76話 観音様、信長様、ぼうまる
真夜中になっとった。
庭には俺らが殺した遺体達が今も尚、転がっとるやろう。
部屋は高価であろう蝋が一本灯されていて、お香の顔がうっすらと照らされていた。
「…………」
部屋にはもう音羽の姿は無かった。
俺は布団の上に横たわるお香の左隣に腰を下ろしたままに彼女の手を握り締め、ずっと彼女の顔を見詰めていた。
未だに黒頭巾を巻いた美しいお香の顔を……
「……お香……」
頭に頭巾巻いたままやと……蒸れるし暑いやろ……
今は水無月、俺は枕に手を入れ意識の無い彼女の後頭部にそっと手を当て少し持ち上げると黒い頭巾を外してやった。
つるつるの丸坊主の頭が現れる。
俺はゆっくりと彼女の頭を枕に戻し、手を引いた。
「…………」
彼女の顔をじっと見ていると彼女の言葉や笑顔が思い返される。
『戦ならおらの負けだったが槍だけならおらの勝ちだったがんねぇ』
米俵を運ぶ時に隣を歩いとったお香の真顔。
『そうだかてあら卑怯だがん、いしの腕は確かかもしれんけど』
俺を睨み付け怒気を含めたあの鋭い眼差し。
『おらの事軽蔑した?こんな殺傷するおなご』
盗賊達を蹴散らした時のあの哀しみの顔。
『綺麗な川だね』
保津川を見詰めそう呟いたあの安らいだ横顔。
『おめえさんも色男だよ?二郎』
恥じらいながらもそう呟いたあの小屋での頬への口付け。
『おら感動したよ……』
山科を過ぎた道中でそう言い、俺を抱き締めてくれた温もり。
それは母よりも温かく強い愛情を感じた。
「お香……頼む……生きろ……」
俺は彼女の手を強く握り締め、嗚咽を漏らし泣き出した。
……観音様!信長様!ぼうまる!御頼み申し上げます!
どうか!どうかお香をお救い下さいませ!お救い願い申し上げます……
「観音様……信長様!ぼうまる!!」
俺は声をあげてそう告げると畳に額を付け土下座をし、ただひたすらに祈った。
お香の無事を……涙ながらにひたすらに……
「……二郎さん?二郎さん?」
その声で目覚めた。
肩をぽんぽんと叩かれとる。俺はゆっくりと顔をあげた。
どうやら昨夜、観音様や信長様やぼうまるに、何度も何度も土下座して祈ってる最中に眠っていたようやった。
「……あぁ……」
声をする方を見た。
音羽がそこにいた。
俺の前には膳が置かれていて食事が置かれていた。
「二郎さん、御無理なさらんとってね?」
音羽が優しくそう言う。その優しい言葉に俺の目頭は熱くなり涙がこぼれ落ちそうになったが……
「すまん、おおきに、朝食まで用意してもろうて」
「いいえ、構いまへんよ?」
十四歳の音羽が優しくそう言った。
「……お香は……」
俺は、依然と意識の無いお香を見詰めてそう呟いた。
目が覚めたばかりでお香の様子を確認しとらん。
もしかしたらお香はもう……
不安になりお香の顔を窺った。
「どうでっしゃろ」
音羽がお香に近付き、腕を掴み脈を取り、お香の口元に耳を寄せ呼吸を確認しとる。
俺は息を飲み音羽の様子を見詰めていた。
「……あぁ」
音羽がお香の口元に耳を寄せながらそう呟く。
俺は無言のまま、真剣な顔をして音羽の目を見詰めた。
「大丈夫どす、そやけど……」
そう言うと彼女はお香の手を離し、お香から離れ俺を見詰めてきた。
「え?」
「このお方、お香さん言いはるんどすか?このお方、峠越えはりましたと思います」
音羽が俺をじっと見詰めそう言う。
「ほ、ほんまか!!」
俺は思わず声をあげてしまった。お香の死を覚悟した俺にとっては予期せぬ突然の朗報やったから。
「はい、出血も止まっとります。血色もようなっとります。後はお目覚めになられた後にぎょうさん精つくもん食べてもらはったらすぐ元気にならはれる思います」
「……ほ、ほんま……よかった……この娘活発な娘で明るくてな、ごっつうよう喋りよる娘で……」
俺がそう言った時やった。
音羽が着物の袖から木の棒を取り出した。
そしてその木の棒を両手で掴み、それを引くと中から小刀が姿をあらわした。
「葛原二郎光丞様、御覚悟」
音羽はじっと俺を見詰めそう呟いた。唐突の事に俺は言葉を失った。
武器もなんも持っとらん。
音羽は鞘から小刀を抜くとそれを両手で握り立ち上がった。
「音羽……」
俺もそう呟きながらそっと立ち上がった。
音羽は小刀を両手で持ち俺を見詰め殺意を抱き出しとる。
俺らの横では意識を失ったお香がずっと眠っていると言うのに…………




