77話 音羽の想い
「……音羽……」
俺は小さくそう呟いた。
音羽は小刀を手にし、鋭く俺を見詰めとる。
「音羽、まず言いたい事あんねん、俺はほんまに何もしとらんねん」
「…………」
「与右衛門殿の事もほんまに知らんねん、小栗栖に戻ったら俺が与右衛門殿殺した言われて突然襲われたけど、ほんまに知らん、身に覚えがないんや」
音羽は小刀を手にし、じっと俺を見詰めとる。
「信じてくれ、ほんまに潔白なんや俺は……」
「……ふふふ」
音羽はそう言うとしゃがみこみ床に落ちた鞘を手にしとる。
そして丁寧に小刀を鞘の中に納めた。
「……冗談どす……と、言いたい所やけどここではこない物騒な事はせん方がええよね?お香さん大変な時やもんねえ」
「音羽……」
「うち二郎さんの事ほんまに好きどしたんやで?勇ましくて男前で」
「…………」
俺は黙ったままでおった。
「そやけど……この家の事考えましたら……」
「……家?」
「そうどす、この飯田家の事考えましたら、二郎さん、惟任光秀様討ったあんたが邪魔なんどす」
「…………」
「手柄を、どこのもんかも分からん田舎者に取られて飯田家のもんにもならんようなお方は邪魔なんどす」
「音羽、何を言うとんねん……」
「そやからうちが二郎さんのお命奪うように指示しましてん、邪魔者の与右衛門も殺しましてな」
「……え?」
俺はギョッとして音羽を見詰めた。
目の前の美少女の瞳は妖しい眼力を宿らせている。
「……音羽……どないしてん、俺は手柄とかそんなんいらんねん、ただ静かに暮らしたいだけなんや」
「それは勝手知らぬ事、うちはただ飯田家の事を考えとりますんや、二郎さん、あんたの都合など知りまへん」
「どうすればええねん、何がしたいねん音羽」
「……しばらくはこちらのお部屋におってください。厠へも行かはらんとってください。うちが樋箱用意致しますよってに、それで用をお足しなされてくださいませ」
樋箱って……ここでか?この部屋の中で?
「何を言うとんの、そんなんめちゃめちゃやん」
「二郎さん、しばらくはこちらの部屋にずっとおっとってください。そやないとほんまにうちは……」
そう言い納めた鞘から小刀を取り出した。
「貴方の寝首を掻かなあかんようになりますねん」
「音羽、俺はほんまに何もしてへんねん。与右衛門殿の事も知らんねん」
「分かっとりますよ?全てはうちが仕向けた事やから」
「なんでや!?なんでそないな事を……」
「しばらくは大人しくしておくれやす、事情はお香さんが目ぇ覚まされはった後の方がよろしおすやろ?うちもその方がええ思いますねん」
「…………」
俺は眠るお香の顔を見詰めた。
障子の窓から照らされた弱い朝日の光がお香の顔を照らしている。
彼女の顔色は確かに少し良くなっていた。
「このお館のもんにも二郎さんがおられるん言っとりませんねん、そやから大事ならんようにここで大人しく居てはられとってください」
「……匿ってくれる言うんか?」
「どうでっしゃろうね」
音羽が視線を逸らしそう呟く。
「……与右衛門はほんまに死んだん?」
俺は音羽を見詰め、真剣な眼差しでそう尋ねた。
「全ては飯田家の為に」
「どういう事や!?当主やろ!?あんなええ人がなんで……」
「それは二郎さんには関係御座いません、深入りするならばうちも二郎さんのお命狙います」
音羽がじっと俺を見詰める。
俺は黙り込んだ。
「二郎さん、聞いておくれやす」
「……あぁ……」
「うちの一声で二郎さんも、お香さんもすぐにお命奪える言う事だけは覚えておいてくださいませ」
「…………」
「それを踏まえた上でこちらの部屋からは必ず一歩もお出でなさりませんように」
「…………」
「樋箱はうちが後程に御用意致します。御食事もうちがこちらへ運ばさせてもらいます。そやから大人しゅうこちらのお部屋でお過ごしください」
「……いつまで?」
「お香さんお目覚めにならはって、うちが御二人に事情を話して、御納得なさられるまで」
「……納得?」
「うちもここに長居できまへんよって、そろそろおいとま致します。二郎さん、お香さんの側におっといてくださいね?」
「音羽」
「綺麗なお方どすね、尼さんどすか?」
「そうや、武蔵の国言う遠い地から来たんやて」
俺は眠るお香を見詰めそう言った。
「武蔵、へぇ」
そう言うとお香は立ち上がった。
「ほんならうちはこれで、直ぐに樋箱持ってきますよってに」
そう言うと音羽は襖の戸を開けて、軽く俺に頭を下げるとそっと襖を閉めた。
「……はぁぁ……」
俺は緊張で溜め込んだ重々しい息を溜め息と共に吐き出した。
そして視線を襖からお香の顔に移した。
彼女はまだ目を閉ざしたまま眠っている。
「お香……」
俺はそっとお香の頬に手を当てた。
「……どないなるんやろうな、俺ら……」
俺は美しいお香の顔を見詰めそう呟いた。
何かいびつな渦に巻き込まれ、その中をがむしゃらに泳いどる気がする。
ただ槍を返しに来て、京で久を探すだけの旅やったはずやのに……
妙な、妙な道へと堕ちてもうた気がした…………




