101話 伊賀の玄蔵
真っ暗な山道やけど松明を持ち前を進む玄蔵のおかげで何とか歩けた。
殆んど獣道やけど……
今は下りの道、俺が背負うお香は何も話さずにいる。
おそらく寝ているんやろう。
そやけど背中越しに伝わってくる彼女の温かみはすこぶる気持ち良く俺に活力を与えてくれていた。
松明を持ち前を歩く玄蔵の速度は速く、一度たりとも後ろを振り向かずにどんどんと先を進む。
しかし俺も彼に遅れを取らずにずっと彼の後に続いていった。
伊賀の忍びと言う者はよう分からんが丹波国の男が舐められるのも嫌やったし、玄蔵の持つ強い気持ち、俺を秀吉様より先に清須へ送ると言う彼の想いに応えたかったから……
空には満月が浮かんでいた。今が何刻なんかは分からんがおそらく真夜中やろう。
玄蔵は松明を持ち足早にどんどんと獣道のような山道を下っていく。
多分、伊賀の者しか知らん道なんやろう。
俺はお香を背負い、必死になってこの獣道の下り坂を進んでいった……
どれ程歩いたやろうか、東の空が明るくなってきた。
俺らは既に菰野山(御在所岳)を下山し、平地を歩いていたが辺りは暗くよう見えんかった。
背中のお香はずっと何も言わん。多分ぐっすり眠っとるんやろうなぁ。
俺も眠気はあるもののまだまだ力が溢れ、足早に進む玄蔵の後を進んでいった。
「あと一刻(2時間)もかからん内に桑名に着く。思ったよりも早く着くわ」
玄蔵がそう言うと手に持っていた松明を草むらに投げ捨てた。
松明は殆んど消えかけているから大火事にはならんやろう。
月明かりが俺らを照らす。茂みに近い細い畦道やけど人が通った跡は窺える。到底街道とは思えんが……
「えらい歩きずらい道やな」
俺は前を歩く玄蔵にそう声をかけた。
「抜け道や」
「……抜け道……」
なんや抜け道って……
「伊賀者や甲賀の者が使っとる道や」
「……そうなん……」
何の事かよう分からん。
「丹波の田舎者には分からんか」
「……うるさいわい、あんたも田舎者やろうが」
「そうやのう、されど葛原二郎」
「…………」
「よくも女を背負うて菰野山を越えて伊勢の国まで来たな」
前を歩く玄蔵が後ろを振り向いた。
月明かりでうっすらと見える玄蔵の目はじっと俺を見詰めとった。
「……いや……玄蔵さんがくれはった鹿肉のおかげやろう」
「そんなもんやあらへんやろう、さっき食ったばかりの鹿の肉でそんな力出るか」
「いや……」
「凄まじいのう、お前、根もあげんと俺の歩幅に合わせてついてきて……女を背負って山越えて小栗栖から伊勢の国まで来おって……」
「いえ……」
「怪物かお前」
「自分でもよう分からんが……お香背負っとると自然と力湧いてくんねん」
「ふんっ!」
疲労はもちろんあるがお香の温かさが俺への活力になっとったのは事実やった。
「お前……めっちゃ強いんやろ?秀吉様がお褒めのお言葉授けられた言う程の力持っとるんやからな」
「自分ではよう分からん、丹波の亀山の実家で兄貴に槍を避ける訓練をずっとさせられとって」
「ほう?」
「ただ避けるのがめちゃめちゃうまいだけやと自分では思うとるんやけど……」
「…………」
「山崎での戦やら、山科や小栗栖で襲われた時はとっさに人を何度も何度も槍で突いてきた。殺らな俺が殺られるからや」
「…………」
「ただ自分ではまだめっちゃ強いとは思うとらんねん、ただ避けるのがうまいだけの三流やと思うとる」
「そうか」
「玄蔵さん、俺な、安土に行かされたんや」
「あぁ」
「そこでな、伊賀から来た言うおなごさんに会ったんや、そのお方に槍の鍛練してもらったんや」
「…………」
「お結さん言うお方」
「お結?」
前を歩く玄蔵が俺を見詰めそう言う。
「そや、伊賀から来なさったって言うとったで?」
「結?伊賀のどこか」
「そこまではよう分からんけど……」
「伊賀は広い、お結と言われただけでは分からん」
「そ、そうか、そらそうやな……」
確かに伊賀出身の女性の事知っとるかって聞かれて知っとる訳ないか。俺も丹波の国の別の地域の女の事なんて知っとる訳ないし……
「安土で会うたか?」
「あ、あぁ、槍の事教えてもろうた」
「そうか」
「美人な女やったで?教えはめっちゃ厳しかったけどな」
俺がそう言うと、ギュゥゥゥっと体が締め付けられた。
「あ……」
「へぇ?そうなの?美人だったんだ!」
おんぶするお香が俺を思いっきり締め付けてきた。
「ちょ……」
「ほんと女ったらしだね馬鹿!」
「起き……起き……起きとったん?ちょっ!」
ギュゥゥゥゥと締め付けられる。
「ふんっ!」
玄蔵は呆れて前を向きスタスタと歩きだしとる。
「ちょっ、お香……すまんすまん……」
「馬鹿じゃないの?!ほんとにさ!」
「な、なんもしとらん……その人には……」
「ほんとだよね?馬鹿」
「ほ、ほんま……」
そっと締め付ける力が緩められた。
「冗談だよ、ふふふ」
背中のお香は俺の耳元でそう言い微笑んだ。
玄蔵はどんどんと前を歩く。
一瞬息が出来んぐらい苦しかった。
お香は俺と背丈も変わらん大柄な女で力も男勝りに強いから強く締め付けられるとかなり苦しい。
「お前殺す気か!」
「あっははははは!」
お香が大笑いをする。
……お香、めっちゃ元気やん、普通に歩けるんちゃうんか……
そう思いながらも俺は温かいお香を背負い歩き続けた。
玄蔵は何も言わず先を行く。
空には満月が浮かび月明かりが俺達三人をうっすらと照らしていた…………
早朝寅七つ半(午前5時)程やろうか、俺達は桑名と言う地に辿り着いた。
六月二十六日(西暦7月15日)の夏と言う事もあり朝日が顔を出すのが早く、辺りはゆっくりと明るくなっていた。
今は広い道を歩いていた。
広い道には民家がずらりと並んどったが早朝と言う事もあり、人は誰一人とおらんかった。
「思いの他、早よう着いた。恐らく羽柴秀吉様よりも早ように清須に着けるわ」
前を歩く玄蔵がそう言った。
「そうか……そやけどお迎え出来たとして秀吉様は俺の事許してくださるんやろうか」
俺は玄蔵に向けてそう呟いた。内心不安な気持ちを呟いた。
「それは分からん。分からんが清須より更に先に向かう。清須で秀吉様の御到着を待つ訳では無い。秀吉様がおる所まで行くぞ」
「……そうか……」
清須が終着点ではあらへんか……そらそうか。
「しかし今秀吉様がどこにおるかは俺にも分からん、先に清須に着けるとは思うが、もしや清須の御城に御到着なされとるやもしれんな」
前を歩く玄蔵が振り返り俺を見詰める。
「どちらにせよ、このような汚れた身体で御会いする訳にもいかん。桑名より清須へは近いとは言えんが数刻で着く距離、今より舟に乗ったりと忙しい」
「舟?」
「川を渡る舟や、色々と忙しいからな、今の内に身体を洗い清めるぞ」
玄蔵が鋭い眼差しでそう言う。
「清める……」
俺はそう呟いた。背中のお香は黙っとる。また寝とるんかな。
「川で身体を洗い清める、お香もな」
「川?川でか?こんな朝早ように?」
「朝か昼か夜かなど関係無い、身体を洗い清める」
こんな朝早くに川で身体洗うんかい……冷えて風邪引かんか?
こいつどうやったらこんな厳格になれるねん。どんな育ち方したんや。
「俺はええけど年頃の女のお香を川で素っ裸になんか出来んわ」
「知るかそのような事、その女が勝手に付いてきたからやろう」
ムカッ……
「お香は俺の女じゃ……無理強いはさせんぞ……」
「秀吉様に御会いする。汚ない身体のままでは御会い出来ん」
「年頃の女を川で洗わせられるか……もう少し人の気持ち配慮せえや玄蔵……」
俺は前を歩く玄蔵を睨み付けた。
「甘え事など聞いてられん、川辺へと参るぞ」
玄蔵は後ろも振り向かずどんどんと桑名の道を歩く。
「……せめて身体隠せる場で洗わせたれや!!そこまで冷酷にようなれるなお前!!」
「じゃかましいわ葛原!!こんな早朝で誰がおるんや!!」
「お前がおるやないかい!!」
玄蔵が後ろを振り返り俺を睨み付けた。
お香を背負った俺も玄蔵を睨み付ける。
「二郎、いいよ?そんな事気にしないで」
耳元でお香がそう呟く。
クソが、なんか腹立ってもうた。
「俺にその尼の裸見られたくないか二郎!」
「見られとうないな、誰にもな!」
「たわけめ、ガキが……俺が女の肌見て何かすると思うか!俺には妻も娘もおったわ!」
「…………」
「そんな尼の裸見た所で何とも思わぬ!!」
「…………」
「そこまで見せたくないのであればどこぞの家に入れてもらい湯浴びでもさせとれ!!」
「…………」
俺は黙り込んでしまった。
「小汚ない姿で秀吉様に御会いするか……」
玄蔵がじっと俺を見詰める。物凄い強く鋭い眼差しで……
俺は彼の目を見詰め少し怖じ気づいた。
猛烈な程の鋭い眼差しやったから……
「いや……それは……その……申し訳なかった……」
「二郎、大丈夫だよ?」
耳元でお香がそう囁く。
「すまんな、お香」
「いいよ?」
「このような下らん言い争いしている間も惜しい!!身体を洗う!!嫌とは言わさぬ!!お香の身体は貴様が洗え葛原二郎!!!」
そう言うと玄蔵は先を進みだした。
めっちゃめちゃ怒鳴られたやんけ……
「ふぅ……」
俺は小さく息をついた。
「二郎……」
おんぶするお香が耳元で俺の名を呼ぶ。
「怖いのう……あいつな……」
「二郎の事想っての事だと思うよ?」
「ほんまかな、伊賀の者って何者なん?」
「忍びだよ、あちこち行って諜報活動すんだって。おらもそこまで詳しくは無いんだけんどさ、平気で殺人すらする集団らしいよ?」
「殺人……」
「依頼受けたら人殺しすらも平気でする集団なんだって、だけど織田信長様に伊賀の里攻め入られて潰されたって聞いたよ」
「……怖いのう……あいつ……」
「大丈夫だべ、あの人怖そうに見えて中身は優しいよ?」
「……ほんまかいな……」
俺は先を行く玄蔵の背を見詰めた。
玄蔵はどんどんと桑名の町の道を進んで行っていた……




