102話 美男子
今は揖斐川と言う川の側にいた。
川辺には掘っ立て小屋が建っとる。
玄蔵はその入り口の扉を開けると中を覗き込んだ。
俺はお香を背負いその様子を見詰めていた。
どうやら物置小屋やろう。
玄蔵は小屋の中に入り込み、しばらくしてから桶を手にし小屋から出てきた。
そして俺をじっと見詰め近付いてきた。
「これを使いお香の身体洗ってやれ、この小屋の中でも構わん」
そう言いお香を背負う俺に桶を差し出した。
「あ、あぁ……」
「お香、そろそろ二郎の背から降りろ。身体洗わせるのすらも二郎の背に乗り続けるか」
玄蔵が俺の背に乗るお香に向けてそう言った。
硬直した俺とお香はきょとんとして玄蔵の顔を見詰めてしまったが……
「そ、そうだね、ごめんね二郎」
お香がぴょんと俺の背から降りた。
「これで川の水を汲め。そしてこの小屋で身体洗え」
そう言い玄蔵がお香に桶を差し出した。
「はい」
お香は素直に桶を手にしとる。
「二郎、川で身体清めるぞ?入念に洗えよ」
そう言うと端正な顔立ちの玄蔵が川に向かって歩きだし着物を脱いで全裸になっていった。
嘘やろ……夏や言うても日がのぼったばかりの早朝の川に入るんか……
そう思いながらも俺もぼうまるの服を脱いでいった。
そして首に掛けた龍涎香と久から貰った銅板の入った袋も外す。
「お香、この服大切やから折り畳んどってくれへんか?」
服を脱ぎ全裸になった俺は桶を持つお香にそう言った。
「良いよ?分かった、寒いでしょ」
そう言うとお香がふふふと微笑む。
「寒いけどしゃあない。言う事聞かんと伊賀の忍びに叱られるわ」
「ふふふふふ」
玄蔵は揖斐川に飛び込んどる。
俺も揖斐川に向けて駆けて行くと川に飛び込んだ。
バッシャーンと音が響き全身に冷たさが伝わる。
「冷たい!!」
「慣れれば何ともない!身体十分に洗えよ二郎」
「……うぅ……」
早朝の桑名の揖斐川で俺は死ぬ思いをしながらも頭や身体を入念に洗っていった。
お香は桶に水を入れながら俺を見て微笑んでいた……
揖斐川で身体を洗い終え、俺と玄蔵は土手に腰を下ろしていた。
お香は一人で身体を洗うと言い物置小屋の中に入っていった。
「二郎、お前が勇ましいのはよう分かる。強い気持ち持っとる」
隣に座る玄蔵が俺にそう言う。
「…………」
「そやけど気持ちが先走りすぎや、もう少し落ち着きを持て」
「……うーん」
落ち着き……か……
「まだ若いから仕方ないんかも知らんが、もう二十一やろう?もう大人や、もう少し落ち着け」
「……はい」
「見た感じではすぐに感情的になっとるようやぞ?気持ちは分からんでもないがもう少し心に余裕を持て」
「はい」
「とは言うて俺も偉そうには言えんがな、ふふふふふ」
そう言うと玄蔵が笑った。この人の笑顔初めて見るんちゃうか。
この人でも笑うんやな……
「俺もお前ほどの年の頃はすぐに感情的になり怒って喧嘩ばかりしとったわ」
「へぇ……」
「しかしそれが命取りになる事もあるんや、俺は何度もそう言う経験をした。すぐに喧嘩吹っ掛けとったら殺される危険もある」
「…………」
「もう少し冷静になれ葛原二郎」
「はい……ほんでお香からあんたが忍びやと聞いたんやけどそうなん?」
「あぁ……前はな、前は忍びやったが今はもう伊賀におらんから忍びとは言えん」
「……伊賀が織田信長様に攻め入られ……」
そう言った時、揖斐川を見詰めとった玄蔵がさっと俺に視線を移した。
それは殺気を宿した凄まじく鋭い眼差しやった。
「あっ……」
俺は黙り込んだ。
……怖い……
本気でそう思った。
「あ、あの……」
「……左様、織田信長に攻め入られ、俺の……」
玄蔵は再び視線を揖斐川に向けた。
俺の緊張も少し解けた。殺されるんちゃうか、と言うぐらいの凄い殺気やったから……
「俺の妻も子供も家も地位も全てを失った」
「…………」
「…………」
玄蔵は黙り込んでしまっとる。
心に深い闇を持ってそうや。過去に色んな辛い過酷な事があったんやろう。
「俺は……本能寺を襲ってん。織田信長様が御宿泊なされとった御寺や」
俺はそう呟いた。
「…………」
玄蔵が視線を俺に移した。
「初めは丹波の亀山から毛利と言う敵と戦う為に備中の国に向かえって言われたんや、明智光秀様の御要請でな」
「…………」
「そやけど途中で急に京に向かうと言われて、敵は織田信長様やと」
「…………」
「ほんで本能寺言う大きな御寺を襲ってな」
「……そうか」
「ちなみにこの服は本能寺で会ったぼうまる言う少年の服やねん」
「…………」
「美しい少年やったわ、殺されてもうてたけどな。そやからせめてこの服でも着て美少年を弔ってやろうと思って服を貰った」
玄蔵が俺のぼうまるの服をじっと見詰める。
「森長隆と言う少年らしいんやけど俺はあんまり知らんねん」
「俺も知らん、織田の者の事など知らん、知りたくもない」
「あぁ……」
「ほんまは羽柴秀吉…………様の事も気に食わん……織田の者や」
玄蔵は再び揖斐川に視線を移した。俺は端正な顔立ちの彼の横顔を見詰めた。
「しかし音羽様より仰せつかった事や、お前を無事に見守れとな、秀吉様の元に無事にお届けせよ、と」
「……そ、そうか」
「俺も伊賀の者のはしくれ、お言い付けは必ずや成し遂げる、必ずに」
「お、おおきに……」
伊賀の忍びが持つ凄い強い意思が俺の心に伝わる……
強すぎてめっちゃ怖いんやけど……
そう思った時に掘っ立て小屋の扉が開かれツルツルの坊主頭のお香が姿を現した。
そして俺を見詰め手招きをしている。
朝日に照らされたお香の頭は少し輝いていた。
何をするつもりやろう。
「呼んどるぞ、行ってこい」
玄蔵さんがそう言う。
「ええんか?」
「思ったより早よう桑名に着いたからな、大丈夫や」
「分かった」
そう言い俺は川辺に建つ掘っ立て小屋の扉の前のお香の元に向かった。
「何?」
俺がお香の元に近寄るもお香は何も言わんと微笑んどる。
「ど、どないしたん?妙な事はあかんで……朝やし……」
「今はそんな事しないよ、おめえさんの身なり整えてやんべ?」
「身なり?」
「そうだよ、髭も生えて髪も乱れてんじゃないのさ」
俺は顎をさすった。確かに髭がだいぶ生えとる。
「整えてやんべ?ちょっと来てよ」
そう言い桶を持つお香が川の方へと向かう。
俺もお香の後に続いた。
お香は桶に水を汲むと桶を起き、脇に差していた鞘から正宗の刀を抜いた。
「ちょっ……え?」
「大丈夫だべ、手入れしてやんよ?」
「……正宗で髭剃んの?」
「そうだよ?剃ってる時さ、喋ったり動いたりしちゃあ駄目だよ?」
そう言い正宗を揖斐川に浸しとる。
「ちょっ……大丈夫か?」
「大丈夫だよ、動かなきゃね?さぁ手入れしよ、座りなされ」
ええ?大丈夫か?
そう思いながらも俺は川辺の砂利の上に腰を降ろした。
「先に髭の手入れするけどさ、髪も眉も整えてあげるよ」
「あぁ……」
お香は桶の水に手を浸すとそれを俺の頬や顎になすり付けてきた。
そして正宗の刀を手にし、俺の頬に当てた。
俺は微動だにせずじっとしていた。
俺の髭がどんどんと剃られていく。
土手に座る玄蔵はじっと俺らを見詰めていた。
大きな揖斐川は一定の音を立ててずっと流れ続けている……
「よし!終わったよ?」
パンッと俺の両肩を叩きお香がそう言った。
あの後、髭を正宗で剃られた俺は髪も丁寧に結われ、眉も正宗で丁寧に剃られ整えられた。
更に桶に入った水に何度も手を浸し、延々と頬を揉まれ続けた。
何でも頬の肌を潤す為らしかった。何のこっちゃ意味が分からんかったが俺はお香の言われるがままにした。
日はだいぶ昇り俺らを照らしている。
揖斐川には大きな白いシラサギが立ち、川で泳ぐ魚を狙っていた。
「二郎、すんごい男前になったね!」
お香がじっと俺を見詰めそう言う。
ふふっと俺は照れ笑いを浮かべた。
「男前だよ、うっとりする程の美男子だ」
お香がそう言い俺の頬をさする。
「着てる服も上等だからさ、どこかのお侍様のようだよ」
「ふふ……」
「すんごい美男子だ、うっとりしてしまうよ」
あまりにお香が褒めるので照れてしまう。
お香はほんまにうっとりとした顔をし、俺を見詰めていた。
「……二郎、玄蔵さんよりよほどに美男子だよ……他のおなごに取られないか心配だよ」
そう言いお香が俺の頬をさする。
「そんなん……ある訳ないやん」
「おらの男だ、誰にも渡さね、おらが仕上げたんだべ?こんな男前にさ」
俺がはははと笑うとお香は俺に抱き付き、そして口付けをしてきた。
「…………」
「…………」
長い口付けをしていると……
「お二方、そろそろ参る。行楽の旅ではあらんぞ」
玄蔵が俺らの側に来てそう言った。
「あ、あぁすまん」
「……ほう、これは随分と綺麗になられたな葛原二郎」
玄蔵が俺を見詰めそう言う。
「いや……」
「随分な美男子ぞ、どこぞの武家の者のようや」
「そうだべ?おら……私が仕上げたんだ」
お香が得意気にそう言う。
「まぁ良い、これから舟に乗ったりもせんとあかん。すぐに発つぞ」
そう言うと玄蔵は土手の坂道へと向かっていった。
「じゃあ行こうか」
お香がそう言うが、
「お香、背に乗って」
俺はお香に背を向けてしゃがんだ。
お香の首の傷が癒えるまでは必ずお香を背負い続けると自分が決めた事やから。
「……もう大丈夫だよ……」
「ええねん、乗って?」
「……すまないね、本当に」
そう言いお香が俺の背に乗る。
俺は彼女をおんぶしそっと立ち上がった。
「お前背負ってたら気持ちいい」
「重くない?私」
「めっちゃ重い」
「うるせえ」
お香がぎゅっと俺を抱き締める。
「そやけど心地いい、お前の温もりが」
「ふふ」
「早よう致せ!置いていくぞ!」
土手を登りきった玄蔵が俺らに向けてそう言った。
俺は急いで玄蔵の後に続き土手を上っていった。
重い飯田の槍を手にしながら温かいお香を背負って。
「ありがとうね?俺の女だって言ってくれてさ」
「いや……別に……」
俺はお香を背負い土手の坂道へ向けて歩き出した。
「うっとりする程の美男子だよ二郎……」
お香が耳元でそう囁く。
俺は少し照れながら足早に歩く玄蔵の後に続いていった……




