第二章 ぽっちゃりエルフ
白銀杉の大樹が何本も薙ぎ倒され、見晴らしばかりは無駄に良くなった開墾地で、エルナ・グランフォージは大きな溜息を吐いていた。「はあ……やっぱり、柱の切り出しひとつとっても私じゃ駄目だなぁ……」目の前に転がっているのは、綺麗に切り出されるはずだった巨木の惨状である。エルナが手斧を振るった瞬間、加減という概念を置き去りにした超絶的な筋力によって、樹幹は均一な丸太になるどころか、粉々に粉砕されて木くずの山と化していた。八頭身のドワーフ美女は、長く美しい金髪をかきむしり、地だんだを踏む。「くっそー! なんで私は、ただ木を適度な長さに切るだけの作業で、爆破テロみたいな惨状を引き起こしちゃうかな! やっぱり誰か手先の器用な助っ人が欲しいよ……!」その時であった。森の奥の藪から、ガサガサと賑やかな羽音が鳴り響いた。「ぜぇ……はぁ……み、みんな待ってよ~っ! 僕を置いていかないで~っ!」情けない悲鳴とともに転がり出てきたのは、一人の青年であった。エルナは目を丸くした。 青年の頭部からは、美しく尖った長い耳が伸びている。透明感のある繊細な肌に、柔らかな金色の髪。どこからどう見ても、森林の貴公子と名高い「エルフ族」のそれであった。
――ただし、体型を除いては。
エルフといえば、誰もが息をのむほどに細身で優雅、まるで風に舞う木の葉のような幻想的な美貌を持つ種族として知られている。 しかし、目の前に転がっている青年は、見事なまでに丸々としたぽっちゃり体型であった。豊満なお腹が上着を押し押し押し上げ、まるまるとした丸顔は汗でびっしょり濡れている。足をもつれさせて地面に盛大にスライディングし、「ぶへっ!」と悲惨な声を上げていた。「え、エルフ……だよね?」 エルナが半信半疑で声をかけると、ぽっちゃりエルフは泥だらけの顔を上げた。「う、うん……エルフのルシアン・エルフェリオです……ふう、死ぬかと思った……」 「大丈夫? というか、なんでそんなに息が切れてるの? 追われてたの?」 「ううん、鳥の群れを追いかけてたら置いていかれちゃって……はぁ、やっぱり僕、運動は苦手だなあ……」ゼーゼーと肩を上下させるルシアンを見て、エルナは内心で「お前が追いかけてたのかよ」と突っ込みつつも、親近感を覚えずにいられなかった。世間のイメージから豪快に脱線している者同士の、妙なシンパシーである。「ねえ、ルシアン。エルフなら、やっぱり精霊魔法とかが得意なの? もし良かったら、魔法でこの木材を綺麗に整えたりできないかな?」期待を込めて尋ねたエルナだったが、ルシアンの表情が一瞬で沈み込んだ。丸い頬をキュッとすぼめ、うつむいてしまう。「……僕、魔法は使えないんだ」 「え?」 「これっぽっちも使えないんだよ。精霊の声も聞こえないし、魔力の操作もまったくダメ。エルフの学校ではね、『魔法も使えないぽっちゃりなんてエルフの面汚しだ』っていじめられてさ……最後には里を追い出されちゃったんだ」「あ……」エルナは胸が締め付けられる思いだった。まさに自分と同じ境遇ではないか。ドワーフのくせに鍛冶ができない自分と、エルフのくせに魔法が使えないルシアン。「そっか……ごめんね、嫌なこと聞いちゃって。いいよいいよ、魔法なんて使えなくたって生きていけるさ!」 「ううん、いいんだ。でもね、魔法はダメだけど……僕、細かい手作業なら大好きなんだよ!」ルシアンは気を取り直したように、ぱっと笑顔を咲かせた。
「細かい作業?」 「うん! お縫い物とか、お料理の刻み作業とか、木彫りとか! 『細かい作業なら任せてよ!』って胸を張って言えるんだ!」「本当!? 私、手先が不器用すぎて困ってたの! じゃあさ、ルシアン、試しにこの服の破れ目を縫い直してみてくれないかな? あと、お昼ご飯用に拾った大きなカブの千切りもお願いしたいんだけど……」エルナがほつれた手袋と、固い根菜を取り出すと、ルシアンは「お安い御用だよ!」と可愛らしく腕まくりをした。「じゃあ、いくよ~」ルシアンが針と糸を持ち、カブの前に包丁を構えた。
次の瞬間――
シュババババババババババババババッ!!!!!
「ぬはぁっ!?」
凄まじい衝撃波と、空気を切り裂く爆音が開墾地に響き渡った。 エルナの髪が激しい風圧で後ろへと吹き飛ぶ。何が起きたのか理解できず、目を見開くエルナの目の前で、ルシアンは「ふぅ」と汗を拭っていた。「できたよ!」見れば、エルナの手袋はミリ単位の狂いもなく美しく縫い合わされ、頑丈な刺繍まで施されていた。そしてまな板の上のカブは、まるで絹糸のように極細の千切りとなって美しく盛られている。作業時間、わずか〇・一秒。
「……え? な、なに今の……? ルシアン、君、いま何をしたの……?」 「え? 普通に縫って、カブを刻んだけど……?」 「普通じゃないよ! 残像すら見えなかったよ! 包丁の振りが速すぎて衝撃波で木の葉が舞ってたよ!?」「う~ん、僕、魔法が使えないからさ、代わりに体を動かす練習だけは手先を中心にずーっとやってたんだよね。だから手先だけは人よりちょっと素早く動かせるんだぁ」ルシアンは照れくさそうに「えへへ」と笑う。 エルナは戦慄した。人よりちょっと素早いどころの話ではない。今の突きの速度と精密さは、伝説の暗殺者や神域の剣士すら遥かに凌駕している。
(このぽっちゃりエルフ……タダ者じゃない……!)
そう確信した直後のことだった。「ひゃっはぁーっ! なんだあこの開けた場所は! 奪い甲斐のありそうな森じゃねえか!」怒号とともに、森の茂みからゾロゾロと武装した男たちが現れた。この大森林を拠点にする凶悪な「黒狼盗賊団」の三十人余りである。全員が剣や斧を手にし、獰猛な笑みを浮かべていた。「おいおい、綺麗なねーちゃんと、丸々と太ったエルフじゃねえか! おいエルフ、身ぐるみ剥がして奴隷商人に売り払ってやるから大人しくしな!」「きゃあああっ! 泥棒さんだ~っ!」 ルシアンは短い腕を振って、いかにも情けなく右往左往した。「エルナさん、どうしよう! 僕、戦うのは苦手だよ~っ!」「大丈夫、下がっててルシアン! 私が槍で撃退するから!」 エルナが背中の重槍に手を伸ばそうとした、その時である。盗賊の頭目が、嘲笑いながらルシアンに向かって一歩踏み込んだ。 「ハハッ! 豚エルフが泣いてやがるぜ! まずはてめえから切り刻んで――」「う~ん……」 ルシアンが、ぽてぽてとした足取りで、一歩だけ前に踏み出した。「僕、やっぱり暴力は好きじゃないんだけど……村の邪魔をされるのは困るから……こう、かな?」
――ズガアァァァァァンッ!!!!!
天地を揺るがす爆音が炸裂した。「がはっ!?」頭目の身体が、認識不可能な超スピードの拳を腹部に叩き込まれ、くの字に折れ曲がった。衝撃波が一直線に伸び、後方の樹々を十数本まとめて叩き折る。「ヒっ……!? か、頭目ぇぇぇ!?」 「な、なにが起きたんだ今!?」慌てふためく盗賊たちに対し、ルシアンの体型はぽっちゃりのままであった。しかし、その立ち姿、その構え――いや、構えすら存在しない無構えの境地。「みんな待ってよ~って言ったのに、急に襲いかかってくるから……」ルシアンの瞳から情けなさが消え、研ぎ澄まされた絶対者の静寂が宿る。「インファイトなら、僕に任せて」
シュッ。
ルシアンの足元が爆発した。超音速の踏み込み。 三十人の盗賊団の真ん中に、ぽっちゃりエルフが一瞬で滑り込む。超接近戦。それは、間合いを最小限に詰め、相手の懐で打撃を叩き込む高難度の格闘術。 ルシアンの拳が、肘が、掌底が、光の残像となって空間を埋め尽くした。
パパパパパパパパパパパンッ!
「ごはっ!」
「ぶほっ!」
「ぎゃあああ!」
盗賊たちが空中へと打ち上げられ、あるいは地表を転がり、一秒間に百発を超える超音速の打撃を叩き込まれていく。魔法など一切使っていない。ただ究極まで錬成された肉体と、音速を超える打撃速度による圧倒的な武の暴力であった。わずか三秒。三十人の盗賊団は、全員が白目をむいて地面に転がっていた。壊滅である。「ふぅ……間合いに入っちゃえば、僕の勝ちだからね」ルシアンは「みんな待ってよ~」と言っていた時とは打って変わった、全種族最速の身のこなしで拳のチリを払うと、再び「ほのぼのぽっちゃりエルフ」の顔に戻った。「あ、エルナさん! 盗賊さんたち、倒しちゃったけど……これでお昼ご飯の準備に戻れるね!」エルナは槍を構えた姿勢のまま、固まっていた。(な、なんという近接戦闘速度……! 私の槍の間合い(ミドルレンジ)の内側に潜り込まれたら、絶対に防げない……! この人、全種族最強の格闘家だ……!)エルフでありながら魔法が使えず、ぽっちゃり体型。しかしその実体は、超音速の拳で敵を粉砕し、料理の千切りや裁縫すら超スピードで終わらせる、規格外の最強格闘家。「ルシアン……君、本当に魔法使えないの?」 「うん、全然使えないよ! 魔法が使えたら、もっとかっこよく遠くからポカンって倒せるのにねぇ」 ルシアンは心底残念そうに自分のぽんぽんお腹を叩いた。エルナは呆れを通り越して、大爆笑した。「ははっ! 最高だよルシアン! 魔法なんて使えなくたっていいじゃない! 君のその凄い手先と拳があれば、この村はもっと凄くなる!」「えへへ、本当? じゃあ僕、この村で暮らしちゃってもいいのかな?」「勿論だよ! 歓迎するよ、ぽっちゃりエルフのルシアン!」こうして、八頭身のドワーフと、ぽっちゃり最強エルフという、世間の常識をぶち破る二人目の住人が村に加わったのであった。




