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第五章 飛べないドラゴン

 開墾地に築かれた木造の防壁と建物群は、ゴブリンのグレゴール・グリムニッツによる厳格かつ精密な工程管理のもとで、日に日にその姿を理想的な村へと変えつつあった。ドワーフのエルナ・グランフォージが持ち前の怪力で巨木を切り出し、エルフのルシアン・エルフェリオが超音速の素早さで小枝を剪定し、ウルフ族のレオン・ヴォルフェンが風を蹴って上空から測量補助を行い、ゴブリンのグレゴールが零点一五ミリの狂いも許さぬ眼光で全体を指揮する。種族の壁を越えた常識破りな仲間たちの手によって、無秩序だった大森林の開墾地には、すでに整然とした区画と美しい街並みの萌芽が生まれ始めていた。その日の午後も、澄み渡る秋空のもとで作業が順調に進んでいた。



ズゥゥゥゥン……!



突如として、大気を震わせる不穏な地鳴りが響き渡った。



「ん……? 地震か……?」



エルナが作業用の大鎚を置き、足元を凝視する。



ズゥン! ズゥン! ズゥン!



 振動は一回限りではなく、一定の規則正しさと圧倒的な重厚感をもって、徐々に村の中心部へと接近してきていた。森の木々が大きく揺れ動き、鳥たちが一斉に空へと飛び立つ。ただ事ではない存在が、こちらへ向かって歩みを進めているのは明らかであった。「みんな、武器を構えて! 大きな何かが来るよ!」ルシアンが瞬時にぽっちゃりとした体を絞り直すように身構え、超音速の突き(インファイト)の体勢に入る。レオンは野性的な勘を尖らせて風の乱れを察知し、グレゴールは静かに丸メガネのフレームを押し上げながら、魔導陣を展開する準備に入った。そして、森の木々を押し開けて姿を現したのは――絶句するほどの巨躯であった。深紅に輝く硬質なる鱗、威厳に満ちた鋭い二頭の角、太くしなやかな太もも、そして吐き出される息だけで周囲の草木を焦がすほどの圧巻なる存在感。古代より伝説として語り継がれ、生ける天災と恐れられる種族の頂点――『火竜(ファイヤードラゴン)』であった。



「り、竜(ドラゴン)――!?!?」



 エルナが叫ぶ。その巨体は全高十メートルを超え、歩くたびに地表が大きく沈み込むほど重厚であった。だが――全員が息をのんで警戒を強める中、エルナはある不可解な違和感に気づいた。ドスドスドス、と豪快な足音を立てて歩いてくる火竜。その立派な巨躯の背中には、本体のスケール感とはあまりにも不釣り合いな、まるで赤ん坊の手手のような『極端に小さな翼』がちょこんと生えていたのである。そして、何よりもおかしいのはその歩みであった。彼は上空から優雅に舞い降りてきたのではない。地道に、一歩一歩、森の踏み分け道をドスドスと「徒歩」でやってきたのだ。「……ねえ、エルナさん」ルシアンが困惑気味に尋ねる。「あのドラゴンさん、もしかして……歩いてきたの?」「いやいや、まさかだろ! ドラゴンだよ!? 空の覇者だよ!? なんで数十キロも離れた巣から徒歩で来なきゃいけないんだよ!」エルナは威厳あふれる火竜の前へ踏み出し、重槍の柄を地面に突き立てながら大声で問いかけた。「おい、ドラゴンの旦那! なにをドスドス歩いてやってきてるんだ!? その立派な体があるなら、空をパタパタ飛んできた方が圧倒的に早いだろ! なんで飛んでこないんだ!?」すると、伝説の火竜――バルガス・ドラグニールは、鋭い黄金色の瞳をウルウルと揺らし、巨体をブルブルと激しく震わせ始めた。「考……考えてもみろ……っ!!」重厚で地響きのような低音ボイスではあるが、その内容は驚くほど情けないものであった。「空中で……空中で万が一、羽に急な攣(つむじ)風が吹き荒れたらどうするのだ!? あるいは関節の異変や、突然の気圧変化によって滑空不能に陥ったらどうする!? 上空数千メートルの高度から地面へ墜落するのだぞ!? 怪我じゃ済まん! 確実に死ぬ! 即死だ! ペシャンコだ!!」



――静寂。



 秋風が吹き抜け、開墾地に乾いた葉が舞う。「……は?」エルナの思考が停止した。バルガスは大きな前脚で頭を抱えるようにしながら、冷や汗をだらだらと流して主張を続けた。「良いか!? 地上ならば、どんなに転んでもせいぜい膝をすりむく程度で済む! だが空は違う! 空には足場がない! 生命線が存在しないのだ! あんな恐ろしい場所に好んで赴くなど、正気の沙汰ではない! 安全第一! 歩行こそが生命維持における最高かつ最善の選択肢なのだ!!」「ドラゴンなのに高所恐怖症&安全第一主義――!?」エルナの絶叫が森中に響き渡った。「嘘でしょ!? 百八十六歳にもなる百獣ならぬ百竜の王だろ!? 空を自由に飛び回って火を吐くのがドラゴンの象徴じゃないのかよ!?」「嫌だ! 高いところは怖い! 高所など見るだけで足がすくむ! 俺はこの足で大地を踏みしめて生きていくんだ!」巨体を丸めて半泣きになる伝説の火竜。その時、上空からふわりと舞い降りてきた銀灰色のウルフ――空中浮遊術者のレオンが、不思議そうに首をかしげながら着地した。レオンの手に握られているのは、先ほどまで空中測量で使っていた羊皮紙である。「やあ、ドラゴン。そんなに興奮してどうしたのだ? 空なんて風が心地よくて素晴らしい場所だぞ。君も俺のように空を走ればいいのに」バルガスはレオンの姿を見るや否や、驚愕のあまり目を剥いた。「な、なんだお前は!? 羽もないのに空中に浮いているだと!? 狂気だ! そんなに早く空を飛んだり走ったりしたら、万が一墜落した時に極めて危険ではないか!?」レオンはフッと鼻で笑い、果物のナシをしゃりりと齧りながら言い放った。「危険? そんなに早く飛んだら危険だよ、とでも言いたいのか? 心配ご無用、俺の空中走法は風の流れを完全に捉えているから落ちん」「違う! 早い遅い以前の問題だ! そもそも飛ばん!! 一センチたりとも浮きたくないわ!!」レオンの「常識破壊(空を走る)」とバルガスの「安全第一(高所恐怖症)」という噛み合わない応酬に、傍らで見ていたゴブリンのグレゴールが呆れ果てたように溜息をついた。「はあ……またしても面汚しか。常識的な個体がこの森には一人もおらんのか」



(((やっぱり出たー! 『〇〇の面汚し』追放組第五弾――!!)))



 エルナ、ルシアン、レオン、グレゴールの四人の心がまたしても完全に一つになった。「なるほどねぇ……」エルナは顎に手を当てて考え込んだ。「でもさ、バルガス。お前、火竜なんだろ? 火を吐く能力は本物なんだよな?」「む……? 当然だ! 高所は嫌いだが、俺の体内には生まれつき絶え間なく燃え滾る極大の『竜玉炉』が存在する! 火おこしや温熱調整ならば、そこらの種族の追随を許さんぞ!」バルガスはプシューッと鼻から小さな火花を散らしてみせた。それを見たエルナの目がキラリと光った。「決まりだ! バルガス、お前、うちの村の『熱エネルギー管理長官』になれ!」 「なに……? 熱エネルギー管理長官……?」「そう! 実はさ、私はドワーフなのに不器用で、鍛冶の火加減調整がめちゃくちゃ苦手なんだよ! 火力を上げすぎて炉を爆発させたり、逆に鎮火させちゃったりしてさ。でも、お前のその精密な火炎コントロールがあれば、村の暖炉の火種も、鍛冶場の炉の温度管理も一発で解決する! もちろん、高所に登る仕事は一切させない! ずっと地上の安全な場所で作業してくれればいい!」「な……高所に登らなくて良いのか!?」バルガスは大きな黄金色の瞳を輝かせた。「安全ヘルメットの着用義務化と、足場点検の徹底を約束してくれるなら……喜んでその職を引き受けよう! 俺の夢は、事故ゼロの平和な現場作りなのだ!」「よし、契約成立だ!」こうして、超絶臆病だが安全意識が極めて高い伝説の火竜・バルガスが仲間に加わった。それからのバルガスの活躍は凄まじかった。彼は村の鍛冶場にどっしりと居座り、エルナが叩く鉄鋼に対して、呼吸をするかのように寸分の狂いもない温度の火炎を吹き続けた。「エルナ! 今の叩き込みなら八百五十度の還元炎が最適だ! 吹きかけるぞ、目を保護具で覆え!」 「おうよ! 助かるぜバルガス! 火加減が完璧だから、めちゃくちゃ良い鉄が打てる!」さらに、村の広場に設置された大型の集中暖房装置にもバルガスの温熱が注ぎ込まれ、肌寒くなってきた秋の夜長も、村の中はまるで春先のようにポカポカと温かい空間が保たれるようになった。「素晴らしい……」グレゴールが満足そうに数値をチェックする。「バルガスの熱源提供により、燃料用木材の消費効率が八割削減された。まさに理想的な持続可能エネルギーだ」「僕のお腹も温かくて、ついつい眠くなっちゃうよ~」ルシアンがぽっちゃりお腹を撫でながらフハハと笑う。村は順風満帆に見えた。



だが――試練は、思いもよらぬ形で訪れた。



その夜。



突如として、上空の気温が急降下した。



ピキピキピキ……ッ!



 秋の心地よい夜風が、一瞬にして皮膚を裂くような殺人的な猛吹雪へと変貌したのだ。空から降り注ぐのは、ただの雪ではない。一切の生命活動を停止させる『絶対凍結の魔氷』であった。「な、なんだこの寒さは……!? 呼吸するだけで肺が凍りそうだぞ!?」 エルナが震えながら重槍を構える。「危険だ! 畑の有機野菜たちが一瞬で細胞破壊を起こしてしまう!」 レオンが叫び、急いで野菜に藁をかぶせようとするが、その藁すらもカチカチに凍りついていく。「見よ、上空だ!」 グレゴールがメガネを抑えながら空を指さした。暗雲立ち込める上空数百メートルの天頂に、君臨する存在があった。 青白い冷気を全身から放つ、体長三十メートルを超す巨大な氷の結晶体――古代の災厄『氷の精霊王(イフリート・フロスト)』であった。「愚かな原住民どもよ……」 精霊王の地響きのような冷酷な声が森全体に響き渡る。「この森は我が永久凍土の領域となる。命あるもの、芽吹く作物、築かれた家々……すべてを氷の棺へと封印してくれよう!」精霊王がその巨大な氷の腕を掲げると、絶対零度の吹雪が津波のように村全体へと襲いかかってきた。地表が次々と白い凍土へと変わり、グレゴールの作った防壁や木造建築が悲鳴を上げて凍てついていく。「くそっ! 射程が長すぎるうえに、範囲が村全体だ! 私の広域重力波でも、実体を持たぬ冷気そのものを完全に防ぎ切ることはできん!」 グレゴールが歯噛みする。「僕の突きも、冷気を切り裂くことはできないよ~っ!」 ルシアンの息も白く凍りつく。村全体が静かなる凍死の絶望に包まれかけた、その時であった。



「――おい」



 ズゥン……と、重厚な一歩が踏み出された。村の中央から現れたのは、頭にエルナが木くずで作ってくれた『特製・安全第一ヘルメット』をチョコンと乗せた火竜、バルガスであった。バルガスはブルブルと震えていた。だが、それは恐怖による震えではなかった。「俺の……俺の設計した安全で温かい村の温度管理基準を……無断で大幅に逸脱させるなと言っているのだぁぁぁぁっ!!」バルガスが仁王立ちになり、その胸部がカッと目も眩むような真紅の光を放ち始めた。「バ、バルガス!?」「エルナ! ルシアン! レオン! グレゴール! 全員、俺の背後に退避しろ! これより非常時局局限熱放射を開始する! 耳を塞ぎ、目を閉じよ!」バルガスはヘルメットのアゴ紐をキュッと締め直すと、巨大な前脚を大きく開き、地にしっかりと足を踏みしめた。「地上こそが俺の戦場! 足場が安定しているならば……俺の出力に限界など存在しない!!」



ゴォォォォォォォォォォォォ……ッ!!!!



 バルガスの全身の鱗が赤熱し、周囲の極寒の冷気が一瞬で蒸発して白い狂風へと変わる。体内の『竜玉炉』が臨界点を超えて回る音が、まるで巨大な蒸気機関の咆哮のように響き渡った。上空の氷の精霊王が嘲笑う。 「ハハハ! 飛べぬトカゲが地上で何をあがく! 我が絶対零度の前には、どのような炎も一瞬で鎮火するわ!」「飛ぶ必要など……どこにある!!」バルガスは大きく息を吸い込んだ。その胸囲が倍近くに跳ね上がる。「私の火炎は……全てを燃やし尽くす。業火と戯れろ――!!」



『全極超高熱竜息(プランニック・ブラスト)』――放流!!



ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!!!!!!!



 それは、もはや「火を吐く」という概念を遥かに超越していた。バルガスの口から解き放たれたのは、太さ数十メートルにおよぶ『白銀の超高熱プラズマ光線』であった。太陽の表面温度をも凌駕する超高熱の熱柱が、地表から垂直に向かって、天を突くように解き放たれたのだ。「な……何という熱量だあああああっ!?」精霊王が放った絶対零度の吹雪は、バルガスのブレスに触れた瞬間に蒸発する暇すらなく『消滅』した。白銀の熱柱は空を裂き、雲を焼き払い、そして天頂に君臨していた氷の精霊王を真っ向から飲み込んだ。「ギャァァァァァァァァァァァァァァッ!??!?」精霊王の悲鳴が響き渡る。氷の巨体が白熱するプラズマの中で一瞬にしてドロドロに溶け落ち、分子レベルで分解されていく。ブレスは精霊王を突き抜け、そのまま上空の暗雲すらも綺麗に穿ち去り、夜空にぽっかりと巨大な青空の穴を穿ち開けた。あまりの超火力。 全種族の中で最高の熱量を誇る、伝説の火竜の真の力がそこにあった。「……ふぅ」バルガスはプシューッと口から残煙を吐き出し、頭のヘルメットの位置を少し直した。「よし。消火確認、異状なし。消火活動完了だ」



沈黙。



 村の周囲は、先ほどの殺人的な猛吹雪が嘘のように消え去り、どころか春のぽかぽか陽気のような心地よい温もりに包まれていた。凍りついていた畑の野菜も、無事に息を吹き返している。エルナたちは、開いた口が塞がらないまま、白銀の光線が穿った夜空の穴とバルガスを交互に見つめていた。「あ、ありえない……一瞬で精霊王を蒸発させた……」 「地上から……空の敵を灼き払っちゃったよ~っ……」「フッ……」レオンが感心したように頷く。「地上から撃つからこそ、足腰の踏ん張りが利き、最大の出力が出せるというわけか。理にかなっているな」「ふむ」グレゴールもメガネを拭きながら同意した。「空中では作用反作用の法則により、これほどの反動に耐えられん。地に足をつけぬ姿勢が生んだ、究極の砲台だな」バルガスは少し照れくさそうに大きな尻尾を振った。「だ、だから言ったろう! 地上こそが最高の安全地帯なのだと! 無闇に空を飛ぶなど愚者のすることだ!」「ハハハハハッ!」エルナは大爆笑しながら、バルガスの巨大な足元へと駆け寄り、その硬い甲殻をバシバシと叩いた。「最高だぜバルガス! 飛べなくたって、お前は世界一頼りになる火竜だ! これでうちの村の暖房も鍛冶場も、そして防衛も完璧だな!」「む……あまり強く叩くな、打撲の危険性があるぞ! 労働安全衛生法(村内規定)違反だ!」「かーっ! 相変わらず堅苦しいドラゴンめ!」笑い声が、温かな夜の空気に溶けていく。八頭身の怪力ドワーフ(エルナ)、ぽっちゃり超音速エルフ(ルシアン)、空を走るヴィーガンウルフ(レオン)、超合理的知性派ゴブリン(グレゴール)、そして高所恐怖症の最強火竜(バルガス)。常識外れな『面汚し』たちの絆は、さらに強く、深く結ばれていった。何もない大森林に生まれつつあるこの小さな村は、今や世界で最も賑やかで、そして誰よりも温かい、最強の聖域へと成長を続けているのであった。


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