75話 生きるも八卦、生きざるも八卦
お香は既に意識が無かった。
俺はお香の首に、ぼうまるの服の切れ端を押し当てていた。
「お香……頼む……踏ん張ってくれ……」
俺がお香にそう呟いた時に、俺の元へ音羽がやってきた。
この大量の死体が転がった場所へと……
「二郎さん!手ぇ離して!」
音羽がそう言うとつづらを開け、小さな瓶を取り出し蓋を開けて口に付けとる。
俺はお香の首から手を離した。
すると音羽は俺がお香の首に巻き付けていたぼうまるの服の切れ端を外し、
ぷぅぅぅ…………
と、霧を吹くようにしてお香の首の切り傷に液体を吹き掛けた。
おそらくあのキツい酒やろう。
そして刺された首筋に大きな枇杷の葉を押し当て、服の切れ端を再度首に巻いている。
「二郎さん!このお方担いで御屋敷ん中へ運び込んでください!」
音羽にそう言われた俺は涙目のままにぐったりとするお香を両手で抱き上げた。
音羽が足早に縁側の方へと駆けてゆく。俺もその後に続いた。
彼女は縁側の前で履き物を脱ぐと、ぶち破られた障子の戸を開けて館の中へと入っていった。
俺も続いて縁側から廊下へと入っていく。
音羽はすたすたと廊下を進んでゆき、俺もお香を抱き上げながら足早に彼女の後を付いていった。
音羽はチラリと後ろを振り返ると、部屋の中に入った。
後に続いて部屋に入ると、既に布団が敷かれていた。
音羽はその脇に腰を下ろし、つづらを置いて蓋を開け、中を漁っている。
俺は敷かれた布団の上にそっとお香を寝かせた。お香の首に巻かれた服の切れ端はじんわりと紅色に染まっとる。
音羽はつづらから布とすり鉢を取り出すと畳の上に布を敷きその上にすり鉢を置いた。
そして立ち上がると何も言わず部屋を出ていった。
「……お香」
俺は横たわる黒頭巾を頭に巻いたお香の左手を握りしめた。
お香の首に槍が完全に突かれる前に、俺がその男の首目掛け瞬時に槍を突いたからお香の首を完全に突かれる事は無かったんやけど……
それでも首筋は突かれたから命を落とす危険はある。
「そやから京に戻れ言うたのに……」
涙ぐみながらお香の顔を見つめる。彼女の顔の血色はすこぶる悪くなっていた。
「はぁ……」
と、溜め息を吐く。
しかし、もしもお香が付いてこんかったら俺はおそらくやけど……死んでたやろう。二十人近い人数相手やと俺でも流石に無理や。
秀吉に褒められたとは言え、我流で訓練してきた槍の技やから。
ただ避けるのが上手いだけで槍の技は全くの未熟者やから……
お香が俺の命を救ってくれたと言っても過言では無い。
「お香……死ぬな……」
俺は意識の無い彼女の顔を覗き込み、そしてそっと口付けをした。
「……………………」
長い口付けをしていると、タッタッタッと足音がし音羽が部屋に戻ってきた。
彼女は器を二つと布を手にしとる。
音羽はお香を挟んで俺の向かいに座ると器二つを畳の上に置き、布を自身の膝の上に置いていた。
一つには水が、もう一つにはたくさんの草や花びらが入っている。
彼女は無言のままに草や花をすり鉢に入れていき、素早くそれらを磨り潰している。
俺はお香の手を握りしめたまま、その様子を見詰めていた。
ある程度草花を磨ると、すり鉢に水を少しずつ加えていき又磨り潰している。その動作を繰り返していると徐々に草花がネバネバとした粘着状のものへと化していった。
彼女は膝の上に置いていた布を手にすると粘着状と化した草花を布の上に全て垂らした。
そして布をぐるぐると巻くとお香の首に巻いた服の切れ端を解いた。
切れ端には血がべったりと付着しとる。
その血の多さを見ると不安感に襲われ、俺はお香の手を握る力を強めた。
音羽はお香の傷口を草花の入った布で拭いている。
「…………」
俺はただ無言でその様子を見ていた。それしか出来ひん。
「傷は浅くはありまへんけど深くもありまへん、そやけど助かるかどうかは分からしまへん」
音羽が口を開き、冷静にそう言った。
「……お香……」
音羽が布で傷口を拭くと不思議と出血は和らいだ。
音羽はつづらから酒瓶を取り出し、酒を布に染み込ませて又傷口を拭いとる。
しばらく傷口を拭いた後につづらから針と糸を取り出しとる。
そして素早く丁寧に縫合を始めていった…………
「二郎さん、このお方は生きるも八卦、生きざるも八卦どす」
治療を終えた音羽がそう呟いた。
死んでもしょうがないと言う事や。
俺は無言のままお香の手を握りしめ続けていた。
「出来るだけの事はやりました。そやけどうちはほんまの医者やあらしまへんから、どうなるか分かりまへん」
「……あぁ……」
俺は心ここに在らずの心境でお香を見詰めていた。
お香は依然として意識を失ったままや。
「……なんで戻られはったん?小栗栖に」
音羽が小さくそう呟く。
「……槍を返しに……与右衛門殿に……音羽、何があった、与右衛門が死んだってどういう事や、なんで俺が殺した事になっとるんや」
俺はお香から音羽に視線を移しそう言った。お香の手を握ったままに。
「このお方が…………」
「……ん?」
「目を覚まされはった時か、お亡くなりになられた時にお話しとう存じます」
若干十四才の少女はそう言うと頭を軽く下げた。その瞳は悲しげであった。
「ど、どういう事や……」
「今はこのお方の事をお見守り致しましょう?二郎さん」
音羽はじっと強く俺を見詰めそう言った。
「……そやな……」
俺は彼女からお香に視線を移した。
美しいお香は瞳を閉ざしたままでいる。
その顔の血色は相変わらず悪かった……
それは死人に近い顔色やった…………




