25話 あんず
近江の国のどの辺りから船に乗ったんかも、よう分からんままに船は湖の真ん中を進んどった。
一刻半(3時間)以上は進んどるんかもしらん。
昼前に船に乗ったのは覚えとるがまだ日は暮れてへんかった。
そやから船の上でどれ程の時が経ったのかはよう分からん。
そろそろ見慣れた淡海(琵琶湖)の水面を見詰めていると後ろの大将の男に「おい」と肩を掴まれ、後ろを振り返ると男が橙色の果実を二つ俺に差し出してきた。
「前配っていけ」
男がそう言うと俺はその二つの果実を受け取った。
「ええか?!杏子配るからよう食え!一人三つまでや!水の筒が空やったら今んうちに淡海(琵琶湖)の水汲んどけ!」
男が船上の兵達にそう叫ぶ。
俺は男に手渡される杏子の実をどんどん前へと配っていった。
男はひっきり無しに一人三つまで!と叫んどる。
「船の端に座っとる奴ぅ!真ん中に座っとる奴等の筒ん中に水入れたっとくれえ!!」
男がそう指示をする。
俺は杏子を食う間もなく隣の奴等の水筒を手渡され、淡海の湖に浸し中を一杯にして返していった。
杏子は甘く酸っぱいが空腹やった俺は夢中で皮を向き、中の実に吸い付いた。
「飯は安土着いた後に、たあんと食わすよって!!今しばらく我慢いたせえ!!」
俺や周りが必死に杏子に食らい付いていると後ろの男がそう叫んだ。
飯食えるんか……安堵心が広がる……
俺は一気に二つの杏子を平らげると何気無く船の前方を見詰めた。
遠くの山の上にやけに太い五重の塔のようなもんが見える。
京で見掛けた五重の塔のようであって全く違う高く太い建物が見えた。
……なんやあれは……
五重の塔どころの高さちゃうぞ……なんやあの建物……
だいぶ先やからはっきりとはまだ見えん。
見えんが輪郭だけはうっすらと確認出来る。
「……え……」
……御城か?あれ……
山の頂上に見える高く太いその建物は陽に照らされてキラリと輝くのが確認出来た。
もっと近づかんとよう分からんが、飛んでもなくごっつい建物があるのは確認出来る。
俺は遥か遠くに見える山頂に建つ高く太い大きな建物を見詰めながら、三つめの甘酸っぱい杏子を口に運んだ……
その山上の建物は今すぐそばにあった。
陽の光に照らされて建物の一部分が輝いている。
その建物が築かれた小高い山のすぐ南側の岸に沿って船は湖岸の船着き場へと向かっていた。
……もう着くんやな……
いよいよ戦が始まるんか……
先に出発していた二隻の船は既に湖岸の船着き場に到着していて、その船にはもう誰も乗っておらんかった。
俺らの乗った船も、やがて船着き場に到着し、大将の男が降りろ降りろと急かしている。
槍を手に持ち船を降りて俺はいざ安土の地に降り立った。
あんまりどんな地なんか知らんが……
「こっちゃ来い!!こっちゃ来い!」
船を降りると袴姿の侍か何かの男が俺らに対して、この先を進むように促した。
船を降りた俺ら十人程の兵達は男に言われるがままに進んだ。
しばらく歩むと広場の周りを取り囲むかのように白い幕が張られた場所に連れてこられた。
兵二人が槍を持ち、そのぐるりと白い幕で取り囲まれた広場の出入り口らしき場所の左右に立っている。
その入り口にも一応白い幕は張られていて中の様子は伺えずにいた。
……中から良い香りがする。
焼き魚の匂いが特に強い。
ぐるるる…と腹が鳴る……
男が門兵に何か言うと幕が開き、そして俺ら十人程の兵達は幕の内部に入っていった。
「…………」
中には小さな小屋が無数に建てられていた。
その小屋一つ一つにまた白い幕が張られている。
ただその広場に設けられた小屋の中には、大きな釜や鍋が置かれて飯を提供する小屋も目にし、その小屋の前を兵が列を作って並んでいた。
「お前らの休むとこ連れてくさかい!よう覚えとれ!」
船着き場から俺らを引率しだした男、亀山から安土まで引率した男とはまた別の男が俺らにそう告げてすたすたと歩き出し、そしてある小屋の前に止まった。
「ここで休むように!飯は朝昼夕と!」
そう言い男が広場を指差す。
「あちこちで用意しとるさかい!遠慮せんと食うよう!貴様らの働き明智光秀様も秀満様も期待しとる!!十分に御力つけられよ!!」
言うだけ言うとその男はすたすたと去っていった。
残された俺らは槍を持ちぼぅっと突っ立っとったが誰か一人が宿泊するようにと言われた小屋に入ると、釣られて俺らもどんどんと小屋に入って行った。
中は思っていたよりも広かった。
布団なんてもんは当然敷かれてないけどゴザが等間隔に敷かれて準備されとった。
屋根も白い幕で覆われとって雨が降ったとしてもしばらくは凌げるやろう。
更に朝昼晩と食事も用意される言う話やし英気を養うには充分な環境やと思った。
俺は兜、鎧を脱ぎゴザの上にそれらを置くと槍も水筒も置いて、仮の宿泊地の小屋から広場に出た。
飯を配っとる場にはまだ兵達が列を作って待っていた。
俺もそこへと向かう。
杏子だけではさすがに腹が減る。
俺は飯を配給する小屋に歩み寄った。
俺が列に並ぶとすぐに後ろからもどんどんと人が並び出す。
当然みんな顔なんか知らん。
元々安土に集められとった連中なんやろか。
俺の前には背の低い男がじっと前を見詰めている。
「……もし、ええか?」
俺は前の男に声をかけた。
小さな浅黒い眼のギョロリとした三十前ぐらいの男やろうか。
その男が声をかけた俺をジロリと見てきた。
「あんた前からここおった人か?俺は今日安土に来たばかりなんや」
「……あぁ……」
かすれるような声でそう返事をされた。
なんか気味が悪いなとは思ったが更に尋ねてみた。
「敵は……攻めてきそうなんか?そう言う話は聞いとる?」
「……ずぃきにやっへくるふぁ、まほふぁふや……(直にやってくるわ、間もなくや)」
ん?何を言うとんのかよう分からん。
その男は歯の抜けた歯茎を見せ、ニヤニヤと笑い更に話すが何を言うてんのか全く分からんかった。
俺は適当に相づちを打ち男を無視して自分への飯の配給が来るまで待った。
広場の隅には切り株の椅子がずらっと並んどった。
俺はそこに腰をかけ、茶碗に米一杯と漬け物と焼き魚の切り身と味噌の汁が掛けられた湯漬けを口に運んでいた。
『めっちゃうまい……』
空腹やったからやろうけど味噌茶漬けがめっちゃめちゃうまく感じた。
……これは力つくわ……
空腹が満たされた上にうまいもんを食えた俺は満足感を得て、ふとすぐ側にそびえる小高い安土の山を見上げた。
まだ夕暮れ前、まだまだ明るい。
山の下腹部から中腹は御屋敷で埋め尽くされとる。
更にその上は白い壁に覆われたごっつい大きな建物群が確認出来る。
京の都の屋敷よりもっとごっつい建物が山の上に建てられとった。
そんで……その更に上に……
淡海から安土に来る船の上からも確認出来たごっつい建物がそびえとる。
京の五重の塔どころの騒ぎちゃう、見たこともあれへん妙な建物が山頂にそびえとる。
……あれは御城なんやろか……
亀山の御城も篠山の御城も、建築時に呼ばれ手伝わされたけどこんなんちゃうかった。
遠くからこの建物を見たとき京の五重の塔が更に高く太くなったような感じやと思ったがそんなもんやあらへん。
五重の塔より遥か遥か高く屋根の装飾も豪華で、光って見えたんは金箔かなんかが壁に貼られとったからやった。
五重どころか六重にも七重にも見えるが下から見とるから何重かはよう分からん。
そやけど五重の塔よりか遥かに高く見える。
山全てが御城やから相当な重圧感をおぼえる。
これは……ひょっとして織田信長様の御城やったんちゃうんか……
何にも知らん田舎者の俺は湯漬けを食いながら側にそびえる安土の御城を見詰めていた。
「お兄さん男前やねぇ」
食事を終えた後も俺は切り株に座ったままにぼぅっと安土の御城を見詰めていた。
すると俺の左隣の切り株に女が座り声を掛けてきた。
少しばかり化粧をした若い女や。
「…………」
俺は何も言わんと女の眼を見たが再び安土の御城を見上げた。
「お兄さんどっから来はられましたん?御侍さんちゃうやんなぁ」
そう言い俺の左腕にそっと腕を添える。
「……これ、織田の殿様の御城やったんか?」
俺は安土の御城を指差して隣の女にそう尋ねた。
「そうやで、前までお住みなはられとったんやと、えろう御城やんねぇ」
そう言いながら俺の手のひらを擦ってくる。
「……信長様の……御城か、やはり……」
俺は豪勢なその山を見詰めた。
「お兄さんえぇ男やぁ……うちんとこ来はる?」
女が俺にそう告げる。
俺を誘っとる。
なんなんやこの女は……陣営に連れて来られた遊女か?
「……すまん、俺、故郷に待っとる女がおんねん」
俺がそう言うと女は立ち上がり何も言わず去っていった。
「ふぅぅ……」
俺は息を吐くと立ち上がりまた飯を配る小屋の前へと向かった。
食える内にたくさん食っとこう。
先程より列の人数は減っているように見えた。
食えるだけ食って英気を養おう。
ほんで激しい戦に耐えれる程の力つけんとあかん。
必ず俺は生きて帰るんや。
明智光秀の為に命を落とす覚悟など俺には無い。
必ず生き残って丹波亀山の地に帰るんや。
その為に力付けなあかん。
飯の小屋からは香ばしい焼き魚の香りが漂っていた。
待っている間、俺は安土の山頂に豪華に聳え立つ織田信長様の御城をじっと見詰めていた……




