第四章 知的なゴブリン
開墾地の一角に、木々の香りと激しい打撃音が響き渡っていた。「よーしっ! こんな感じでどうだ!」エルナ・グランフォージは、額の汗を豪快に拭いながら満足げに胸を張った。彼女の目の前に立ち上がっているのは、村の記念すべき第一号となる開墾作業用の資材置き場――兼、暫定の集会所であった。太い丸太を何本も組み上げ、つる植物で固く縛り、屋根には大量の枝葉を敷き詰めた豪快な建築物である。ドワーフ特有の力任せな超腕力によって短時間で組み上げられたその姿は、一見すると頑丈で頼もしい大作のように見えた。「う~ん、エルナさんすごいよ! こんなに大きな小屋を一人で建てちゃうなんて!」ぽっちゃりとしたエルフのルシアンが、手手を叩いて無邪気に喜んでいる。その横では、銀灰色の耳をぴくつかせたヴィーガンウルフのレオンが、背中の竹籠から取り出した新鮮なカブを丸かじりしながら冷ややかな視線を送っていた。「……構造的に不安しかないな。風が吹けば一発で崩壊するぞ」 「なにいっ!? 失礼なこと言うなよレオン! これでもドワーフの伝統的な野生の直感で作ったんだぞ! ビクともするもんか!」エルナが丸太の柱をドシドシと自慢の怪力で叩いてみせた、その時である。
「――はあ。まったく、見るに堪えん泥縄式の雑作だな」
茂みの奥から、深々と溜息をつく声が聞こえた。現れたのは、一人の男であった。胸元まで届く艶やかな黒髪のパーマ、目元には知的な丸メガネ。仕立ての良い漆黒のロングコートを纏い、モデルのようにすらりと伸びた八頭身の抜群なスタイル。一見すると、どこかの貴族か最高峰の学術院に所属する大教授かと思わせる洗練された雰囲気を醸し出している。――ただし、その肌は鮮やかな緑色であり、耳の先端は細長く尖っていた。
「……ゴブリン!?」
エルナが思わず叫んだ。一般的にゴブリンといえば、背が低く、猫背で、粗野で愚鈍、洞窟に群れては棒切れを振り回すだけの弱小魔物の代表格である。だが、目の前に立つ男は、その固定観念を根底から砕き割るほどの知的で完璧なスタイルを誇っていた。男は丸メガネのフレームをすっと指先で押し上げながら、鋭い眼光でエルナの作った丸太小屋を凝視した。「そこの東側三本目の柱、垂直から零点一五ミリ傾いておるぞ」「は……? ぜ、零点一五ミリ……!?」「さらに言えば、屋根の勾配角度が三点二度不足している。これでは来たる秋の長雨で雨水が集中し、三週間以内に北側の梁から腐食が始まる。工程管理も最悪だ。材料の切り出しから組み立てに至るまで、動線計算がまったく考慮されていない。無駄な往復運動により、作業効率が実に四十二パーセントも低下しておる。お前たち、正気か?」男――グレゴール・グリムニッツは、手に持った羊皮紙と鉄筆をサラサラと動かしながら、淡々と、しかし容赦のない正論の矢を叩き込んできた。エルナは頭を抱えた。「な、なんだよお前は! ドワーフの私がせっかく作った小屋に難癖つけやがって! 大体、たったの零点一五ミリのズレなんて誤差の範囲内だろ!」「誤差だと?」グレゴールの丸メガネの奥の瞳が、一瞬で氷のように冷たく光った。「その『零点一五ミリの誤差』を放置することが、建築物全体の構造計算にどれほどの歪みを生むか、貴様は理解しておらんのか。基礎の零点一五ミリは、十メートル上空では数センチの変位となり、剪断応力の集中を引き起こす。職人の気まぐれや大雑把な感覚で家を建てるな。建築とは、数学であり、論理であり、厳密な美学なのだ!」怒涛の超論理展開。「大雑把すぎるドワーフ」と「細かすぎるゴブリン」。世間のイメージとは完全に逆転した二人のやり取りに、ルシアンとレオンは顔を見合わせた。「ねえレオンさん……あのゴブリンの人、すごく頭が良さそうだね」 「ああ。だが、俺と同じ匂いがするな。自分の美学に偏執的なまでに異常なこだわりを持つ者の匂いだ」グレゴールは二人の雑談を無視し、手に持った羊皮紙をエルナの眼前にバシッと突きつけた。「見よ。これが私が三分間で起草した、この村の『全体都市計画基本設計図』および『第一期施工工程表』だ」羊皮紙には、精密な定規とコンパスで描かれたかのような美しい幾何学模様と、分刻みの作業スケジュール、資材搬入計画、排水路の流体計算に至るまでが完璧な密度で書き込まれていた。
「す、すご……!!」
エルナは開いた口が塞がらなかった。ドワーフの伝統的な経験則とはまるで違う、現代的で超合理的な設計思想。「私はグレゴール・グリムニッツ。かつてどこぞの愚かなゴブリンの群れにおったが、『お前の計算は細かすぎて飯が不味くなる』などという不条理な理由で追放された。……ふん、愚者どもめ。三次元の応力分散すら理解できん原始人と一緒にいられるか」
(((また出たー! 『〇〇の面汚し』追放組第四弾――!!)))
エルナ、ルシアン、レオンの三人の心が一つになった。「なるほどね!」エルナは速攻で手のひらを返し、グレゴールの細く引き締まった手を手を握りしめた。「いいねグレゴール! 気に入った! 今日から君がこの村の『建設長官』兼『最高施工管理者』だ! 私の腕力と君の頭脳があれば、最強の村ができるぞ!」「気安く触るな、手垢で衣服が汚れる。……だが、不本意ながら提案は受け入れよう。貴様らの無計画な開墾を見ていれば、胃に穴が空きそうだからな」こうして、超合理主義の完璧主義者ゴブリン・グレゴールが仲間に加わった。それからの数日間、村の建設現場は激変した。「そこ! エルナ! 釘を打つ角度が二度開いておる! 打ち直せ!」 「ええっ!? たった二度くらい良いだろ!?」 「ダメだ! 二度のズレは耐震基準を満たさん! やり直し!」 「キーッ! この細かいゴブリンめー!」「ルシアン! 丸太の運搬効率が悪い! 歩幅をあと五センチ広げ、重心を三ミリ下げて歩け!」 「ひええぇ~っ! 歩き方の指導まで入ったよ~っ!?」「レオン! 畑の畝の直線性が乱れておる! 糸を張って正確に平行を保て!」 「……フッ、言われずとも俺の野菜たちは完璧なグリッド状に配置されている。見てみろ、この美しい幾何学的菜園を」 「ふむ、見事だ。貴様だけは話が通じるな」 「へへん、俺とグレゴールは美学のわかる男だからな」ブツブツと文句を言いながらも、エルナたちはグレゴールの完璧な指示に従った。するとどうでしょう。わずか数日で、美しく、頑丈で、機能的な木造の防壁と住居が、驚異的なペースで次々と完成していったのである。「なんだかんだ言っても……グレゴール、お前の設計は完璧だな」 汗を流したエルナが、冷えた湧き水を飲みながら呟いた。「当然だ。数値は裏切らん」 グレゴールは素っ気なく答えつつも、胸ポケットから取り出したハンカチでメガネを丁寧に拭いた。二人の間には、反発し合いながらも確固たる信頼関係――最高のバディとしての絆が芽生えつつあった。だが、平和な開墾の時間は、突如として破られた。
地響きが轟いた。森の木々がなぎ倒され、黒い煙が立ち上る。
「て、敵襲――!!」
村の境界に配置していた警戒用の鈴が激しく鳴り響く。森の奥から現れたのは、近隣の山賊団と連合を組んだ『悪徳領主の討伐部隊』であった。その数、およそ三千。甲冑を着こんだ歩兵、騎兵、さらには大砲を積んだ重装魔導兵器までがずらりと列をなしている。「ハハハ! こんな辺境に村を作ろうなどと生意気な奴らめ! 一揉みにして殺し尽くせー!」地平線を埋め尽くす敵の大軍勢。それに対して、こちらの戦力はエルナ、ルシアン、レオン、グレゴールのたった四人。「くっ……三千の軍勢か! いくら私の怪力と重槍でも、この数を一度に相手にするのは厳しいぞ……!」 エルナが槍を構え、汗を握る。「僕の超音速突きでも、何千回も突いたら手が疲れちゃうよ~っ!」 ルシアンも青ざめる。「俺が空から奇襲を仕掛けても、数が多すぎるな。野菜の畑が踏み荒らされるのが何より許せん……!」 レオンが鋭い爪を立てる。迫りくる敵の怒号。圧倒的な絶望。だが――その中で一人だけ、欠伸を噛み殺しながら前へ出る男がいた。黒髪パーマを風に揺らすゴブリン、グレゴールである。「グレゴール!? 下がれ、お前は後方で指揮を――」 エルナが叫ぼうとした、その時。グレゴールは洗練された動作で丸メガネを静かに押し上げた。その細く長い指先が、空中に一筆書きで複雑な幾何学模様を描き出す。直後。
ドゴォォォォォォォォォン……―――――!!!!!
大気が沈黙した。
空が、歪んだ。
グレゴールの足元から、地表を這うように純白の魔導陣が猛烈な勢いで広がっていく。十メートル、百メートル、一キロメートル、五キロメートル――その光の輪はとどまることを知らず、森全体、山脈の麓、そして三千の敵軍の足元すべてを瞬く間に呑み込んでいった。「な……なんだこの巨大な魔法陣は!? 全域を覆っているぞ!?」 敵の将軍が狂ったように叫ぶ。グレゴールは冷徹な眼差しで、恐怖に慄く三千の軍勢を見下ろした。「私の展開する空間制御・広域絶対術式の展開範囲は――半径十キロメートルだ」「はん……半径十キロ!?!?」エルナの目玉が飛び出そうになった。通常の超一流の宮廷魔導士ですら、広域魔法の射程は数百メートルが限界である。十キロメートルなど、一つの都市を丸ごと包み込む神の領域であった。「粗野で愚鈍なゴブリンだと? 笑わせるな。私は魔導の深淵を解析し、魔力の流体力学を極めた者。……逃げられるものなら、逃げて見なさい」グレゴールが、静かに指を鳴らした。
パチン。
『極大広域重力波』――実行。
ズゴォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!!!
半径十キロメートルの範囲内の重力が、一瞬で数百倍へと跳ね上がった。「ひぃぃぃぃっ!?」 「ぐ、重い! 体が、地面にめり込む――!!」三千の兵士も、重装魔導兵器も、大砲も、すべてがまるで巨大な見えない手で叩き潰されたかのように、地面へとめり込み、完全に平伏させられた。指一本動かすことすら許されない、圧倒的な絶対空間。グレゴールは一歩も動かず、ただ佇んでいるだけであった。「……ふむ。計算通りの出力だな。一人あたりの負荷を適正に調整した。死者はゼロだ。余計な死体の処理は、工程の無駄だからな」あまりにも呆気なく、そして圧倒的な決着。世界最強クラスの大賢者――それこそが、追放された知的なゴブリン、グレゴール・グリムニッツの真の姿であった。沈黙が支配する現場で、エルナは開いた口が塞がらないまま、グレゴールの顔を凝視していた。「お前……ただの施工管理者じゃなかったのかよ……」「言ったはずだ。私は合理主義者だと。効率的に敵を制圧するには、広域魔法で一括処理するのが最も手っ取り早い」グレゴールはフッと胸ポケットからハンカチを取り出し、再びメガネを拭いた。「さて、エルナ。無駄な戦闘で三十分の遅延が生じた。今すぐ資材の搬入を再開するぞ。零点一五ミリのズレも許さんからな」「……へいへい、分かりましたよ、建設長官殿!」エルナは大爆笑しながら、グレゴールの背中をバシバシと叩いた。グレゴールは「痛い、加減をしろ筋肉女」と苦体を作ったが、その唇の端にはかすかな笑みが浮かんでいた。大雑把だが熱い情熱を持つドワーフのエルナと、冷徹だが完璧な論理を持つゴブリンのグレゴール。正反対の二人が手を取り合った時、この何もない大森林に、誰も見たことがない理想の王国が築かれようとしていた。




