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第八章 国からの査察と「種族」の定義

 秋の乾いた風が村の木々を揺らし、心地よい葉擦れの音を奏でていたある日の午前。 村の平穏を切り裂くように、重厚な鉄の足音が響き渡った。 先頭に立つのは、中央王国から派遣されてきた一級治安査察官、ルードヴィヒ・フォン・ザイフリート。その後ろには、威圧感溢れる白銀の甲冑を纏った王立騎士団の兵士たちが整然と列をなしている。彼らの表情には一切の情け容赦もなく、まるで不潔な害虫の巣窟でも改めるかのような、苛立ちと軽蔑の色が濃厚に漂っていた。



 「ここが、未登録の不法集落か」 ルードヴィヒは手にした羊皮紙の記録書に視線を落とし、不快そうに眉間へ深い皺を寄せた。 「我が王国の領土内に、何届出もなく勝手に築かれた集落が存在するなど断じて容認できん。おい、ここの責任者を出せ!」 査察官の大声に応じるようにして、村の入口へゆっくりと歩み出てきたのは、一人の小柄な緑色の肌をした男であった。鼻の上にちょこんと乗った銀縁メガネを指先で押し上げながら、胸元に抱えた巨大な羊皮紙の設計図を広げたのは、この村の建築責任者にして知識人のゴブリン、グレゴールであった。



 「やあやあ、遠路はるばる中央からようこそお越しくださいました、査察官殿。私がこの村の都市計画および建築全般を統括しております、グレゴールと申します」 グレゴールが慇懃無礼とも言える丁寧な仕草で一礼すると、ルードヴィヒは露骨に嫌悪感を剥き出しにして吐き捨てた。 「……チッ、ゴブリンだと? 言葉を解するだけで不快だが、まあいい。早速だが質問に答えろ。我が王国の統計管理法に基づき、この集落の構成人口と『居住している種族』を正確に報告せよ」



 グレゴールはメガネの奥の目を瞬かせると、至極当然といった表情で、淡々と、しかし滑らかに口を開いた。 「はあ、種族でございますか。当村におきましては、多種多様な者たちが共生しております。具体的に申し上げますなら、ドワーフと、エルフと、ウルフと、ドラゴンと、そしてシスターでございますね」「……なんだと?」 ルードヴィヒはピクリと眉を動かし、グレゴールの後ろに集まりつつあった村人たちの姿へ目を向けた。 そして、次の瞬間――査察官の顔面はみるみるうちに朱に染まり、怒脈が額に太く浮き上がった。「戯言を抜かすなーーーッ!!!!」 ルードヴィヒの怒号が村中に響き渡り、騎士たちが一斉に剣の柄へ手をかけた。 「貴様、この私を……我が中央王国を愚弄しているのか!? おい、そこの女を見ろ!」 ルードヴィヒが指差したのは、木材を軽々と肩に担いで爽やかに微笑んでいる、スタイル抜群の美女であった。 「ドワーフと言ったな!? ドワーフといえば、背が低く、髭を蓄え、無骨で丸太のような体躯をしているのが常識だ! なぜ目の前にいる『ドワーフ』が、背が高くしなやかな八頭身の美女なのだ!?」



 「まあ、見た目のステレオタイプに囚われていらっしゃること」 美女ドワーフがクスリと笑うと、ルードヴィヒはさらに隣に立つ人物を指差して激昂した。 「ならばそこの女はなんだ! エルフと言ったな!? エルフといえば、樹木のように細身で、神秘的な雰囲気を纏い、高度な精霊魔法を操る高潔な種族のはずだ! なぜ目の前にいる『エルフ』は、そんなにぽっちゃりとしていて、魔法の火種一つ起こせずに美味しそうにパンを頬張っているのだ!?」「う~、美味しいパンを食べて何が悪いのよぉ……魔法なんて使えなくたって、お腹は空くんだから……」 ぽっちゃりエルフが困り顔で口の端にパンくずをつけると、ルードヴィヒはもう眩暈を覚えたように頭を抱え、半狂乱になって叫び散らした。「狂っている……! 狂っているぞこの村は! 向こうで見ろ! ウルフ族の男が『お肉はかわいそうです』と言って温野菜のサラダを美味そうに食っている! その隣では伝説のドラゴンが、空を飛ぶでもなく地を這うように歩きながら『金貨なんて冷たくて硬いからいらん』と欠伸をしている! そして何より、貴様だゴブリン! ゴブリンがなぜ知的な銀縁メガネをかけて、寸分の狂いもない高度な三角測量の設計図を描いているのだ!?」息を荒らげ、怒りに肩を上下させるルードヴィヒは、村人たち全員を氷のように冷たい眼光で見回した。 「お前たちは……自分たちの種族の義務と定義を放棄し、偽っている化け物どもだ。ドワーフらしくないドワーフ、エルフらしくないエルフ、ウルフらしくないウルフ……そんなものは、その種族とは呼ばん! お前たちは種族の定義から完全に外れている。存在自体が異常であり、許されざる『欠陥品』だ!」「欠陥品」――その鋭い言葉が叩きつけられた瞬間、あんなに賑やかだった広場に、痛々しいほどの静寂が広がった。



 査察官が突きつけてきたのは、彼らがこれまでの人生で、世間から浴びせられ続けてきた言葉そのものであった。 「ドワーフのくせに細くて力がない」「エルフのくせに魔法が使えない」「ウルフのくせに肉が食えない」「ゴブリンのくせに生真面目で生意気だ」――。 一般社会の求める「普通」や「あるべき姿」からはみ出し、追われ、蔑まれてきた過去の傷跡が、ルードヴィヒの容赦ない宣告によって再び疼き出していた。八頭身の美女ドワーフが、肩に担いでいた木材をそっと地面に下ろし、自分の細い指先を見つめた。 (私……やっぱりドワーフとしては失格なのかな。頑固な鍛冶屋の父さんにも『お前みたいな細い奴はドワーフじゃない』って言われて家を飛び出したんだっけ……)



 ぽっちゃりエルフも、手に持っていたパンを食べる手を止め、しゅんとうつむいた。 (精霊の声も聞こえないし、綺麗な魔法も使えない……。エルフの里にいた頃、みんなが私を見るあの失望したような目が、ずっと怖かった……)



 ウルフのレオンも、噛みかけていた野菜を前に口をつぐんだ。ドラゴンも、ゴブリンのグレゴールも、静かに目を伏せた。 「自分たちは本当に、その種族と言えるのだろうか?」 「自分たちはただの、どっちつかずの出来損ないなのではないか?」 かつて払拭したはずの自問自答と葛藤が、村人たちの心の中に黒い影を落としていく。自分たちが築き上げてきたこの温かな居場所さえも、根本から否定されたような気がして、誰もが反論の言葉を失っていた。



その重苦しい沈黙を破ったのは、カツン、と静かに響いた靴の音であった。



「――あまりに浅薄で、滑稽な言いがかりですわね」



 木漏れ日の中から進み出てきたのは、真っ白なシスター服を纏った美しい金の髪の女性――マリア・ハントベルであった。 彼女は胸元で静かに手を合わせると、氷のように透き通った翡翠色の瞳で、査察官のルードヴィヒを真っ直ぐに見据えた。「な、なんだ貴様は……シスターか? 聖職者がなぜこのような化け物どもの肩を持つ!」 ルードヴィヒが威嚇するように声を荒らげたが、マリアは微風に髪を揺らせながら、ふっと慈愛に満ちた――そしてどこか底知れぬ圧力を秘めた笑みを浮かべた。「査察官殿。貴方は先ほどから『定義』『定義』と、まるで神にでもなったかのような口ぶりでお喋りになっていらっしゃいますけれど……では伺いますわ。一体いつから『種族』とは、貴方様のような凡庸な人間が作った型にはめるための分類記号になったのですか?」「何……!?」「ドワーフの肉体に生まれ、ドワーフの血を引く者が、美しい身体を愛して大工の技を極めてはなぜいけないのです? エルフの血を受け継ぐ者が、魔法ではなく美味しい料理を愛して笑顔で暮らしてはなぜいけないのです?」 マリアの声は、どこまでも清らかで、しかし森全体に響き渡るほどの力強さを帯びていた。「血脈と命の繋がりこそが『種族』であり、その魂がどのように生きるかは、個々の尊い自由のはず。型にはまらない者を『異常』と呼び、『欠陥品』と切り捨てるのは……ご自身の狭いお頭の中にしか世界が存在しないことを、自ら露呈しているだけではありませんこと?」「き、貴様ぁぁっ! 一律の規律と定義があってこその国家だ! 定義から外れた存在など、社会の害悪でしかない!」 ルードヴィヒが激怒して顔を真っ赤にし、騎士たちへ手振りで指示を出そうとしたその時――。



ドスン!! と地響きが轟いた。



 見上げれば、金銭無欲な黄金竜ドランが、巨大な頭部をゆっくりと下ろし、査察官の目と鼻の先で黄金の瞳を光らせていた。 「おい、小僧……」 ドランの太く重厚な声が、空気を震わせる。 「わしがドラゴンらしくないだと? 金貨を溜め込まんからドラゴンではないと? ガハハハ! 笑わせるな。わしがその気になれば、お前たちの連れてきたその小綺麗な騎士団ごと、一息で灰燼に帰すことができるぞ? ……それとも何か? 『ドラゴンらしく』今すぐここでブレスを吐いて見せてやろうか?」「ひっ……!?」 圧倒的な種族の「力」の差を突きつけられ、ルードヴィヒと騎士たちはガタガタと膝を震わせ、後ずさった。そこへ、野菜を食べていたウルフのレオンが、ゆっくりと歩み出て査察官の前に立った。その瞳には、葛藤を乗り越えた確かな光が宿っていた。 「……俺は肉を食べない。だから同族からは異端だと言われた。だがな、査察官。俺のこの鋭い爪も、鼻も、足の速さも、間違いなくウルフ族として授かったものだ。俺は俺のやり方で、この力を仲間を守るために使う。肉を食うか食わないかで、俺の血と生き様まで否定させてたまるか!」レオンの言葉に呼応するように、八頭身のドワーフ美女が力強く拳を握りしめた。 「そうよ! 私のこの背の高さも手脚の長さも、高いところの建築作業をする時には最高の武器になるんだから! 私は私の大好きなこの身体で、最高の家を建てるドワーフなんだ!」「私も……!」ぽっちゃりエルフが、涙を拭って前を向いた。「魔法は使えないけど、私には美味しい野菜を見分ける目と、みんなを笑顔にする食い意地があるわ! これも立派なエルフの生き方よ!」メガネのゴブリン、グレゴールが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてメガネを持ち上げた。 「査察官殿。我が村の『型にはまらない』住人たちが合わせ持つ能力と効率性は、我が国のどんな都市よりも合理的で美しい都市空間を作り上げております。貴方の言う『定義』とやらが、この現実の成果よりも価値があるとお思いですか?」村人たち全員の鋭く、そして誇りに満ちた視線が一斉に注がれ、ルードヴィヒは言葉を失った。 彼らが抱えていた「葛藤」は、もはや恐怖や迷いではなく、自らのアイデンティティを再定義するための確かな「誇り」へと昇華していたのである。「く……くそっ……! 覚えていろ! こんな歪んだ集落など、中央に報告して必ず公的に処分させてやるからな!!」 勝ち目がないと悟ったルードヴィヒは、捨て台詞を残すと、腰を抜かしかけている騎士たちを引き連れて、一目散に村から逃げ出していった。査察官たちの姿が見えなくなると、村の中に一瞬の静寂が訪れ――次の瞬間、割れんばかりの歓声と笑い声が沸き起こった。



 「やったぞー! あの威張ってた査察官を追い払ったぞ!」 「ふふ、マリア様の煽り文句、最高だったわ!」 「レオンもカッコよかったぞ! 『肉を食うか食わないかで否定させるか』だってさ!」 「な、なに言ってるんだよ、恥ずかしいだろ……!」照れくさそうに首の後ろをかくレオンの横で、マリアは静かに長弓を仕舞い、いつも通りの可憐で穏やかな笑みを浮かべた。 「皆様、ご立派でしたわね。……まあ、もしあの査察官たちが戻ってくるようでしたら、今度は私の仕掛けた最高のトラップ網で、じっくりと『人間狩り』の楽しさを教えてあげますけれど」 「マリア、最後の一言で台無しにするのはやめろ!」青空の下、村人たちは互いの肩を叩き合い、笑い合っていた。 ドワーフらしくなくてもドワーフであり、エルフらしくなくてもエルフである。 社会が押し付けてくる不自由な「定義」や「レッテル」を跳ね返し、自分だけの生き方を誇らしく掲げる者たち。 どこへ行っても「居場所」のなかった落ちこぼれたちが集うこの村は、今日また一つ、強固な絆と誇りを胸に、たくましく未来へと歩み出していくのだった。


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