さんの事は信用してるし、おらの、私の傷治してくれた事も感謝してるけど他の連中の事は信用してねえ」
お香はそう言うと立ち上がった。そして部屋の隅に行くと…………
「お葬式なのにすまないんだけど、これを携えて行くよ私は」
そう言うとお香は正宗を手にした。
そして鞘からゆっくりと刀を抜き出す。
「お香……何しとんの……」
「二郎、おめえさんの命狙う者がいたならば、おらが全て葬ってやるよ……」
そう呟くと、パンッと刀を鞘に収めた。
音羽はじっとお香を見詰めとる。
「おめえさんの命はおらの命、誰にも何もさせない……」
そう呟くお香から発せられる殺気は凄まじかった。
「お香……お、落ち着け……」
「ふぅ……」
お香は正宗を畳に置き、息を吐いた。
「す、すまんな音羽、ちょっと興奮しとるようで」
「何が興奮だ!死ぬかもしれねえんだろ!」
お香がそう言うが……
なんかその疑心暗鬼のような気持ちが音羽に対して失礼な気がした。
折角、葬儀に出てくださいと言ってくれとんのに、命狙われるとか言って異常に警戒しとる事が……
「ちょっと落ち着けって、警戒し過ぎや」
「おらおめえさん守りたいもん!」
「……ふっ」
俺は思わず吹き出した。
「おめえさんまだまだ剣の扱い未熟だべ?!襲われちまったらどうすんだ?!」
「ふふ……」
俺が苦笑いを浮かべると、
「大丈夫どすよ?午前のうちはこの地のもん来させんように致しますよって、午前のうちはここの館のもんだけで葬儀致します。この地の者が来訪されるんお昼過ぎてからに致しますから」
音羽が微笑み興奮するお香にそう言った。
「……本当?だけんどおらこの刀携えて行くからね」
そう言いお香が正宗を手にした。
「あんまり持つな、お清めしてから持てや」
「うるせえ!おらおめえの事ずっと守ってやっからな!」
お香……俺が抱いてしもうたが為に俺に対して妙な愛情表現をしとるな。
それほど彼女に想ってもらっとるのは素直に嬉しいけど、若干盲目的になって冷静になれずにいるようや。
「すまんな音羽、そんなら折角やから是非葬儀に参らせていただきます」
「はい、お香さんもよろしゅうお願い致します」
音羽がお香に頭を下げる。
「……はい、こちらこそ宜しくお願い致します」
お香もそう告げ、坊主頭を下げた。
……大丈夫なんかな……
俺は頭を下げ合う二人の美女を見て溜め息を吐くと、膳の茄子のおひたしを箸で摘まみ口に運んだ。




