第2話
それから月日は流れ、私が十六歳になったある日のことだった。
いつものように夜の読書を終え、ベッドの上でアレンを膝に乗せて撫で回していた時のことだ。
「はぁ……今日のアレンも国宝級にかわいいわね。どうしてそんなに愛くるしいのかしら。世界中の宝物を集めても、あなたの一本の糸にも敵わないわ……」
オタク特有の過剰な褒め言葉を浴びせながら、ふさふさの銀髪を撫でていた私の指先に、かすかな違和感が走った。
ぴくっ。
「……ん?」
アレンの小さな、綿の詰まった手が、ほんのわずかに動いた気がしたのだ。
気のせいかしら。手の錯覚か、あるいは部屋に吹き込んだ風の悪戯か。
首をかしげながらもう一度アレンの顔を覗き込んだ、その瞬間だった。
「……え、る……な……」
「……は?」
小さな、けれどはっきりと通る、鈴を転がすような少年とも青年ともつかない甘い声が、アレンの刺繍された口元から漏れ出たのだ。
私は硬直した。あまりの衝撃に、思考が完全にフリーズする。
手に持っていたアレンをポロリとベッドの上に落としそうになり、慌てて両手で包み込むように抱きしめ直した。
「い、いま……喋った……? アレンが……?」
恐る恐るアレンを見つめ返すと、綿の入った小さな首が、ちいさく、ぎこちなく傾げられた。
サファイアの刺繍糸で再現された瞳が、かすかに光を帯びて私の顔をじっと見つめている。
「エルナ……大好き……いつも……撫でてくれて……ありがとう……」
つたない、けれどあまりにも美しく透き通った声。
そして、小さなぬいぐるみの腕がテコテコと動き、私の親指をむぎゅっと抱きしめてきたのだ。
「っ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!」
私は声にならない悲鳴を上げ、枕に顔をうずめて悶絶した。
尊い。尊すぎる。
推しぬいが生きてる。喋った。私を呼んだ。私に感謝の言葉を述べた。
これは夢か? いや、オタクが見る都合のいい幻覚か?
「エルナ……苦しい……?」
「苦しくない! 全然苦しくないわアレン! むしろ幸せすぎて天に召されそうなだけよ!」
がばりと跳ね起き、アレンを両手で持ち上げて目線を合わせる。
アレンは小さな体で一生懸命バランスをとりながら、可愛らしく首を傾げていた。
理由を考えるまでもない。私の体内に眠っていた、使い道のなかった規格外の魔力。
それが毎日の「愛でタイム」によって、何年もの間、絶え間なくアレンへと注ぎ込まれ続けたのだ。
一途な愛情と莫大な魔力が融合した結果、この小さなぬいぐるみに「魂」が芽生え、自立した意思を持つ魔法生命体のような存在へと変化してしまったらしい。
「アレン……すごいわ、本当に生きているのね……!」
「うん……エルナの魔力と……愛が……僕に命をくれたんだ……。僕の全部は……エルナのものだよ……」
ぬいぐるみの体でトコトコとベッドの上を歩き、私の膝の上にちょこんと座り直すアレン。
その姿の愛らしさに全米が泣いたレベルの衝撃を受けつつも、私は一つの重大な事実に気づいていなかった。
アレンの言葉に込められた、あまりにも深く、重すぎる「情念」の存在に。
それからの日々は、まさに天国のような狂乱の日々だった。
私が朝起きれば、アレンが枕元で「エルナ、おはよう」と挨拶してくれる。
私がお茶を飲んでいれば、膝の上に登ってきて「僕にも一口ちょうだい」と甘えてくる。
しかし、日が経つにつれて、アレンの知性と魔力の吸収スピードは加速していった。
最初は「エルナ、大好き」くらいしか言えなかった言葉が、わずか数週間で滑らかになり、語彙力も格段に上がっていったのだ。
そして同時に、彼の「執着」も露わになり始めた。
「エルナ、今日のドレス、胸元が開きすぎじゃない?」
ある日、お屋敷のパーティーに出席するためのドレスに着替えた私を見て、アレンは可愛らしいぬいぐるみの手で私の首元をぎゅっと隠すように手繰り寄せた。
「えっ? そうかしら、これでもかなり控えめな方だと思うけれど……」
「ダメだよ。エルナの綺麗な肌を、僕以外の男に見せるなんて許さない。……僕だけのエルナなのに」
「あ、アレン……?」
ぬいぐるみの愛くるしい姿から発せられるには、少しばかり重すぎるセリフ。
しかし当時の私は、「ふふっ、推しぬいちゃんが嫉妬してるみたいで可愛い〜!」と呑気にオタク心を爆発させていただけだった。
アレンは私の莫大な魔力を吸い続け、その存在感を日増しに強めていった。
それはまるで、満開の蕾が弾ける直前の静けさのような、妙な緊張感を孕み始めていたのだ。
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