第九章 種族不問
査察官ルードヴィヒ・フォン・ザイフリートが吐き捨てるように去ってから二日後。 村を包み込んでいた静寂は、地響きのような不穏な足音によって破られた。村を包囲するように展開したのは、中央王国が誇る正規討伐部隊――総勢千人を超える精鋭兵たちであった。重厚な鉄の鎧で身を固めた騎士たち、長弓を構える弓兵、そして魔法陣を刻んだ杖を掲げる導師たちが、ぐるりと村を取り囲んでいる。 陣頭に立つルードヴィヒは、安全な後方から拡声の魔導具を手に、歪んだ笑みを浮かべて叫んだ。 「聞け、不法集落の化け物ども! 我が王国の定義に従わず、秩序を乱す危険な異形集団よ! 直ちに降伏し、処分を受け入れよ! 従わぬならば、この地を跡形もなく焼き払い、討ち滅ぼすのみである!」増援として現れた圧倒的な軍勢を前に、村人たちの間に動揺が走った。 「そんな……討伐部隊まで呼ぶなんて……」 「やっぱり、僕たちは『普通』の種族じゃないから……どこへ行っても居場所なんてないのかな……」 ルシアンたちが弱音を吐き、重い沈黙が広がろうとしたその時――。
ドオン! と地面を揺らす激しい音が響いた。
「いい加減にしなよ!!」
紅蓮の髪をなびかせ、エルナが愛用の長槍を深く地面に突き立てていた。その瞳には、燃え盛る炎のような強い光が宿っていた。「ドワーフだから器用で無骨じゃなきゃいけない? エルフだから細身で綺麗な魔法が使えなきゃいけない? オークだから暴力的で戦わなきゃいけない? ……そんなの、一体誰が決めたんだよ!!」エルナの声が、不安に揺れていた村人たちの心に力強く響き渡る。「私たちが何者なのか、どんな風に生きたいのかなんて、他人に決められる筋合いなんて一つもない! 世間の勝手なイメージや枠組みからはみ出したからって、私たちがここに生きている事実まで消せるもんか! ここはね、私たちが私たちらしく笑って過ごせる、大切な居場所なんだよ!」エルナの叫びに、銀縁メガネをクイッと指先で押し上げたグレゴールが、静かに歩み寄った。 「ふっ……全くもって同感ですな。血筋や見た目、あるいは社会が勝手に作り上げた凡庸な偶像で個人を枠にはめるなど、滑稽極まりなく、何より不合理の極みだ」 グレゴールは広げた設計図を脇に抱え、不敵な笑みを浮かべた。 「私は、私自身の知性と技術をもって『ゴブリン』という概念を再定義してみせましょう。……さあ皆様、我が村の平穏を脅かす不作法な客人に、当村独自の『おもてなし』をお見せしようではありませんか」エルナとグレゴールの言葉に、村人たちの瞳から迷いが消え去った。 かつて世間から「落ちこぼれ」「欠陥品」と叩かれ、傷つき、追われてきた者たち。彼らが自分のアイデンティティを受け入れ、誇りを取り戻した瞬間――そこにはただの身寄せ合う弱者ではなく、大陸最強にして最凶のギャップを抱えた「規格外の怪物たち」が集結していた。「……ふふ、では皆様、怪我をさせない程度に、鮮やかに追い払って差し上げましょう」 シスター・マリアが可憐に微笑み、長弓を構えた。「攻撃開始! 化け物どもを撃滅せよ!」 ルードヴィヒの号令とともに、千の討伐部隊が一斉に雪崩を打って押し寄せてくる。 だが、次の瞬間展開されたのは、王国の軍勢にとって理解不能な絶望の光景であった。「――遅いゴル」先陣を切った騎馬隊の前に立ち塞がったのは、繊細な味覚を持つ泣き虫料理長、オークのゴルックであった。 巨体を縮こまらせて涙目になりながらも、その丸太のような腕から繰り出されたのは、音速を超える最速の拳風――。 ドォン!! という衝撃波が空気を引き裂き、威圧感溢れる騎馬隊の進軍を一瞬で押し戻した。傷一つ負わせず、ただ風圧だけで前衛を完封してみせる。「ひやあぁぁぁっ! 火だ、火が追ってくるぅぅぅっ!?」 討伐部隊の魔導師が放った火球に対し、極度の火恐怖症である火竜のファルが悲鳴を上げた。しかし、火を恐れるあまり完璧にマスターした絶技――超高熱の水流と水利魔術が爆発した。 ゴォォォッ!! と湧き上がった巨大な水の壁が火球を呑み込み、完璧な水圧で討伐隊の足元をすくい、兵士たちをまとめて押し流していった。「夜じゃなければ、ボクは無敵なんだからね!」 昼間専門の吸血鬼シルヴァンは、眩しい太陽の下で眩しい笑顔を輝かせながら、広大な戦場を天空の走りのごとく高速移動した。兵士たちの間を旋風のように駆け抜け、相手の武器だけを次々と取り上げて積み上げていく。「お宝には興味がないが……村の平穏を乱す奴には去ってもらうぞ」 黄金竜ドランが軽く羽ばたくと、生じた暴風が空中の矢や魔導弾をことごとく撃ち落とした。そして、戦場の最奥で構えたのはシスター・マリアであった。 「十キロ先のマッチ箱の火すら射抜く」と称される彼女の十キロ魔法矢が空を割る。 シュババババッ!! 放たれた無数の光の矢は、寸分の狂いもなく討伐隊兵士たちの鎧の留め具だけを射抜き、千の兵士を一瞬で裸同然の丸腰へと変えてしまった。「な、なんだこの化け物どもはぁぁぁっ!?」 一人も負傷者を出さないまま、完璧に無力化されていく自軍の姿に、ルードヴィヒは腰を抜かして悲鳴を上げた。そこへ、紅蓮の髪をなびかせたエルナが、風を切り裂くような跳躍でルードヴィヒの目と鼻の先へ舞い降りた。 ガツン!! 絶対の槍の穂先が、ルードヴィヒの鼻先数ミリのところでピタリと止まる。「ひっ……ひいいぃぃっ!?」 「帰りな。そして国に持ち帰って伝えなよ」 エルナは凛とした瞳で、震え上がる査察官を見下ろした。 「私たちは、誰かの決めたルールやイメージの中で生きているんじゃない。私たちは私たちの足で立ち、ここで生きていくんだってね!」「ひぃぁぁぁぁっ! 撤退! 撤退だぁぁぁっ!!」 鎧を剥ぎ取られ、武器を奪われた千の討伐部隊と査察官は、二度と振り返ることもなく、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。勝ち誇る歓声が、秋の青空へと突き抜けていく。 圧倒的な力で村を守り抜いた村人たちは、抱き合い、笑い合っていた。そこにはもう、己の欠陥に悩む落ちこぼれの姿はどこにもなかった。戦闘が終わった日の夕刻。 夕日に照らされた村の入口に、エルナとグレゴールは大きな木製の看板を力強く打ち立てた。
そこには、太く力強い文字で大きくこう刻まれていた。
『種族不問』
そして、その下には少し小さく、しかし誰の心にも届くような温かな文字で、こう添えられていた。
『ただし、他人の生き方を決めつけることは禁止』
看板を見上げながら、エルナは爽やかに汗を拭い、照れくさそうに笑った。 「さあ、これで準備万端だね! どんな変なヤツが来ても、ここなら大丈夫だ!」 「ふっ、全くですな。これからさらに賑やかになりそうだ」常識から外れ、居場所をなくした者たちが辿り着く、世界で一番優しく、そして世界で一番規格外な村。 その門は今、新しい仲間を迎えるために、広く世界へと開かれていた。




