第三章 始祖のコードと、迫る「反転魔法陣」
学園編入から二週間。アルスとアリスの学園生活は、表面上は穏やかに過ぎているように見えた。アルスが提案する「古典主義魔法」すなわち大気の元素バランスや地形の導魔率を緻密に計算し、環境と同期して行う効率的な魔法行使は、学園の講義において革命を起こしつつあった。これまで「呪文を叫んで高価な杖で殴る」ような大雑把な現代魔法しか知らなかった生徒たちは、アルスの鮮やかすぎる環境制御の手腕に圧倒され、彼の周りには次第に教えを乞う熱心な生徒たちが集まり始めていた。
しかし、その平和な日常の裏側で、不穏な影が着実に忍び寄っていた。その日は、学園の地下深くに存在する「古代魔力脈集束炉」の見学実習が行われていた。王立魔法学園の広大な敷地の地下数百メートルには、王都全体に魔力を供給するための巨大な天然の魔力脈が流れている。学園はその上に建造されており、中央の防護結界や研究用施設のエネルギーは全てこの地下集束炉から賄われていた。「見よ、これぞ我が学園が誇る至高の魔力集束システムだ!」引率を担当する軍部出身の特級教師・ヴァルターが、大空間の中央にそびえ立つ巨大な水晶柱を仰ぎ見ながら、鼻高々に語る。水晶柱の周囲には貴金属製の巨大な環がいくつも漂い、圧倒的な密度の青い魔力が唸りを上げていた。「現代魔法の最新技術により、地下深くを流れる野生の魔力脈を強引に捕獲・固定化している。これにより、我々は一切の衰えを知らぬ無尽蔵のエネルギーを手に入れたのだ!」生徒たちから感嘆の声が上がる中、アルスだけは険しい表情で巨大な水晶柱を見上げていた。隣に立つアリスが、彼の変化に気づいて低く囁く。
「アルス……どうしたの? 顔色が悪いわよ」「……アリス、あの集束炉の足元、魔力の波長を見て」「え……?」アリスが視覚拡張の魔力を瞳に集め、集束炉の底部を注視する。通常、精製された綺麗な魔力は澄んだ青色に見えるはずだった。しかし、あの巨大な水晶柱が吸い上げている魔力の根底には、ドロリとした禍々しい黒紫色のノイズが大量に混ざり込んでいた。「なによ……これ……。魔力が……苦しんでいるみたい……?」「苦しんでいるんじゃない。強引に搾取されて、破綻しかけているんだ」アルスは一歩前へ踏み出し、集束炉を囲む柵の手前に膝をついた。そっと右手の指先を床の石畳につける。彼の頭の中に、地下数千メートルにまで張り巡らされた魔力配線の全体構造が一瞬で描かれていく。(……おかしい。僕たち一族が三千年間かけて大地に書き込んできた『調和のコード』の中に……見知らぬ異物が割り込んでいる……!?)アルスの脳裏に響くのは、壊れた機械が悲鳴を上げるようなノイズ音だった。彼ら一族が代々世界の大地に刻んできたコードは、自然界の魔力を一時的に「借り受け」、使用後に再び自然へと「還元」する純粋な弁証法的巡還システムだ。しかし、この学園の地下集束炉に接続されているコードは、全く異なる異物によってハッキングされていた。(自然から借りるプロセスを完全に拒絶し、回路を短絡させて、一方的にエネルギーを搾り取っている……。それだけじゃない。このコード、魔力が不足した時にどこから補給するようになってるんだ……!?)アルスがその悪質なハッキングコードの深層へとアクセスを進めた、その時だった。『――アクセスを拒絶。管理者権限(軍部最暗部プロトコル)を照会中――』脳内で警告音が鳴り響き、アルスの視界に、禍々しい赤黒い紋様が浮かび上がった。それは、円形の中に無数の逆三角形と牙のような鉤爪が交差し合う、見る者に生理的な不快感を与える魔法陣『反転魔法陣』だった。「っ……!?」「おい! そこでの呑気な平民!」ヴァルター教師の怒声が響いた。「勝手に集束炉の基幹部に触れるな!知識のない素人が下手に触って、現代魔法の精密な回路を壊されたらどうする!」「ヴァルター先生!これを今すぐ止めてください!」アルスは立ち上がり、珍しく語気を強めて叫んだ。「この集束炉の回路は狂っています!自然の魔力脈を強奪するだけじゃなく、魔力圧が一定値を超えた時……周囲にいる『生命体の生命エネルギー(魂)』を強制的に燃料として吸い上げる悪質な反転回路が組み込まれています!」「な……なにを妄言を吐いている!」ヴァルターの顔が微かに引きつった。しかし、すぐにそれを隠すように冷笑を浮かべる。「これだから古典主義のオカルティストは困るのだ。これは軍部と学園が共同開発した最高峰の魔力増幅システムだぞ!命を吸うなどという不吉な真似、現代魔法の倫理が許すはずがないだろう!」「倫理じゃない、仕様の話をしているんです!」アルスは詰問するように一歩詰め寄った。「三年前、この回路を改変しましたね!?始祖様が遺した『自然との対話コード』の安全装置を勝手に解除して、無理やり出力を十倍に跳ね上げるために、人間の生命力を予備バッテリーにするコードを書き足した!違いますか!?」「くっ……だ、黙れ!知識の浅いガキが知った風な口をきくな!」ヴァルターの狼狽ぶりに、周囲の生徒たちからも不審なざわめきが起こり始めた。「え……? 先生、アルス君の言ってること本当なんですか……?」「僕たちの命が燃料に……!?」「黙れ黙れ黙れ!!」ヴァルターが胸元から黒い通信用結晶を取り出し、叫んだ。「警備隊! 地下アリーナに侵入者だ! 古典主義の危険分子が集束炉を破壊しようとしている! 即座に拘束」その時だった。
ガゴォォォォォォォン……!!!!
天地がひっくり返るかのような激しい揺れが、地下大空間を襲った。中央の巨大な水晶柱が赤黒く変色し、ミシミシと亀裂が入っていく。水晶柱から伸びる無数の魔力パイプが次々と破裂し、中から赤黒い蒸気が噴き出した。「ひっ……!? な、なんだ!?何が起きた!?」『警告。魔力脈の崩壊度(バグ率)が限界値(85%)を突破』『安全装置未実装につき、自動復旧プロトコルに失敗』『緊急生命維持プロトコルを強制起動。周囲の対象から魔力を強制補給します』地底の奥底から、人の叫び声とも機械の唸り声ともつかない無機質な音声が響き渡った。「な……なんだこの声は!? 魔法陣が勝手に……!?」ヴァルターが恐怖に顔を歪める。次の瞬間、学園の床、壁、天井さらには学園を飛び出し、王都全体の地面に至るまで、血のような赤黒い『反転魔法陣』の光が津波のように広がっていった。「あぐっ……!? か、身体が……!」「きゃあぁぁぁぁっ! 魔力が……吸い出される……っ!」実習中の生徒たちが次々と倒れ伏し、苦しみに胸を押さえて喘ぎ始めた。彼らの身体から、淡い光の粒子。命の源である生命エネルギーが引き抜かれ、赤黒い魔法陣を通って地下の集束炉へと集まっていく。それだけではない。地上からは、王都の一般市民たちの悲鳴と混乱の狂騒が、防音結界を突き破って地下にまで届いていた。「あはは……! ついに起動したか!」 ヴァルターが正気を失ったような高笑いを上げた。「そうだ! これこそが我が軍部の極秘プロジェクト……『絶対魔力都市計画』だ!始祖の魔法陣などという古臭い遺物、最初からこうして人々の命を束ねる兵器として使うために改変されていたのだよ!わずかな平民の命など、国家の至高の繁栄のための糧となれば本望だろう!」「……なんですって?」アリスが怒りに身を震わせ、腰の魔導剣を抜き放つ。「人の命を……王都の人たちを何だと思ってるのよ!!」「無駄だアリス候補生!この反転魔法陣は一度起動すれば、王都全土の生命力を吸い尽くすまで止まらん!お前たちの命も、あと三分と持たんぞ!」赤黒い光が猛烈な勢いで旋風を巻き起こし、アリスの身体からも虹色の魔力が強烈に引き剥がされそうになる。「くっ……魔力が……持っていかれる……!」「アリス!」アルスが即座にアリスの腕を掴み、自分の背中へと引き寄せた。アルスが手を触れた瞬間、アリスの周囲だけ赤黒い光線が弾かれ、吸出がピタリと止まる。「アルス……!?」アリスがアルスの顔を見上げた。そして彼女は息を飲んだ。アルスから、いつものあどけない微笑みや、照れくさそうな表情が完全に消え去っていた。ブカブカの帽子の鍔から覗く彼の瞳は、氷よりも冷たく、澄み切っていた。その身から溢れ出しているのは、これまで見せたこともないほど高密度で、清廉なけれど絶望的なまでに巨大な「始祖の魔力」だった。「アルス……?」「……許せないな」アルスの声は、静かだった。しかし、地下大空間のあらゆる騒音を掻き消すほど、深く重く響いた。「三千年前、僕たち一族から魔法陣を盗み出し、殺戮の道具に書き換えただけでも惨いことなのに……。三百年かけて僕たちが傷を癒やしてきた大地に、こんな悪質なバグを植え付けて……人々の命を奪うなんて」アルスは背中から、あのカタツムリのように先が歪んだ、古びた木の杖を取り外した。「小汚いゴミ」と笑われていたその杖が、アルスの手に握られた瞬間、神々しい金色の光を放ち始める。「な……なんだその光は!?その骨董品の杖に、何が隠されているというのだ!?」ヴァルターが恐怖に後ずさる。「この杖はね……ただの触媒じゃないんだ」アルスは静かに地面へ杖の先端を突き立てた。「三千年間、僕たち一族が世界中に書き込んできた調和のコードを全て統率するための最高管理者(ルート権限)の鍵なんだよ」
ズズズズズ……!!
アルスを中心に、黄金色の純粋な光が爆発的に噴き出した。赤黒い「反転魔法陣」の悪意ある光が、アルスの放つ黄金の光に触れた瞬間、悲鳴のような音を立てて次々と消滅していく。「バ……馬鹿な!?我が軍部が何十年もかけて構築した反転回路が……上書きされていく解体されているだと!?」「アリス」アルスは一度も振り返らず、アリスに向かって言った。「僕の背中を守ってくれる?」アリスは一瞬だけ目を見開いた後、力強く頷き、魔導剣を黄金の光の中で構え直した。「当たり前でしょ! あんたの背中は……私が一生守るって決めたんだから!」「ありがとう。……これより、世界線ネットワークの不正規コード(バグ)の緊急クリーンアップを開始する」アルスが瞳を閉じ、澄み切った声で「本気の詠唱」を紡ぎ始めた。「『巡れ……巡れ、万物の理よ。偽りの楔を穿ち、傷つきし大地に本来の調和を』」世界のソースコードを握る少年が、ついにその真の力を解き放つ。王都を、そして始祖の悲願を救うための、本気の「回路統合」が始まろうとしていた。




