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第三章 ヴィーガンウルフ

 開墾地に広がる一角で、エルナ・グランフォージとルシアン・エルフェリオの二人は、村の未来を左右する重大な課題に直面していた。「――うーん、やっぱり土が固すぎるのかなぁ」ルシアンが困り顔で自分のぽっちゃりとしたお腹を撫でる。その手元には、ルシアンが超音速の突き(インファイト)で細かく耕そうとして、衝撃波でかえってカチカチに踏み固めてしまった哀れな農地が広がっていた。「ごめんねエルナさん、僕、力加減が上手くいかなくて……」 「いやいや、ルシアンが謝ることじゃないよ! 元はといえば私の八頭身怪力でクワを何本も叩き折っちゃったのが原因だしさ……はあ、やっぱり農作業も鍛冶と同じで、もっと繊細な知識と手順が必要なのかな」エルナは立派な長身を折り曲げ、地面の土を握りしめた。だが、彼女の指の力で土は固い泥団子へと圧縮されるばかりである。この大森林で生きていく以上、いつまでも獲物の肉や自生する果実だけに頼るわけにはいかない。安定した食料基盤となる「畑」を作ることは、村の存続において最優先の課題であった。その時である。風が草木を揺らし、野性味あふれる低い足足音が近づいてきた。



「……む?」



 森の茂みをかき分けて現れたのは、一人の壮年の男であった。銀灰色の尖った狼耳に、ふさふさとした立派な尾。鋭い眼光と鍛え上げられたしなやかな肢体は、どこからどう見ても、大自然の狩人として恐れられる「ウルフ族(狼獣人)」の男であった。背には大きな竹籠を背負い、その鋭い鼻腔をヒクヒクと動かしている。エルナはぱっと顔を輝かせた。「ウルフ族だ! やったぁ、ルシアン! ウルフ族なら森の狩猟の専門家じゃないか! これで今日から新鮮な肉が食べ放題だよ!」エルナは大喜びでウルフの男へと駆け寄り、バシバシと力任せに(加減はしたつもりで)彼の肩を叩いた。「おいウルフの旦那! いいところに来てくれた! 私はドワーフのエルナ、こっちはエルフのルシアンだ! 見ての通り、ここで新しい村を作ろうとしてるんだよ。もし良かったら村に加わって、その自慢の野生の勘ででかい鹿や猪をドシドシ狩ってきてくれないか!?」だが、絶大な期待を寄せるエルナに対し、ウルフの男――レオン・ヴォルフェンは、あからさまに嫌そうな顔をして一歩後退した。その銀色の眉を極限までひそめ、鼻を覆う。



「……断る」



「えっ?」



 レオンは静かだが重みのある声で言い放った。「俺は肉を食べない。命は尊い」――静寂。風が吹き抜け、ルシアンのぽっちゃりとした頬がぽかんと緩む。エルナは自分の耳を疑い、ウルフ男の耳と尻尾を二度見した。「い、いま……なんて言ったの?」 「俺は、肉を、食べない。一切の肉類、魚介類、動物性油脂を断っている」「肉を食べないウルフ族!?!?!?」エルナの絶叫が森中に響き渡った。「嘘でしょ!? ウルフ族だよ!? 肉食獣の頂点だろ!? 群れで獲物を追い詰めてガツガツ肉を食らうのがウルフ族の誇りじゃないのかよ!?」「だから俺は、群れを追い出されたんだ」レオンは悲しむ風でもなく、淡々と背中の竹籠を下ろした。竹籠の中には、色鮮やかな珍しい野草や、色とりどりのキノコ、見たこともない根菜類がぎっしりと詰まっていた。「肉の味を想像しただけで吐き気がする。幼少期から肉を拒み、野の草や木の実ばかりを好んで食べていたら、族長である親父に『肉を喰わぬ狼などウルフの面汚しだ!』と怒鳴られてな。群れの掟に従い、追放された」エルナとルシアンは顔を見合わせ、深く頷き合った。 ((出たよ……『〇〇の面汚し』仲間だ……!))「そ、そうだったんだ……ごめんね、辛いこと思い出させちゃって」とエルナが苦笑いすると、レオンはフッと鼻で笑った。「辛くなどない。肉を喰らわずとも、大地は豊かな恵みを与えてくれる。命を殺めず、大地の生命を直にいただく……これこそ至高の生き方だ。俺は野菜と薬草とキノコを愛している」そう語るレオンの瞳は、ウルフ族特有の鋭い狩人の眼光であったが、向けられている対象は生肉ではなく「植物」であった。「それにしても、お前たちのその土壌づくり……見るに忍びないな」レオンはレオンはしゃがみ込み、ルシアンが踏み固めた土を軽く指先で突いた。「粘土質の土壌に、衝撃波による圧密破壊。これでは根が呼吸できん。この土地は一見肥沃に見えるが、窒素分が不足しており、酸性に傾いている。東側の橅(ぶな)の木の落ち葉を集め、腐葉土を作って混ぜ込め。さらにそこへ、あちらの川沿いに自生している白灰草の灰を撒けば、一週間で最高の作物が育つ土壌に変わる」



「「おおおおおっ……!?」」



 エルナとルシアンから感嘆の声が漏れる。一瞬で土質を見抜き、完璧な土壌改良の理論を打ち立ててみせたのだ。「さらにだ」レオンは竹籠から一つの鮮やかな斑点模様のキノコを取り出した。「お前たちが昨日『美味しそう』と言って採取しようとしていたこれだが……絶対に食べるな。『シラユキシメジ』に似ているが、柄の根元にわずかな返りがある。これは『猛毒紅天狗ダケ』の亜種だ。一口食えば三日三晩、全身の毛穴から血を噴き出してのたうち回ることになる」「ヒッ……!!」 昨日まさにそれをスープに入れようとしていたルシアンが、顔を蒼白にして跳ね起きた。「農作業、土壌分析、薬草の鑑別、栽培技術、そして毒キノコの識別……農業に関する知識なら、大抵のものは頭に入っている。肉を狩らぬ代わりに、俺は数年間、ありとあらゆる植物の研究に人生を捧げてきたからな」腕を組み、ドヤ顔を決めるヴィーガンウルフ。その知性と植物マニアぶりは、もはや専門の農学博士や薬草師を遥かに凌駕していた。「凄いよレオン! 君、天才じゃないか!」 エルナは興奮気味にレオンの手を握り締めた。「肉がダメなら野菜を育てればいい! 君が村の食料担当兼、農業大臣になってくれよ!」「フッ……任せるがいい。俺の作った極上の有機野菜を食えば、お前たちの肉への執着など一瞬で吹き飛ぶぞ」こうして、食料問題が一気に解決に向かうかと思われた、その時であった。



ギャァァァァァァァァァッ!!



 空を切り裂くような、耳を刺す金属性の悲鳴が開墾地の上空に響き渡った。「な、なんだ!?」見上げれば、上空数百メートルの暗雲から、巨大な影が舞い降りてきていた。体長十五メートルを超す巨大な翼竜――『双頭の暴空竜(ワイバーン・キング)』である。二つの頭部から猛毒の酸を垂らし、鋭い大爪を広げて、地上で輝くレオンの新鮮な野菜の竹籠を狙って急降下してきた。「ワイバーンだ! しかも双頭の変異種!」 エルナが瞬時に重槍を構える。「くっ、高い! いくら私の槍の間合い(ミドルレンジ)が広くても、あんな高度の敵には届かない……! ルシアン、インファイトで飛び跳ねられるか!?」「う~ん、僕のジャンプ力じゃ、あの高さまで届く前に落っこちちゃうよ~っ!」地上の二人が焦りを募らせる中、ワイバーン・キングは二人を嘲笑うかのように上空で旋回し、広域の毒酸ブレスを吐き出そうと口を開いた。地上からでは決して手が届かない、完璧な空の安全圏からの奇襲。だが、その時。「――うるさいな。静かに野菜の芽吹きを待つ時間だというのに」溜息混じりの声が聞こえた。レオンであった。レオンは静かに一歩を踏み出すと、地面を蹴った。 トン、と。 まるで階段を一歩登るかのように。「え……?」エルナの目が丸くなった。 レオンの足元には、羽もなければ、魔導士のような詠唱陣も存在しない。にもかかわらず、彼は何もない虚空を踏みつけ、ふわりと上空へ立ち昇っていたのだ。



ト、ト、トンッ!



 二歩、三歩。レオンは空中に透明な足場が存在するかのように、軽やかに、そして凄まじい加速度で空を「走り」始めた。「な……空を走ってる……!?」



「やはり空は心地よいな」



 上空数百メートルへ一瞬で到達したレオンは、風を纏いながら悠然と呟いた。「ウルフ族は地上を走る俊敏性に優れるというが……狭い地上など窮屈でならん。重力から解き放たれ、風と一体化して疾走する感覚……これを知らぬとは、他のウルフどもは愚かだな」旋回していたワイバーン・キングが、突如として自分の眼前に現れた地上種族(ウルフ)に驚愕し、パニックを起こして猛毒の酸ブレスを放つ。だが、レオンの姿はすでにそこにはなかった。



疾ッ――!



 空気を置き去りにする音速の跳躍。空中において、彼は縦横無尽、三次元のあらゆる方向へ自由自在にベクトルを変えて「走る」ことができた。重力を完全に無視したその機動力は、翼を持つドラゴンや飛行魔獣すら足元にも及ばない。「空の戦闘で、俺にかなうと思うな」レオンの身のこなしは、まさに天空の支配者そのものであった。「空を走っているだけだ!」



ドガァァァンッ!!



 レオンの脚が、空中での超加速を乗せた一撃としてワイバーン・キングの右の頭部に叩き込まれた。悲鳴を上げる暇もなく、首が叩き折れる。 さらに間髪入れず、左の頭部へ空中を蹴って旋回し、背後からの二段蹴り。



ズバババババババンッ!



 翼をへし折られ、二つの頭部を粉砕されたワイバーン・キングは、地上へ向かって真っ逆さまに落下していった。



ドッスゥゥゥゥン……!



 地響きとともに撃墜される巨大魔獣。天空から、ふわりと舞い降りてくる銀灰色のウルフ。彼は一瞬の乱れもない着地を決めると、愛おしそうに竹籠の野菜を抱え直した。「ふぅ……無事だな。大事な有機野菜に傷がついたらどうするつもりだったのだ」エルナとルシアンは、口をあんぐりと開けたまま固まっていた。「空を……走ってた……」 「全種族の中で、一番速く空を飛んで……いや、走ってたよ……」「飛ぶのではない、走るのだ」レオンはフッと鼻を鳴らした。「空中浮遊術の極意は、大気の流れを足裏で捉え、風を蹴ること。地上を走るのも空を走るのも、俺にとっては大差ない」



(((大差ありまくりだろ!!!)))



 エルナは心の中で激しくツッコミを入れつつも、この男の底知れぬスペックに慄いた。肉を食べないウルフ族。しかしその実体は、異常なまでの植物・薬草知識で村の農業を支え、空中戦においてはドラゴンすら凌駕する全種族最速の「世界最強の浮遊術者」。エルナは大爆笑しながら、レオンの背中をバシバシと叩いた。「ハハハッ! 最高だよレオン! 肉なんて食わなくて結構! 君が空から守り、育ててくれる野菜なら、いくらでも食べたいよ!」「……フッ、分かればいい。明日からお前たちにも厳格なヴィーガンメニューを叩き込んでやるから覚悟しろ」「あ、そこは普通にお肉も食べたいかなぁ……」とルシアンがぽっちゃりお腹を擦りながら困り顔を見せる。こうして、八頭身のドワーフ、ぽっちゃり最強エルフに続き、空を走るヴィーガンウルフという三人目の常識破りな仲間が加わり、村の開墾はさらに賑やかさを増していくのであった。


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