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第十章 種族とは何か?

 査察官の一件を経てからというもの、中央王国はこの集落に対する見解を半ば諦めにも似た態度へと一変させていた。 千人の精鋭討伐部隊を一人も傷つけることなく全滅(正確には武器と防具を解体され、完璧に完封)せしめた「危険領域」。しかし、その一方で王国に対して何ら侵略の意図を見せず、納税や独自の交易には至極誠実に応じる謎の集落――。 結果として王国上層部は「触らぬ神に祟りなし」とばかりに、この地を「自主管理特区」という体裁で放置することを決定したのだった。



 王国公認(という名の放置)を得た村は、今日も平和で賑やかな日常を取り戻していた。「ちょっとグレゴール! 私が作ったこの広場の特大テーブル、何で勝手に分解して組み立て直してんのさ!?」 村の広場で、紅蓮の髪をなびかせたエルナが、腰に手を当てて怒鳴り散らしていた。 目の前では、知識人ゴブリンのグレゴールが、銀縁メガネを指先でクイッと持ち上げながら、複雑な傾斜計と定規を手に淡々と言い放つ。 「エルナ殿。大雑把にも程があります。貴女の作ったこのテーブルは、西側に三・八ミリ傾いております。これではスープを注いだ際、表面張力の限界を超えて器から溢れ出すおそれがある。ミリ単位の狂いも排してこそ、真の建築というものです」 「うぐっ……たかが数ミリくらい、器を傾けて飲めばいいじゃないのよ!」



 そんな二人の不毛な口論を横目に、広場の奥では目にも留まらぬ速さの旋風が巻き起こっていた。 「仕込み完了ゴルーっ!」 泣き虫料理長のオーク、ゴルック改め、最速の包丁捌きを得た調理担当たちが、超音速の素振りと繊細な手つきでキャベツを千切りにしていた。その速度はもはや残像すら残さず、一秒の間に千枚もの美しい千切りキャベツがボウルへと吸い込まれていく。 「今日も完璧な切り口ゴル! 切り口の断面が潰れていないから、ドレッシングの絡みが最高の状態になるゴル!」「おーい! 山から新鮮な採れたて野草とトマトを持ってきたぞー!」 上空から爽やかな声が響くと、ウルフのレオンが背中の翼を羽ばたかせ(あるいは驚異的な脚力で天空から舞い降り)、籠いっぱいに詰まった色鮮やかな野菜を運んできた。 「肉は食わないが、このトマトの熟し具合は最高だ! みんなで食おうぜ!」「ふぁあ……スープの温めなら任せるのじゃ」 火を恐れていたはずの火竜の子供ファル、並びに黄金竜ドランが、絶妙な火力コントロールで薪に火を注いでいた。焦がさず、冷まさず、常にスープが美味しく味わえる八十五度を完璧に維持する炎。かつて火を見て失神していた面影は微塵もない。「皆様、本日の狩りの成果ですわ。解体の手順をもう一度復習いたしましょう」 広場の端では、真っ白なシスター服を着たマリアが、不敵な笑みを浮かべながら巨大な獲物の前でナイフを構え、村人たちに狂気の狩猟講座を開いていた。 「急所を完璧に外しながら解体するのが、一番肉質を損なわないコツですのよ……ふふふ」 「マリア様、笑顔が怖いです……!」ドワーフは大工仕事に精を出し、エルフは美味そうにパンを頬張り、ウルフは野菜を愛で、ドラゴンは温かなスープを温め、ゴブリンは精密な都市計画を描く。 世間のステレオタイプや「普通」からはみ出し、落ちこぼれと呼ばれた者たちが、それぞれの個性を誇り高く輝かせながら笑い合っている。ここには、世界で一番温かく、心地よい日常が流れていた。



その時であった。



 村の入口に立てられた、あの大きな木製看板――『種族不問(ただし、他人の生き方を決めつけることは禁止)』の前に、一人の影が佇んだ。カツン、と乾いた靴音が響く。 作業の手を止めた村人たちが、ゾロゾロと広場から村の入口へと集まってきた。「ん? 新しい訪問者か?」 「噂を聞きつけてやってきたのかねぇ」 「今度は一体何族だ?」 「泳げないマーマンか? それとも高所恐怖症のペガサスか?」 「それとも、歌が下手すぎて森を追い出されたセイレーンゴル?」興味津々の眼差しで囲み、口々に予想を飛び交わせる異質な住人たち。 その中央で、ボロボロの大きなリュックサックを背負った若い青年は、見たこともない巨体や美しい美女、メガネをかけたゴブリンたちに囲まれ、生きた心地がしないといった様子で全身をガタガタと震わせていた。「あ、あの……ひ、ひぃっ! ご、ごめんなさい! 僕、怪しい者じゃありません!」 青年は顔を真っ青にしながら、必死に手を振って弁明を始めた。「僕、故郷の村を追い出されて……どこかで行き場のない者を受け入れてくれる場所がないか探してて、この看板を見つけて……」エルナが前に進み出て、槍の柄を地面につきながら尋ねた。 「へえ、いいよ。ここはそういう奴らのための村だからね。で、アンタは何なんだ? どんな『欠陥』や『あり得ない特技』を持ってここに来たんだい?」青年はおどおどと視線を泳がせながら、申し訳なさそうに小声で答えた。「あ、あの……人間です。特別な力も何もない、魔力も薄くて、剣も使えなくて、力もなくて……どこにでもいる、本当にただの……『普通の人間』です」



――静寂。



 それまで賑やかだった村の入口が、まるで時間が凍りついたかのように完璧な沈黙に包まれた。空を飛ぶドラゴンも、最速の包丁を持つオークも、八頭身の美女ドワーフも、ぽっちゃりエルフも、メガネのゴブリンも、シスターも。 全員が硬直したまま、目を丸くして青年を見つめている。一秒、二秒、三秒。やがて、村人全員が互いに顔を見合わせ――息を整えると、天を突くような大音量で声を揃えて叫んだ。



「「「本当に!!?????」」」



「ひやあぁぁぁっ!?」



 全員の凄まじい大合唱に、青年はひっくり返って腰を抜かした。「嘘だろ!? 『普通の人間』だって!?」 「えっ、何それ!? 何の捻りもないの!? 昼間に寝て夜起きるとか、実は甘いものが大嫌いな人間とかじゃないの!?」 「本当にただの人間……!? そんな存在、都市伝説じゃなかったのゴル!?」 「恐ろしい……! 何の特徴もない、平均値そのままの存在なんて……! この村最大の異常事態ですわ!」「な、なんでぇぇぇっ!? 普通で何が悪いのさぁぁぁっ!?」 泣き叫ぶ青年を囲み、村人たちは「すごい! 本物の『普通』だ!」「触ってもいいか!?」「ちゃんと肉も野菜も平均的に食べるのか!?」と、まるで珍獣でもを見るかのような大興奮で取り囲むのだった。あまりのシュールな大騒ぎに、広場からは腹を抱えて笑い転げる声が響き渡った。やがて、太陽が西の山並みへと沈み始め、空が美しい朱色と紫のグラデーションに染まっていく。 大騒ぎの歓迎会(という名の『普通観察会』)が広場で始まる中、エルナは一人、村全体を見渡せる高台の丘へと歩みを進めていた。



 風がそっと彼女の紅蓮の髪を揺らす。 見下ろせば、温かな明かりが灯り始めた村の家々。 ゴルックの作った絶品料理の香りが風に乗って漂い、ルークの楽しげな笑い声や、ドランの豪快な欠伸、ファルとシルヴァンがはしゃぐ声が聞こえてくる。 そこには、かつて世界のどこにも居場所がなかった者たちが作り上げた、至高の楽園があった。



 エルナは腰の槍に手を置き、夕焼け空を見上げながら、ふっと柔らかく笑って呟いた。



 「血なのか、能力なのか、見た目なのか……。種族って、一体何なんだろうな」



 ドワーフらしくなくてもドワーフで、エルフらしくなくてもエルフで、オークらしくなくてもオーク。 そして、普通であっても普通でなくても、ここに生きる一人の尊い命であることに変わりはない。 誰かが勝手に決めた「枠組み」や「定義」なんて、この温かな日常の前には、何の意味も持たないのだから。



「まあ……何だっていいか。みんなが笑って過ごせるなら、それでさ」



 エルナが向き直ると、広場の方から「エルナ~! 早く来ないとゴルックのスープがなくなっちゃうよ~!」と、村人たちの呼ぶ声が聞こえた。



「はいはい、今行くよ!」



 エルナは大きく息を吸い込むと、夕暮れの街並みへ向かって元気に駆け出していった。常識を脱ぎ捨てた者たちが集う、世界で一番優しく、賑やかで、規格外な村。 その物語は、これからも終わることなく、温かな日常とともにどこまでも続いていくのだった。





【エピソード一 完】


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