第一章 現代魔法の欠陥と、僕の初陣
王立魔法学園。そこは世界中のエリートが集い、最先端の魔法理論と技術が交錯する現代魔法の最高峰であった。白亜の石造りの校舎が聳え立ち、敷地内には幾重にも張られた防護結界の魔力が微かに光を反射している。今日行われるのは、年に一度の高等部編入試験。会場となる中央大演習場は、溢れんばかりの熱気と異様な緊張感に包まれていた。「おい、見ろよ……あんなチビが受験生の中に混ざってるぞ」「ハッ、何だあの小汚い格好は。ボロ布みたいなローブに、あの大泥棒みたいな大きな帽子……」「おいおい、背中を見てみろよ。なんだあの曲がりくねった流木みたいな棒きれは!まさかあれを杖だと言い張るつもりか?」受験生たちの待機エリアで、着飾った貴族の少年たちがクスクスと不躾な嘲笑を投げかけていた。彼らが手にしているのは、王都の最高級工房で鍛え上げられた鉄製や銀製の特注杖だ。宝石が散りばめられた洗練された装飾品であり、現代魔法において「出力を跳ね上げるための絶対のステータス」であった。そんな視線の渦の中心で、十四歳の少年アルスは、ブカブカの帽子の鍔をちょこんと指で持ち上げ、退屈そうに欠伸を噛み殺していた。彼の隣には、腕を組んで不機嫌そうに仁王立ちする少女アリスの姿がある。「ねえ、アルス。本当にその小汚い格好で試験を受けるつもり?『私の婚約者』なんて変な嘘を触れ回っておいて、一回戦で無様に落ちたら承知しないわよ」「嘘なんてついてないよ。大賢者様と約束したんだからね。それに……『小汚い』じゃなくて『歴史ある古典主義の装備』って言ってほしいな。あと、君の魔力回路、今日もすごく綺麗だね」「なっ……! ど、ドサクサに紛れてセクハラみたいなこと言わないでっ!」アリスが顔を真っ赤にして拳を振り上げる。大賢者からの強い推薦があったとはいえ、学園の規律上、試験そのものを免除することはできなかった。かくしてアルスは、アリスに連れられてこの編入試験を受ける羽目になったのだ。
「これより、第一次試験『筆記試験:現代魔法理論実務』を開始する!」試験官の大声が響き渡り、広い会場に答案用紙が配られた。 周囲の貴族たちが一斉に羽ペンを走らせる中、アルスは配られた問題用紙を一瞥し、深い溜息をついた。(……ひどいな、これは)問題文には、当然のように現代魔法の教義が並んでいた。『設問一:無詠唱における魔力集束の最短経路を記述せよ』『設問二:現代魔法陣における不要な冗長文法(詠唱および描画)の排除プロトコルについて述べよ』(完全にバグ(欠陥)を『正義』だと誤認している……。無詠唱っていうのは、出力を極限まで削ぎ落として、エラー検知(詠唱による調整)を放棄した突貫工事に過ぎないのに。これじゃあ、魔力効率が3割以上も無駄に捨てることになるじゃないか)アルスは首を傾げながら赤インクのペンを取り出すと、設問の答えを書くのではなく、設問そのものの理論的欠陥を赤ペンで添削し始めた。『※問一の前提が誤り。無詠唱による集束は、大気中の自然魔力との同期を無視しているため、術者の内部魔力を無駄に損耗する。正しい接続式は以下の通り――』『※問二の記述は本末転倒。魔法陣を描画しない現代魔法は、安全装置を外して回路を直結させている状態に近い。ゆえに、出力の上限が著しく制限されている』答案用紙の余白どころか、裏面に至るまで、アルスは始祖の正しい理論式と現代魔法の構造的欠陥を赤ペンでビッシリと埋め尽くしていった。のちにこの答案を採点した教授陣は、「な、なんだこの解答は!? 我々の現代魔法理論が、まるで子供のおままごとのように添削されている……!しかし……論理に一分の隙もない……!」と顔面を蒼白にして失神することになるのだが、今のアルスには知る由もなかった。
「続いて、第二次試験『対人実技試験』を行う!」筆記試験が終わり、中央の巨大なバトルアリーナへと場所が移された。アリーナの周囲には、受験生の保護者である貴族や軍の幹部たちが観覧席から見下ろしている。「おい、第一試合!平民上がりの志願者アルス!対するは、名門ガルシア公爵家長男、ジュリアン候補生!」アリーナの中央に立ったのは、銀仕立ての豪華なローブに身を包んだ、見下すような笑みを浮かべる少年、ジュリアンだった。彼の手には、巨大な赤い魔結晶が嵌め込まれた最高級の金細工の杖が握られている。「ハッ、まさかこんな骨董品の杖を持ったチビが私の相手とはな。学園も落ちたものだ」ジュリアンは金細工の杖を誇らしげに掲げ、観客席に向かってアピールしてみせた。「よいか貧民!現代魔法の神髄とは『無詠唱』による速度と、この最高級の杖が導く圧倒的な魔力量だ!古典魔法の泥臭い呪文や地面への落書きなど、我が一瞬で灰にしてくれる!」「えっと……君のその杖、金と銀の導魔率が干渉して、せっかくのクリスタルの出力を4割も殺してるよ?」 「な、なに……!?」「それに、無詠唱にこだわるあまり、術式の起動時に周囲の空気の精霊(元素 balance)を置き去りにしてる。そんな雑な回路じゃ、どれだけ魔力を込めても不発に終わるか、暴走するのがオチだけどな」アルスは背中のカタツムリのような木の杖を背負ったまま、一度も構えようとせず、だるそうに言葉を返した。「ぬぐぐ……口生意気なガキが! 死ねぇっ!」ぶち切れたジュリアンが杖を突き出す。無詠唱による即時発動、先端の赤結晶から、激しい火炎の濁流『ファイア・ストーム』が噴き出そうとした。だが。「『環境操作(大気成分構成比調整:二酸化炭素及び一酸化炭素濃度の局部局所変更)』」アルスが指先をチチッと軽く鳴らし、ボソリと小さく「詠唱」を紡いだ。瞬間。ジュリアンの杖の先端でバチバチと火花が散ったものの、激しい火炎は「プスン」と間抜けな音を立てて鎮火した。それどころか、ジュリアンは突然「はぐっ!?」と喉を押さえ、膝から崩れ落ちたのだった。「がっ……は……!? い、息が……体に……力が入ら……」顔面を蒼白にし、ゼーゼーと苦しそうに呼吸を乱しながら、ジュリアンはその場に倒れ伏した。「な、なんだ!? 何が起きた!?」「ジュリアン候補生が倒れたぞ! 医務班、医務班!!」会場が騒然となる。観客席の貴族たちが立ち上がり、怒号を飛ばした。アリーナ中央で、アルスは心底面倒くさそうに頭の後ろで手を組んだ。「えっと……今のは僕が、一酸化炭素というものを……あ、いや、ただの『風と空気の性質を少し変える魔法』で、燃焼に必要な酸素を奪い、同時に彼の運動機能を一時的に低下させただけなんですけど」「ふざけるな!!」試験官の一人が激高してアリーナに飛び込んできた。「貴様、何の呪文も唱えず、杖も動かさず、魔法陣の発動光すら無かったぞ!毒でも仕込んだのか!?卑劣なイカサマだ!市民の分際で図々しいぞ!」「イカサマだと!?貴様、我がガルシア家の名誉を汚す気か!」「失格だ!こんな不気味なガキ、即刻つまみ出せ!」観覧席からも絶え間ない野次と罵声が降り注ぐ。現代魔法の常識「ド派手な光」「無詠唱」「豪華な杖による破壊力」のどれにも当てはまらないアルスの勝利を、プライドの高い貴族たちは到底受け入れられなかったのだ。
「はぁ……」アルスは本日何度目になるか分からない溜息をついた。ブカブカの帽子を軽く持ち上げ、呆れたように試験官を見つめる。「現代魔法の常識っていうのは、本当に視野が狭いんだね。派手な光や爆発が見えないと、魔法だと認識すらできないなんて」「なんだと……!?」「わかりました。じゃあ……目に見える魔法陣とやらを展開して、何かそれらしい派手な呪文でも唱えて、あちら側の風景を吹き飛ばしたら……僕の合格を認めてくれますか?」アルスが指差したのは、アリーナの向こう側に広がる、王都の賑やかな市街地の一角だった。「はっ!吹き飛ばせるものなら吹き飛ばしてみろ!どうせハタリのハッタリに決まっている!」試験官が鼻で笑う。観覧席の隅で見守っていたアリスだけが、アルスの言葉の真意に気づき、顔面を蒼白にした。(ちょっと……嘘でしょ!?あのバカ、まさか本気で――)「あ! だ、ダメーっ!!アルス、やめなさい!!」アリスがなりふり構わず手すりを飛び越え、アリーナへ駆け出そうとする。しかし、遅かった。「えっと、まずは現代魔法使いが大好きな『意味のない豪華な魔法陣』を空中に展開して……」アルスが気だるげに右手の手首を回す。次の瞬間、アリーナの上空に、直結十メートルを超える黄金色の多重魔法陣が、眩いばかりの発光とともに展開された。無駄な装飾文法だらけの、現代魔法使いが狂喜乱舞するようなド派手な魔法陣だ。「そして……それらしいかっこいい呪文(詠唱)……ええと」アルスは少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら、ボソボソと口を開いた。「『燃え上がれ……我なる赤き炎よ……ふぁいやーぼーる』……これでいいのかな」「めぇぇぇぇぇぇっ!!何そのダサい詠唱ぉぉぉぉっ!!」駆け寄ってきたアリスの絶叫が響く。
次の瞬間。
ドォォォォォォォォォォォォン!!!!
天を衝くような派手な爆音と衝撃波が、王都全体を揺らした。あまりの光景に、アリーナにいた全員の思考がフリーズした。アルスの視線の先。王都の東区画、立ち並ぶ重厚な石造りの建物、商業店舗、美しい街路樹。その全てが、光の奔流に飲み込まれ、影も形もなく綺麗さっぱり消滅していた。そこにはただ、えぐり取られたような荒涼とした地平線だけが広がっていた。「……」「……え?」広大な演習場が、死よりも深い静寂に包まれる。観客席の貴族たちも、激高していた試験官も、口をぐうの音も出ないほど開けたまま、果てしない虚無と化した王都の一角を凝視していた。「ご……ごうかく……?」試験官が膝をガクガクと震わせ、泡を吹きそうな声で呟く。その直後。「あんたぁぁぁぁぁぁっ!!!!」凄まじい怒号とともに、アリスがアルスの胸ぐらを両手で掴み上げ、激しく揺さぶった。「あんた正気なの!?何考えてんのよこの大バカ者!!学園の試験で王都の街を吹き飛ばしてどうすんの!?街の人たちまで殺して、どう落とし前つけるつもりよぉぉぉっ!!」本気で涙目になりながら怒り狂うアリスに対し、胸ぐらを掴まれたまま浮いているアルスは、きょとんとした顔で首を傾げた。「え? 大丈夫ですよ、アリス。落ち着いてください」「落ち着けるわけないでしょ!!人殺し!!悪魔!!」「殺してないですよ。あれ、単なる『高次幻想魔法』ですから。街はなんともないです」「……は?」アリスがポカンと動きを止める。「僕がさっき展開した空中の魔法陣、あれ実はただの『光の屈折と空間の位相をズレさせるプロトコル』なんです。視覚情報と周囲の空間座標を一時的に書き換えて、あたかも消滅したように見せかけただけですよ。……ほら」アルスは胸ぐらを掴まれた状態のまま、空中に漂う魔法陣の残光に向かって、指先でチチッと弾いた。
「『リビルド(復元)』」
その一言が紡がれた瞬間。シュゴォォォォ……! と、時間が巻き戻るような幻想的な音が響き渡った。消滅していたはずの東区画の建物、街路樹、道路が、光の粒子とともに瞬く間に再構成されていく。行き交っていた人々も、自分たちが一瞬だけ消えていたことすら気づいていない様子で、元通りに歩いている。アリーナの観客席でも、自分が座っていた石造りのベンチが元通りになっていることに気づき、悲鳴のような驚嘆の声があちこちで上がった。「あ、再生魔法というか空間座標の復元で、一応元に戻しておきました」アルスは、未だに自分の胸ぐらを掴んだまま固まっているアリスの顔をじっと見つめ、少しだけ困ったように微笑むと、彼女の耳元で小さく付け加えた。「で……僕の合格はこれで確定でいいのかな?アリスと結婚する約束、無事に果たせそう?」「……っ~!!あんたなんて……あんたなんて絶対嫌ぁぁぁぁぁっ!!」真っ赤になったアリスの金切り声が、元通りになった王都の青空へ向けて、どこまでも高く響き渡っていった。




